法規
僕はかなり以前から、ルールを守ることで無条件に偉いんだ、という考えが苦手であった。
それはただの権威主義なんじゃないの、と無意識に思ってしまっていた。
あるいは、もしかしてルールに責任をなすりつけているんじゃない、という偏見すら持ってしまう。
終戦を経験していなくても、ルールが突然変わることによる態度の豹変なら何度も直面してきた。
それゆえ、ルールは、まずは1度疑ってかかるべきものだ、と考えてきた。
かといって、ルールを無条件に破ることが偉いんだ、という反権力的発想も苦手だった。
しかしながら、伊丹十三のこの文章を読み、やや考えを変えた。
忠告、といってもあまり口はばったいこともいえないが、自分がパトロール・カーになったつもりで運転してみてはどうだろう。
自分は絶対違反していない、という確信から生まれる精神的な安定感、これが運転にゆとりをあたえるのです。
ref. 伊丹十三、「ヨーロッパ退屈日記」。
自動車を運転していると、僕は「周囲の交通の迷惑になっていないか」と思い、ついつい周囲に合わせた、自分には多少無理をした運転をしてしまう。
そして、マイ・ペースに車を運転している人を、心の中でなじることもほんの少しだけある。
でも、それは改めよう。
たとえ真夜中に散歩をしていて、車の往来が全くない交差点であっても、赤信号に出くわしたら立ち止まろう。
そう安易に影響され、実行している。
少なくとも交通法規に関しては、おそらく安全性を十分考慮されて作られているはずだから、とりあえず全面的に厳守することにする。
こういう風にルールを尊重することの重要性を説いてくれていれば、ルールに関する僕の見解がもう少しまともなものになっていたと思う。
余計なトラブルも回避できたに違いない。
ずいぶんと手遅れ感はあるが、今からでもたぶん遅くないので、ちゃんとしよう。
ところで、近所の駅前にある両側2車線の道路で、ワゴン車2台が併走していた、ドライバーたちの怒声とともに。