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「大石恵三」という番組がいつのまにか周知のものとなり、シチュエーションによっては「伝説の番組」と呼ばれるケースも見受けられるようになった。
後述する経緯から、ほとんどの人はこの番組をリアルタイムで見たことがないだろう。
今の中学生や高校生の世代にいたっては、番組放送時に生まれていなかった人も多い。
ここで、僕にとっての「大石恵三」とは何だったのか、を記しておきたい。
「大石恵三」の放送が始まったのは、1993年4月。
話は、その前年の1992年にさかのぼる。
僕は、深夜番組でやっていた「カルトQ」に熱中していた。
ある限定された狭い分野に関する深い知識をクイズで競う、という、僕にとっては実に心踊る番組だった。
番組本を書店に取り寄せてもらってまでして購入した。
当時、自宅に帰宅するとすぐ眠り、その代わりに深夜起きている、というクラスメートがいた。
その理由は、深夜番組を視聴するためだという。
その人の社交的な性格から推測するに、どう見てもそんな風には見えなかったので、「じゃあ「カルトQ」見てんの?」と挑発的に尋ねてみると、その人は「もちろん。うじきつよしでしょ」と控えめに答えたのをよく覚えている。
ちなみに僕はこの頃、午前1時に何となく寝始め、午前5時に目覚めてテレビをつける、という生活を送っていた。
1992年10月、「カルトQ」が日曜22時30分に放送されることになった。
いわゆる、人気があった深夜番組の格上げである。
予想通りというか、ご多分にもれずというか、番組はこの時間帯になってから半年で終わった。
その「カルトQ」の後番組として始まったのが、「大石恵三」だった。
僕としては、「カルトQ」が終わったことにかなりショックを覚えた。
しかしながら、新しいお笑い番組、そしてタイトルのインパクトもあって、「大石恵三」に納得することにした。
ところでこの時間帯、日本テレビでは「進め! 電波少年」を放送していた。
番組が始まって1年くらいで、かなりの勢いがあった。
それゆえ、多くの視聴者が「電波少年」を見ることになり、必然的に「大石恵三」の視聴率は上がらなかった。
そして、「大石恵三」は半年で終わった。
裏番組が「電波少年」だったことが、「大石恵三」の短命化、および「伝説の番組」化した理由と一般的にはされている。
もっとも、「大石恵三」の後に始まった「料理の鉄人」がヒットしたことにより、この言い訳は使えなくなった、と後の三村さんは語っている。
さて、僕も「電波少年」を見ていたのか、というと、事情は少し複雑になる。
当時、「電波少年」枠はローカル枠であり、福岡では「電波少年」は同時ネットされていなかった。
現在でも、福岡では日曜22時30分からローカル番組が放送されている。
そういうわけで、「電波少年」は土曜17時に時差放送されていた。
なので、僕はこの時間「電波少年」を見ることができず、その代わりに「大石恵三」を見ていた…。
とはならなかった。
僕が住んでいたのは、関門海峡に面する北九州である。
「電波銀座」と呼ばれるこの地域では、福岡の放送局だけでなく、山口や大分の電波までも受信することが可能だった。
ちょうどその頃、山口ではテレビ朝日系列の放送局が開局し、その関係で、山口にある日本テレビ系列の放送局では「電波少年」を同時ネットし始めた。
僕は、1週間早く見られるというアドバンテージを得たいがために、テレビのチューナーを調整し、山口の電波を受信し、「電波少年」を東京と同じ時間帯に見ていた。
つまり、僕は「大石恵三」をほとんど見ていなかった。
だから、他の多くの人と同様、僕も「大石恵三」の具体的な内容をほとんど知らない。
ただ、「大石恵三」が終わってからのインパクトはよく覚えている。
ホンジャマカとバカルディという実力若手コンビが始めた番組を多くの芸能関係者が期待していたため、それがコケた後の反動がものすごかった。
だから、終わってからの方がメディアで取り上げられる率は高かったのではないかと思う。
「ホンバカでやっている番組、調子どう?」「あれ、もう終わりました」というやりとりを、僕はテレビで何度も見た。
番組が終了してすぐ、「電波少年」のゲストにホンバカが呼ばれたこともあった。
終了してから話題になる番組、これも「伝説の番組」と呼ばれる理由の1つである。
今の若い人は、「「大石恵三」ってどんな番組だったんだろう?」といろいろな想像をしていることかと思う。
僕も、古い番組に対する憧憬というものに駆られたことが何度もある。
そして、何故その時代に生まれなかったのか、と悔しい思いもしてきた。
でも、「大石恵三」に関しては大丈夫。
ほとんど誰も見ていなかったから、安心していい。
むしろ、今となっては、記号として使うことの方に意味がある。
そして、当時の状況を正確に伝え残すことこそ、お笑い好きの年長視聴者に課せられた使命である、と僕は信じている。
少なくとも、いたずらにあおってはならない。