曇天の続き

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2010-05-03 Mon.

自律

2010-05-03

始めに弁解しておくが、以下は苦情や批判の類ではなく、過剰表現と実直な感想、そしてジョークに過ぎない。
つまり、そんなに本気のテイストで書いているわけではない、ということだ。
大型連休中の暇つぶしです。


ここ最近、寄付の要請やら会費の支払いやらの電話、DM、電子メール、テレパシーがやたらめったらやって来る。
強欲や不安につけ込む商売に加えて、善意をついたり義務感をあおったりする話がまとわりつくようになった。
そういうお年頃なのかしら。

本当に申し訳ないけど、どの申し出も一様にお断りしている。
申し出に順位付けはしたくないというのも理由の1つだが、何より、投入する資源、つまり資金と時間がないのだ。

資金については、生きていくのに本当に精一杯なものしか手元にない。
簡素な生活を送るためと、叙勲パーティーに呼ばれた時につける腕時計を買うため、毎年低下する視力に対応する眼鏡を買うため、動作が日々緩慢になっていくPCを買い換えるため、このウェブサイトがお世話になっているサーバの管理費用を支払うため、そして何より自分と自分の家族の将来のために必死で働いているのに、資金が本当に足りるかどうかわからずに、不安でいる(重ねて申し上げますが、儲け話もお断りします)。
ここまで意固地に考えるようになったのは、ひとえに社会保障システムに対する不安を必要以上にあおられたのが原因である。

時間についても、僕に残されている時間はほとんどない、という認識に達している。
課せられた職務の遂行以外に人のために使う時間は全くないことを、もっと早く自覚するべきだったのだろう。
仕事はそこそこにして、自分と自分の家族のために時間を使うのが本筋であった。

必要以上の金を稼ぐために仕事をするのは、単に他の人から仕事を略奪するだけの行為のように思う。
一概に言えることではないが、人のためを考えてボランティアに従事するよりも、SASUKEに人生を投じる方が、もしかしたらライフスタイルとしては本来の姿なのではないか、とまで最近の僕は考えるようになってきた(SASUKEに関わること自体が、どこかの放送局に対するボランティアになっている気はするが)。

もちろん、この社会において相互補助が必要なのは理解している。
それゆえ、税金や社会保障費を必要コストと認識して、収入に似合った額を少ないながら毎年支払っている。
そして、税金の使い道についてほとんど口出しすることもなく、民主主義の合意形成システムが機能していると信じ、それにほぼ完全に委ねている(そして、選挙権を行使している)。
ましてや、特別に優遇された公的資金援助などもほとんど受けてはいない。

それでも、多くの人は資金や労力の拠出を求めてくる。
「まだまだ十分とは言えない」って言われても、ほとほと困ってしまう。
多くの人はリターン(心の安定、帰属意識の獲得、人脈形成、施してやった感)があることを強調するが、僕にとってそんなものはリターンでも何でもない。
「紺綬褒章」を欲しがることに反対はしないが、せめて授与のシステムに税金は投入しないで欲しいと真剣に思う。
それに、お金で自己実現なんて果たしたくない。
まさか、僕の寄付金控除枠を本気で狙っているのか。
それでは、本末転倒だろう。

このような矮小で偏向的な人間である僕が他人に対してできることは、本当に限られてくる。
それは、自分の身を自分で守ること、他人の領域を侵さないこと、他人に極力迷惑をかけないようにすること、といった程度のことだ。

自分のキャパシティを超えるような大きなことをしようとすると、決まってほころびが生じ、結果的に他人に迷惑がおよぶ。
それより、自分のできることをしっかり見極め、自分のことをできるだけ自分でこなしたほうがいい。
それが実は誰の時間も費やすこともなく、誰を失望させることもなく、結果的に人のためになっている気がする。

もちろん、自分ひとりではできないことがたくさんある。
できていないことについては、税金や社会保障費を支払って行政に委託するより他ない。

そこまでして、それでも余剰な資金が生まれることがあれば、僕はいの一番にユニセフ国際親善大使の黒柳徹子さん名義の銀行口座に直接振り込むことにしよう、と考えている(改めて言うことではないが、日本ユニセフ協会にではない)。
20年ほど前に徹子さんのモザンビークからのレポートを見て以来、その考えはほとんど揺らいだことはない。
心が揺らいだのは、ベナン共和国へのサポートを目立たないところで10年以上続けている1人の有名人の活動を知ったたときと、多大な恩恵を与えてくれるウィキペディアが寄付を募っているのを知ったときぐらいだ。
他のことに手出ししている余裕は、残念ながら僕にはない。
実際「24時間テレビ」を毎年見ているけど、最初に抱いた考えはほとんど揺らがないし、忘れることもない。

時間について言えば、今後余剰が出ることはなおさらないように思える。
万が一時間が余ることがあれば、神の御言葉が書かれたパンフレットを持って、あなたの玄関先を回る時間に充てたいぐらいである。


…とまあ、ここまでは完全なる長い前置き。
本当に言いたいことは次のことだけ。

2010年1月に行われた、北九州角打ち文化研究会(角文研)5周年記念イベントについてだ。
この記事に出ている、

角文研は、会費も会則もない緩い「組織」である。「鉄の結束」もなければ「しばり」もない。
でも、このようなイベントを企画し実行してしまう面白い集まりである。

に、かなり大きな感銘を受けた。
僕は角文研のメンバーではないし、今後もメンバー申し込みすることもないと思う。
それでも、心の中では1メンバーであるつもりである。
金は出さない、口も出さない、たぶん協力もできない、でも遠く離れた地から応援だけはしています。
ちなみに、僕は「勝手連」というのが苦手です。

さて、これから自分のことをするために時間を使うことにしよう。
さしあたっては、ハイチに送る千羽鶴を折ることにするか…。

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