曇天の続き

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2010-03-17 Wed.

外聞

2010-03-17

福岡市の能古島で女性の遺体が見つかった事件。
僕はこの事件を少し注目して見ている。
事件が福岡で起こったこと、能古島という凄惨な事件とは似つかわしくない場所で遺体が見つかったこと、そして被害者の年齢が僕のそれと近いこと、そういった理由から。

被害者はインターネットの会員制サイトに書き込みをしていた、との報道。
その書き込みの内容から、被害者はあるトラブルに巻き込まれていた、とのこと。
福岡県警はその事実を把握している。
ただし、そのトラブルの関係者と事件との関連については、(僕がこの文章を書いている時点では)報道では触れられていない。

僕は、こういう話が起こると常に思うことがある。

インターネットで自らの情報を公開することは、万が一の場合、マスメディアのエサになる可能性がある。
その情報の真偽にかかわらず、事件との関係性の有無にかかわらず、報道の材料として利用される。
マスメディアは特に取材することなく、事件と関係づけを探り、時に強調して報道する場合がある。
そして、それがあらぬところに影響を及ぼす場合がある。

マスメディアが調査しなくても、同じことは特別な情報網を持たない一般の人でもできる。
はっきり言うと、僕でもできる。

直近の例だと、未成年が引き起こした殺人事件がある。
被害者の実名が報道されたのがきっかけで、その人が作ったプロフィールサイトやブログが既に見つかっている。
そこからたどると、加害者らしき実名もわかる。
本当に加害者かどうかはそれだけからでは不明だが、その情報から「これが加害者だ!」と断定しているサイトを僕は閲覧したことがある。

何事も起こらなければ、会員制サイトの書き込みなんてただの日々の出来事の羅列かも知れない。
そして、そういう人は誰も、「自分から事件を引き起こすわけなんてない」と思っていることであろう。

しかし、残念ながら、事件の被害者に巻き込まれる可能性はある。
そして、事件が話題になった段階で、自分がネットに放った情報は大きな価値を持ち始める。
その情報は、自分の意図しない形で注目を集め、時に悪意的に利用される。

もっとも、自分から公開しているものなのだから、何も文句は言えない。
それに、マスメディアの仕事は、事実や情報を収集して報道することだ。

今回の報道も、「こういう情報が書き込まれていた」という事実を伝えているだけに過ぎない。
つまり、ネットの書き込みはもはや1次情報として取り扱われている。
真偽も、事件の関係性も、全く伝えていない、判断は受け手である視聴者側に委ねられている。

情報を使われたくはないのに、マスメディアの仕事を手伝う、つまりマスメディアが欲しがりそうな情報をばらまく必要はたぶんないはずである。
その危険性をマスメディアが特に強調していない気持ちは、何となくわかる。

情報に公平にアクセスできるようになることは、たぶん望ましいことなのだろう。
一方で、公開のレベル・コントロールは重要である。
大手とはいえ会員しか見られないサイトの書き込み情報を、事件の関係性がわからない段階で報道するのが正しいことなのか、僕にはかなりの疑問だけど。

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