曇天の続き

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2009-07-15 Wed.

書式

2009-07-15

パブリッシュメントストアに…、書店に行った。

子供たちは、そしてもうすぐ夏休みである。
書店には、自由研究の本コーナーや読書感想文コーナーが設けられていた。

僕は、読書感想文というものを苦手としている。
子供の頃から作文が苦手だ。
この文章をお読みになってお感じのように、文章力が欠如している。
作文の中でも読書感想文は特に苦手だ。
読書は苦にならないが、感想を求められるのが苦痛に感じる。
文章を細かく読まないので、読み終わっても感想を持たないことが多いからだ。

一応、本は読む。
その後、読書感想文に何を書けばいいのかがわからない。

あらすじを書いたら、「内容をそのまま書いてはいけない」とダメ出しを受けた。
「おもしろかった」と単に書いても、「何が面白かったのか?」と問われた。
「主人公に同情した」と書いても、どうもダメらしい。
自分の具体的なエピソードに本の内容を重ね合わせるのがいいらしい。
読書感想文は批評ではないので、ストーリーが甘いとか、内容が独善的だとかを指摘するのもNG。
一度、あまりに共感できない内容だったため、読書感想文の大半を自分がその課題図書を手に取るまでの葛藤について費やしたところ、教師にこっぴどく叱られた。
確かに、それは叱られる。

じゃあ、どんなのがいいんだ、お手本もないのにダメ出しされてはかなわない、自分のオリジナルの感想を素直に書いているのに。
そう思って、読書感想文コンクールの優秀作を読んでみた。
すると、確かに立派な文章で感想を仕上げてある。
とても構わない。
そして、無力感に包まれる。

そんな僕にぴったりなのが、書店で見つけた「必ず書けるあなうめ読書感想文」というツールである。
様々な本の内容に対応できる読書感想文のフォーマットが既に用意されており、そのフォーマットにはところどころ空欄がある。
その空欄に、読んだ本の登場人物の名前やエピソードを埋めていけば、読書感想文の完成である。

ぼくは、「(登場人物の名前)」の「(エピソード)」はすごいなあ、と思いました。というのも、ぼくも同じようなことを経験したことがあるからです。

みたいな感じ(詳細はこちら)。
子供の頃からこのようなフォーマットに接していれば、将来有能な事務員になるだろう。
(注:子供たち全員がこれを使えばいい、と言いたいのではない。感性の豊かな子供や、文章を書くのが好きな子供は、好きに書いてもらえばよい。一方で作文の苦手な子供もいるので、そういう子供が無駄に悩むことがないようにするために、これを使えばいいと思う。)

そのうち、「あなうめ読書感想文」のウェブサイトができるかもしれない。
学年と組と氏名と適切な語句を入力すれば、自動的に完成された感想文が原稿用紙の枠までレイアウトされPDFとしてダウンロードできるのだ。
子供たちは、そのPDFを印刷して、担任に提出。
いや、データのまま担任に提出し、担任はそのデータを「作文添削ソフトウェア」にかけ、添削する。
そのソフトウェアには「複製探知機能」があり、「あなうめ読書感想文」ウェブサイトで作成された感想文を見抜いてしまう。

…に近いことが、既に大学のレポート提出の現場で行われている。
社会人のプレゼンテーションでもお手本本が散乱しており、似たようなことは起きていると言える。
大人たちは「あなうめ読書感想文」を一概に否定できない。
文明は進化しており、我々は先達の功績をありがたく利用するべきなのだ。

というのが、「必ず書けるあなうめ読書感想文」の読書感想文である。
これで、先述の教師も納得してもらえるだろうか。

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