曇天の続き

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2009-04-19 Sun.

地縁

2009-04-19

僕が卒業した小学校に、原千晶が一時期いた。

たぶん原千晶の弟と思われる男が、僕のいたクラスに転入してきた。
確か何ちゃら生命の社宅に住んでいた、はずである。
2年も経たずまた転校していった、と記憶してる。

その原千晶の弟さんが、2009年4月10日に結婚されたようである(原千晶 BLOGによる)。
彼女のブログにはコメントを残せないので、この場を借りてお伝えしたい。
結婚おめでとう。

以前書いたとおり、原千晶は転校してきた小学校でいじめに遭い、前の学校の同級生に励まされた、というエピソードを「24時間テレビ」で披露していた。
その転校した先のいじめに遭っていた閉鎖的でよそ者に冷たい小学校こそ、僕が通った小学校である。

ところで先日、レトロの街、門司港に行った。
九州鉄道記念館を訪れるためである。
車両が多く保存されており、門司港駅の風景も合わさって、なかなかいい施設である。

「門司港発祥」と宣伝している焼きカレーも食した。
こちらもなかなか美味しい。
ただ、夏には食べられないな、と懸念。

それにしても、小倉から門司港に行くまで10kmちょっとしかないのに、なぜ「ナフコ」を3店舗も見ることになるのだろう。
(「ナフコ」とは小倉に本社があるホームセンターである。車で走れば「ナフコ」に当たる、それが北部九州あるある。)

その後、「海峡ドラマシップ」という建物に行った。
いわゆる「ハコモノ」である。
無料利用できる箇所だけめぐったが、期待してなかった分、少しは楽しめた。
展望スポットから、対岸の下関にある「ナフコ」もよく見える。
建物の中には路面電車の張りぼてが展示されていた。
そばで女性が子どもに向かって、「昔は本当にこんな電車が走りよったんよねー」と述懐していた。
僕も電車が走っていた頃を懐かしく回想した。
ただ、駅から少し歩くのが難点である。

で、本題だが、その施設に有名人の手形が展示されていた。
テレビの取材などで訪れた有名人が、紙粘土みたいなものに手形を残していた。

その中に、あの原千晶の手形があった。
そこにはコメントも添えており、ちゃんと「○○小学校出身です」と、僕が卒業した小学校の名称が記してあった。
彼女は確かに在学していたようである。
よかったら、見に行ってください。

しかしながら、「原千晶の北九州バナナ」ってどんな番組だったのだろう。
1秒も見ないまま、番組が終わってしまったことが実に悔やまれる。
DVD化を期待して、市に掛け合ってみよう。
まあ、今出演している昼ドラすら見ることができないでいるけど。

その一方で、原千晶は帯広市観光大使に任命されて、喜んでいる。
誰しも、生まれ育った土地を大切にするものである。

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