曇天の続き

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2024-03-16 Sat.

焦灼

2024-03-16

まずは、体調から。

2月の雪の日、滑って転んだ。
履いている革靴の底はつるつるだし、体の重心は高いし、で、雪が積もれば必ず足元を滑らせ、時折転ぶ。
それもここ最近は、人に心配されるような転び方をしてしまう。
今回は、尻もちをつくことはなかったものの、その理由は、左手をつき体を支えたからである。
そのつき方も、肘を伸ばしたまま手を地面につけたため、左肘に激痛が走った。
この手の転び方はもはや高齢者がするもののようで、骨が折れていてもおかしくはなかった。

次に、目やにが出てきた。
朝起きると、目に春霞がかかっており、一句ひねり出したくなる。
顔を洗っても目やには取れず、昼までには視界が晴れてくるが、夕方になるとまた目やにで目が開かなくなる。
目がしみるように痛く、何も見たくない。

そのうちに、鼻水が出る。
子どものころの僕は終始鼻炎気味だったが、都会から放り出された後は、その兆候が落ち着いている。
ところが、いったん鼻の調子が悪くなると、昔取った鼻柄か、鼻水がひっきりなしに出てくる。
普段隠れていた鼻の実力が本領発揮するようで、ゴミ箱がすぐにいっぱいになる。
都心で僕と同じように5箱1パックのティッシュを手に提げてオフィスまでの道を歩いている人を、見たことがない。

鼻水の取りすぎなのか、頭が痛くなる。
こうなると、もう寝るしかない。
きっと関係があるのだろうが、のども痛くなる。
こちらは、常にのど飴をかみつぶすとともに、就寝時に口を閉じるように紙テープを貼り、鼻呼吸を強制することで、痛みは緩和する。

身体がぼんやりして、左脚につるような痛みがあるな、と思って週末寝ていたら、やはり38度近くまで発熱した。
風邪の症状が始まって、熱が出るまで、大体1か月くらいかかる。
発熱すれば、まあ調子は良くなる。

そうすると、周囲にインフルエンザにり患した人がいることが判明した。
素知らぬ顔をして過ごす。

そして、今もまだ左肘が痛い。
1月は、左肘が蜂窩織炎にかかり整形外科に行ったわけだが、今回は特に腫れもなく、整形外科には行っていない。

そんな感じで、家に閉じ込められている状態。
いい機会なので、映画「お引越し」を見る。
ビデオオンデマンドで、330円。

前回見たのは、2011年8月2日。
日本映画専門チャンネルで放送されていたのを、録画して、見た。
その時の感想は残っていなくて、感想の記憶もあまりない。

あの時見たときは、田畑智子はずいぶん大人だな、と思った気がするが、今見れば、やはりそのまま最後まで子供であり、それは救いである。
自分の状況と気持ちをストレートに表現できていて、それでなんで望んだとおりにいかないのか。
それが間違っているのか、そういうものなのか、今回はよくわからなかった。

映画なのだから当たり前なのかもしれないが、1つのシーンに複数の視点が描かれていて、見ている方としては全く答えを出せない。
だったら、登場人物は、やはり思うがままに行動していればいいのだろう。
たとえ、大事な人の期待に応えられないとわかっていても。

レンコが風呂場に立てこもろうとしているところで、強制的インタミッションが入り用事を済ます。
4時間ほど間を開けて視聴を再開したが、レンコが立てこもるに至った筋が何だったか思い出せない。
少し巻き戻し…、戻して見て、何とか思い出す。
でも、中断したから前のシーンを覚えていないことに気付いただけで、流れてみていてもやはり見ている先から前のシーンを忘れているのかもしれない。

後半からは琵琶湖の祭りへと移るのだが、僕が「祭り」の概念を苦手としているせいもあり、祇園祭の描写も含め、十分な理解を得たとは言い難い。
希望というものを、親がかなえてくれるものから、自分で獲得していくものだと自覚することで、親の存在から離れていくことになる。
一方で、この年になると、時代の流れと親とのトランスミッションを自分が担っていく必要を感じる。
必要はこっちが一方的に感じるだけで、必要とはされていないのも分かっている。
この辺りは、「あ、春」にあったかな、と思う。
以前見たときは「祭りを描く撮影は大変だろうな」と思った記憶があるが、今回は「映画なんだから、これくらい燃やしても大騒ぎすることではないか」というくらいに思った。

揺るがないと信じられていた「役割」が変容していく時期だった。
それを千年の都・京都で描いているのだから、人の営みは小さいものだと思う。

相米作品を見ると、現実に戻ることがかなりつらくなるものだが、今回はそうでもなかった。

で、もう1本は「渇水」。
映画館で見たかったが、タイミングが合わず、今に至る。

不幸で暗い映画が苦手で、できるだけ避けているのだが、今回もつらかった。
結末は小さな話だったが、それくらいのことしかできないところにも、なんだかリアリティを感じた。
閉じこもるのは魅力的で理にかなっている気もする一方で、身をさらすことの心細さも大切にしていきたい。
「最後は全部うまくいく」などという甘美なささやきから耳をふさぎ、無力な身を抱えながら小さな問題を1つずつ解決していく。
最近、西野亮廣の借金への対処法を知り、「焼け石に水」とはまさにわが意を得たりと思った。
すがらず、祈り、逃げ切る。
河林満、髙橋正弥監督作品をウィッシュリストに足す。

合理的な考え方を進めていけば、当然自分の居場所もなくなってしまった。
自分はそれでいいとしても、社会に対しては考えを改めた方がいいのだろう。

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