曇天の続き

Diary > 2024 > 03 > 02 | Prev < Calendar > Next | RSS 1.0
2024-03-02 Sat.

黒標

2024-03-02

NHKのインタビュー番組に、光石研が出ていた。
撮影場所は、再建された小倉昭和館。
自分の記憶は20世紀末のものなのであいまいだが、通りに面した建物だけを見ると、元に戻ったようにすら感じた。
建ったからには、続くことを願うし、いずれにせよ、自然な形であってほしい。
「漁師の格好をして本物の漁師の人の中に紛れていたら、スタッフに気付かれなかった、これが高倉健さんだったらオーラで気づくだろ」というエピソードがよかった。

懐かしの「みんなのうた」で「恋するニワトリ」がかかる。
子どものころに聞いていた時は、「なんでひとりで卵を産めるんだよ」と独り言ちていたが、今となっては「無精卵か」と合点がいく、かのようにつかの間思った。
改めて聞くと、やはり谷山浩子的怖さは感じつつも、歌の終わりのアニメーションで卵が産まれ、その卵が孵化するところまで描かれている。
谷山浩子の怖さをアニメーションが超え、子供のころに感じた怖さを塗り替える必要がないことに思いが至る。
まっくら暗い、暗い。

そういえば、すっかり「ブギウギ」を見なくなった。
朝ドラの出演すら、映画のプロモーションの位置づけだったのでは、と猫娘につままれた気になる。
記事から察するに、世間の代表作は今も、「がんばっていきまっしょい」であり「なっちゃん」であるのだろう。
それはそれですごいことなのだが、じゃあ、僕は代表作をどう考えるのか、と振り返ると、本気で「ドラッグストア・ガール」かもしれないな、と落胆する。
…考え始めたら、30分くらい経過してしまった。
もう出かけないと。

「TRAiNG」の後、市ヶ谷駅で南北線に乗り換え。
いつものように、史跡とその案内の展示に立ち止まり、日吉行き。
麻布十番駅に到着。
駅構内にはポスターが貼っている。
有志の方々が推しの女性アイドルの誕生日を慶祝するポスターのようだ。
公共の場では口に表せないような思いが体内をうずまく。
僕も同じようなことをしているかもしれない、ていうか、すぐ上でしている。

ラーメン屋の前には3人の行列。
休日でも雨だからこれくらいの列で済んでいるのかもしれない。
このラーメン屋は都内の別の場所にも店を出しており、そこの方が行きやすいのだが、いつも混んでいるので、今日はここまで来た。
それでも、本場にある本店は大行列店であるそうで、こちらはまだまだ穏やかな方だ。
もし行列が長かったら、近くの久留米ラーメン店に行き、田中麗奈さんのサインがないか探すところだった。

ここはラーメンもチャーハンもおいしくて、両方とも並を頼むと、約1.5K円の出費。
こういう時代だし、控えめに言って外食産業は負のスパイラルに入っているのかもしれず、時間も金もない僕は途方に暮れる。
厨房では、店員が店員に指導を受けていて、苦しい気持ちになる。
今シーズン、「清水の舞台は何千人載っても大丈夫」を考える気持ちで、思い切ってアウターを買ってしまった。
このアウターが汚れないように気を遣ってしまうため、今冬、気軽にラーメン屋に入ることができなくなった。
この日も寒くて着ていったのだが、アウターを裏返すようにたたみ、窮屈な気をしながら食べたので、落ち着かない。

腹ごなしに、雨の中を歩く。
自分の生活では見慣れないランクの車が、飯倉に向かって坂を上っていく。
どうやったらこんなに金の回ってくる環境にたどり着けるのか、そもそもこんな、まいばすけっとで心を整えることしかできない街で暮らすことで僕の気持ちは充たされるのだろうか。
首都高速を街宣車が通過し、今日が天皇誕生日であることを思い出す。
雨の中の一般参賀は、ご苦労様である。

麻布台ヒルズのレジデンスB棟を見上げる。
まだ建設中で、これを作るだけで、利益はおろか大谷翔平の5年分の年棒が損失として計上されるのだから、こちらの方がよほどご苦労様である。
そういえば、「弥生時代からプレーしても達成しない数字」とか言い放った人は、今どう扱われているのだろう。
大谷翔平はきっと、「お前の5年は俺の1年」などと品のないことは言わないだろう。
メーカーを渡り歩いてビールのCMに出ていることこそ人間性を信頼できない証、と僕は思うのだが、これは広告代理店のせいだし、そもそもアルコールを摂取しないとも聞く。
いつか言おうと思っていたが、今言えてせいせいした。

外には人がほとんど歩いていなかったのに、森JPタワーに入ると、人が密集している。
14時過ぎでもレストランは満席だし、店の前に長い行列ができている店もある。
みんなトレンドに敏感なのだろうし、東京の2、3点の行き来しかしていない自分に嫌気がさしてくる。
そして、見渡しても、金のない中年男性の単独行など一切ない。
どういうスキームを組めば、真の美女を連れて麻布台ヒルズ内を闊歩する暮らしを手に入れるのだろう、と5秒間悩む。
高級本屋があり、「美しくありたい」という本の横に、美しい有村架純の写真集が陳列されている。
なんというか、競争ではないものの、エントリーも慎重にしなければなるまい。

桜田通りに出て、北上する。
歩いていてよく思うのだが、ある方向に向かうためには、歩く道を1本しか選べない。
細い脇道も面白そうで、気がそそるにもかかわらず、一度に複数の道を歩くことはできないので、いつも脇道を断念している。
脇道を選ばなかったことで、大事なもののそばを通っているのに、出会わなかったものどももあるのかもしれない。
一瞬一瞬が選択であり、出会いは偶然なのだ。

などと、考えつつ、結局のところ地図を見ながら歩けばいいのだ、と気付き、スマートフォンを見、小さな段差につんのめり、虎ノ門ヒルズに到着。
知らないうちにステーションタワーもできていた。
地下に潜り、虎ノ門ヒルズ駅。
駅もほぼ完成したのだろうか、両サイドのビルの地下がガラス越しに見えるようになっていて、まるで建物の中に駅が内包されているように感じる。

思うに日比谷線も、20世紀末に抱いていた僕の印象とは異なり、「近代化」されたように思う。
車両も変わったし、駅もきれいになったし、沿線も開発された。
日比谷線VS銀座線も、当然令和バージョンに書き換えられなければならない。
「終点が浅草で、今の人にわかるのだろうか」と、オチの効果について事前に逡巡したそうだ。

僕には、具体的な記憶がほとんど残っていない。
具体性を好まず、抽象的なルールに昇華させ、現実をやり過ごしている。
残っている記憶とは、自分のみっともなさと、それが引き起こし身に焼き付いている災厄だけだ。
「ラッキー、ハッピー、ウィッキー、リッキー、リッチョーワイド…」と誰かが唱えているように聞いたが、僕には幸福と思えることが皆無であった一方で、間違いなく幸運に恵まれていたと思う。
自分単独では到底処理できなかった出来事がやり過ごされ、思いがけない偶然に数知れず助けられてきた。
そして、認識しがたいが、僕にとっては、幸運こそが幸福なのであろう。
現在地をないがしろにしてはいけない。

日比谷線を降りて、古い階段を上って地上に出、さっき提言した「近代化」を撤回して、店に入る。
実はこのところ、IDカードを首から吊るすためのネックストラップを探している。
今使っているのは、何年も前に買ったもので、よく見ると薄汚れている。
もう何軒も店を回っているのだが、気に入ったものがなく、ここまで来てしまった。
この店も、ストラップ部分はいいのだが、金具がホルダーを挟むタイプで、これでは脱落の可能性がある。
今日も買えなかった。

混雑するコーヒーショップに席を見つけ、読書。
ビートたけし「頂上対談」。
強烈な光で今を焼き付けることの必要性が、その時にはわかりづらい。

休日夕方の日比谷線を、THライナーが通り過ぎる。
乗客は、全車両合わせて20名くらいだったようにも思える。
きっと、上野でたくさん乗るのだろう、そう信じたい。

ランダムで選ばれたのは、土岐麻子のアルバム。
素晴らしいものがあふれているのに、そこから距離を置こうとしているのは、ふいに包まれる輝かしい瞬間に、必死で持ちこたえてきたつまらない現実がさらされ、もろく崩れていくのが耐えられないからであろう。
ストーリーのつまらなさは、主人公がどうしようもないキャラクターであるからだ、ということは嫌というほどわかっている。
当然ながら、この話から抜け出すことはできない。

Link
Diary > 2024 > 03 > 02 | Prev < Calendar > Next | RSS 1.0