竜神
上島竜兵61歳。代表作、これといってなし。
「代表作がない」とは、これほどにも重い言葉だとは気付かなかった。
自分の城を持たず、あらゆるお笑いにかかわり、多数の後進を導いた人。
その笑いは国内にとどまらず、はっぱ隊の代打要員としてアメリカにも行った。
僕が見てきたお笑いの歴史。
そのほとんどにつながりがあり、すべての時間に存在している。
1本の木の根が土の中でつながっていて、その木が奪われたことであらゆる箇所のの土の表面がめくられ、傷を負っている、という感じがしている。
あるいは、これまで楽しんできたお笑いのすべてが強引に裏返しにされそうな感じ。
そんなことは決してないので、必死に抵抗している。
TVを見始めた最初からのスーパースターというのとは違い、TVに出てきたころからその過程を見ているわけだ。
突然で、しかも思いもよらぬ形で、しんどい。
訃報を知った電車内で、隣の人のスマートフォンではNHKプラスで「あさイチ」が放映されていた。
音は聞こえないが、普段と変わらないであろう画面を見て、心が締め付けられる。
きっと、「ラヴィット」も普段通りに放送しているのだろう、たぶん「ヒルナンデス」も。
お笑い芸人は、笑わせることが仕事である、今も、これからも。
軽率な行動を後悔することになるかもしれないが、現時点の感想を率直に記す。
今日まで「お笑いファンは、お笑い芸人の姿を見て笑っているのがよく、それが最大の応援と尊重である」と信じてきた。
今でもそう思いたいのだが、もしかしてそれは間違っているのだろうか。
いや、それが成立していなければ、その人はお笑い芸人ではないのではなかろうか。
それでは、お笑い芸人ではなくなっていたのだろうか。
そんなわけはない!
もしかして、お笑い芸人は自分から辞められないものなのだろうか。
いや、本人が望むのなら辞めるのは許されるものであり、やめてはいけないものは存在する。
改めて、日常の重要性を感じる。
取るに足らないようにも見える日常が人を支えているのであり、決して日常を軽んじてはならない。
「いいとも」のレギュラー経験者をこのような形で失うのも、耐えられない。
「竜兵会vs出川軍」の草野球特番、来週も箱根駅伝の山下りの裏で見られるものと、当たり前のように考えていた。
2022年のTV番組の最高峰だった。
来年の正月をどう迎えればいいのだろう、正月は来るのだろうか。
いろいろ思い出してきりがなくて、眠りにつくのも怖い。
その中で、一番強く思うのはこれだろうか。
「カットしないでね、カットしないでね」