曇天の続き

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2022-05-06 Fri.

欺律

2022-05-06

社会復帰。

さて、近頃高校における「朝課外」に関して盛り上がりを見せている。

僕は、実は「賛成派」であった。

僕が高校生の頃、入学して「朝課外」というものが存在することを知り、仰天した。
異論を言える雰囲気でもなく、有無を言わさず受け入れさせられ、毎日7時30分の授業開始に間に合うよう出校していた。
「こんなにはよ行かんでもよかろうもん」と思いながらも従順な態度を見せ、7時起床、7時10分朝食、7時20分に家を出た。
時折7時23分出発、速足で登校し、7時29分に到着ということもあった。
そう、僕の自宅は、生徒の中で最も高校に近い場所にあったのだ。

僕が高校1年の当初、自分のクラスの全員がずっと無遅刻無欠席を続けており、妙な緊張感が漂っていた。
それを家が最も近い僕が途絶えさせるのも興ざめだと、さすがの空気を読まない僕でも心得ていたので、必死で登校していた。
それがある日途絶えて、緊張感から解き放たれほっとしたことをよく覚えている。
同級生の話を聞いていると、登校時間が2時間かかる生徒もいるようで、つまり家を出るのは5時30分ということである。
僕は、近所にあるという理由で高校を選んだような感覚にいたのだが、多くの生徒はそうではなかったのだろう。
まったく、その当時の気概の違いが、今の生き方に現れている。

卒業後、他の地域の人の話を聞き、高校での「朝課外」が福岡県や九州特有の取り組みであることを知り、さらに仰天した。
全国の高校生は一律に「朝課外」を強制させているもの、と信じ切っていたのだが、それは勝手な思い込みに過ぎなかった。
まんまとだまされていた。

その一方で、だまされていなかったら、おそらく僕は地元を脱出することがかなわなかった、と思うようにした。
なので、実は感謝している、何せ普通に歩いて10分の場所に住んでいたのだし、ただだったし。

今になって、「「朝課外」は強制しているものではない」という弁明を聞き、鼻白む。
そんなことを述べる教師がいたら、もう死後の地獄行きを覚悟しているのだろう、立派なものだ。

ただ、思い返すと、「朝課外」は本当に役に立つものだったか、疑問に思う。

確か、「朝課外」は正規の授業ではなかった、と記憶する。
数学であれば、問題集を進めていたはず。
他には英語、古文、漢文があって、それぞれ教科書とは別のサブテキストを使っていた覚えがある。
数学はまだ役に立ったのかもしれないが、他の教科について「やっててよかった」ことなど、一切なかったのではないか。
それだったら、1時間余計に睡眠時間を取った方が脳のためにはよかっただろう。
でも、きっと1時間寝るのが遅くなり、「モグラネグラ」を見るくらいしかしなかっただろうが。

いやいや、せめて英語くらいはしっかり向き合い、リーディングの量を確保しておけばよかった。
こんな惨めな思いをせずに済んだかもしれず、機会を用意していただいていたのに、情けないばかりだ。
つくづく愚かだったと思う一方で、誰も得しない「伝統」の「朝課外」は早急に廃止してしまえばいい、という主張を新たにしたい。
卒業生が何か言うのなら、自分が「朝活」でもすればいい、どうせ早く目が覚めて何もすることがないんだろ。
それが嫌なら、県庁や市役所の早朝開庁でも実現させればどうか、無報酬、無空調で。

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