曇天の続き

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2022-02-26 Sat.

誰我

2022-02-26

久しぶりに、遠出する。

ラジオは「中川家 ザ・ラジオショー」。
ロシアがウクライナ領内に武力攻撃をしかけたことにより、仕事が1つなくなったのだという。
そして、プーチンとバイデンに扮して、漫才を行う。
「いったん、日本にでも行って落ち着こうや」
食事の話を挟み、「大阪のおばちゃん送り込めば、何とかなるんやないか」と提案し、最後にボソッと「ホンマ、何とかしてほしい」とつぶやく。
大阪のおばちゃんたちに事態収拾能力があるのなら大阪府から出ずに府内の医療状況の改善に努めてもらうとして、漫才師としての矜持を中川家に感じた。
いたずらに深刻ぶって語り掛けるより、自分の持ち場で仕事をしている人のほうがずっと信頼できる。

通過する杉並3駅に気付かされ、三鷹駅で中央特快に乗り換え、国分寺駅で各駅停車に乗り換え、国立駅のアナウンスで「ああ、今日は入学試験か」と気づかされ、立川変電所の線路に気付かされ、八王子駅に到着。
バスの時刻を調べておいたのだが、北口に出ても乗り場がわからない。
これからのバス認可は、共通のAPIを整備していることを条件にしてほしい、今度の選挙の争点にならないか。
行先番号が凝っていて、ちっとも要領を得ない。
目的のバスが止まっているのを見つけ、何とか間に合ったと思ったが、たどり着く少し前で中ドアが閉まった。
ドアの前に立ち、アピールしたが、バスはしばらく止まったままでドアは開かず、そのまま行ってしまった。
次のバスは、20分後。
近くに書店があったので、石原慎太郎でも偲ぶ。
バス停に戻ると10名程度のベテランが並んでおり、黙して並ぶ。
隣のご婦人は横浜から来たのだという、1時間かけて。
バスに乗り込み、席に着く。
アナウンスが自動音声であるのか、イントネーションが気持ち悪く、「これでよく採用したな」とつぶやく。
自動音声なので、「マスクを着用せよ」とも軽々しく言える。
ひよどり山トンネルに入る。
思ったより長大であり、感服する。
これで多くの人々の交流が活発になったことだろう。
トンネルを抜け、大づくりな道路をへて、細い道を進み、丘陵をかけ上る。
巨大な神殿づくりは、きっと何かを記念しているのであろう。
バスは目的地に到着。
創大な、いや壮大な階段に不要の圧倒を受ける。
僕が通っていれば心が折れ、ひれ伏し、現世でのご利益を求めるだろう。
周囲がこんなに開けていると、学究と交流の道以外には暗黒しか、僕には待ち構えていないだろう。
入場券の自動販売機に並ぶ。
自分の番が来ると、スタッフが「お困りなことがないですか」と問うてくる。
「何もない」と返し、ある事情で財布いっぱいになった小銭を片っ端から投入する。
スタッフが何か言うので、「字が読めるから、大丈夫」と答え、制する。
チケットボタンを押すと、すかさず「お釣りがございます」と横から返却ボタンを押してくる。
こんな人を雇わなくて済むために投入した自動券売機なのに、これだからいやだ。
功徳を積んでいるつもりだろうが、僕の気持ちが伝わるのなら、地獄行きだ。
この地に来る際、このような人に出会うことだけを心配していたのだが、結局不愉快な思いをさせてきたのはこの人だけだった。

きっかけは、1枚のクリアファイルだった。
先日、知人が持っているクリアファイルに、「田川市石炭・歴史博物館」の文字があるのを見つけた。
その人の出身地を知っていたので、「なぜ、こんなもの、持っているのですか」と尋ねると、田川に行ったことがあるのだという。
「なぜ、田川に」と聞くと、「ANAで航空券が当たり、どこでもいいというので、福岡に行った」と答える。
「福岡なら、他にもいくらでも行くところあるでしょ、どげんしたとや」と尋ねて、その答えはよくわからなかったが、スマホで写真を見せてくれて、そこには広い田川伊田駅構内や、二本煙突などが映っていた。
ディスプレイに映る写真について「これはこうだ」と親切な…、厄介な解説を聴衆に披露していると、「ぜひ、これをもらってください」とクリアファイルをいただいてしまった。
物に興味のない自分が珍しく興奮したものだから、不憫に思ったのだろう。
モグラのキャラクター「たがたん」が描かれているクリアファイルは、確かに欲しかった。

その流れで、田川市石炭・歴史博物館に絵が展示されている山本作兵衛翁のことを思い、ウィキペディアで情報を得た。
ウィキペディアを見る際、英語のページがあればそちらも見るようにしている。
英語版の末尾には展示会の開催について書いてあった。
2021年は「世界の記憶」登録10周年にあたり、2022年に東京で展示会が行われる。
日本語版にはなかったその情報をもとに、いつどこでやるのかと探した結果、こんな地の果て、栄光と勝利のあふれるフロンティア、エルカンターレまで足を運ぶ羽目になったのだ。
約1年ぶりの長距離移動、無事に戻れるのだろうか。

山本作兵衛展は小展示室のほうで開催されていた。
最初に、作兵衛が絵を描く際に使用した机が展示されていた。
この机の上から、永久に記憶される絵が産まれたと思うと、苦しくなる。
展示されている絵の点数は多く、時間をかけて1つ1つ、顔を近づけて見ることができた。
これまで数点の実物を見たことはあったのだが、まとめて多くの点数を見るのは、そして「母子入坑」などの代表的な作品を生で見るのは初めてだ。
丁寧に描かれた着物の柄が1着1着異なっており、画家の愛情を感じる。
炭坑夫一家の朝餉の様子など、なぜ描く必要があったのだろう、いや、作兵衛はなぜ描く必要があることに気付けたのだろう。
「弁当に入れる飯が腐らぬよう、朝には炊かず、前日の夜に炊いておいた。それでも、魚を焼くために毎朝火を起こした」といった記述は、まさに消失を免れた人類の至宝である。
筋の悪い断層を「どまぐれ」と呼んでいたとは、なんとも感慨深い。
出口付近のディスプレイに、孫である方の話がビデオで流れていた。
作兵衛が記した日記が4冊あり、ぜひともデータ化したい、記述が詳細であり、それによって作品がいつ描かれたか正確に把握できるであろう、なぜなら、作兵衛は几帳面に記録する人間であったからだ。
そのような話を聞くと、作兵衛の記憶力の良さとは詳細に記した記録に裏付けされており、記録を見返すことによって記憶が定着し、その記憶が頭の中だけでなく、紙の上で像を結んだのであろう、と推察した。
取り上げたテーマが良かったのは確かだが、それを誰も顧みようとしない、むしろ負の記憶として葬り去ろうとしていたのだから、歴史に埋もれていく運命であった真実を子供たちに伝え残そうとした作兵衛翁の偉大さが際立つ。

ぜひ、田川に行き、山本作兵衛の絵を存分に見たい。
ずっとそう考えており、金辺峠を挟んだところまで行っているのに、トンネルを抜けた先の田川にはなかなか足を運べない。
最後に行ったのは、祖父の納骨の際だったと思うから、もう10年以上も前のことだ。
まさか、322号のバイパスが開通するとも思っていなかったし、開通してからはもちろん行っていない。
墓もあるのに墓参りにも行く気にならないのは、やはり田川には山本作兵衛以外、今は何もないからである。
何もないところに自分の記憶が想起する点は確かにあるのだが、それでも行こうという気にならない。
そして、作兵衛翁の絵の実物を多くの人に見てもらいたいとは思うのだが、それだけの目的で人を田川に向かわせることはどうしても気が進まない。
今の香春岳の有様も見てみたいけれど、人にはとても勧められない。
田川伊田駅舎のホテル、まだやっているのかな。

2時間半くらい見ていたようだ。
疲れた足を進め、外に出てバス停まで歩くと、中年女性2名が涙を流している。
まさか今春に大学合格したわけではないとは思うが、ここには入り口や校舎を見て涙を流させる何かがあるのだろう。
僕には全くわからないし、一刻も早く都会に戻りたい。
帰りは、京王線。
多摩の車窓は、丘の中腹までぎっしり戸建て住宅である。
京王バスがこまめに走っているのだろうか。
中づり広告を見ると、聖蹟桜ヶ丘駅前のマンションが3LDKで5,000万円から。
もはや狂乱である。

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