笑量
生放送に続いて、再度「M-1 グランプリ 2020」を視聴した。
生放送の視聴時は実感がなかったのだが、改めて見返すと、十分に面白い回だった。
2019年のわかりやすくインパクトのある面白さと比べてしまっていたので、初回の視聴ではその面白さを認識できなかった。
決勝の下位について、言うことはたやすい。
アキナは残念だったが、単純にネタの選択が間違っていた。
十分に回収する一方で、自身の年齢を思い出して、それ相応のネタに改めてほしい。
ウエストランドは、井口さんの言葉が光っていて、見直した。
自信をもって自虐を続けることは難しく、ましてやそれを支援なく単独の力で続けていることも至難であろうが、いつか花開くことを願う。
東京ホテイソンは、月並みながら今後の期待を十分感じる出来だった。
基礎力をさらに磨き、ネタをかけていけば、爆発するネタを見つける可能性がある。
連続出場者については、どれも前回大会よりも進化していた。
インディアンス、見取り図、ニューヨーク、オズワルドが、1年間間違いなく修練を積み重ねていることが感じ取れた。
大化けしないと優勝につながることは難しく、単純な進化以上のものが求められるのだろうが、芸に対する真摯な思いは伝わってきた。
さて、錦鯉のことが世の中にどのくらい伝わったのだろうか。
錦鯉をすでに知っている人にとっては、このネタは普段のネタ番組では十分満足なのだが、大舞台としては物足りないネタであった。
見ている側の目を覚まさせるにはもっと強烈なネタが必要であった一方で、仮にその強烈さが見ている側とかけ離れたものであると、ついていけずに白けてしまう。
錦鯉については、観客が少なかったことを最も残念に思う。
ネタの追求を続け、見出だしてほしいと思う。
錦鯉とニューヨークは、最終決戦でネタを見られていれば、ひっくり返っていたかもしれない。
その点でも、審査は納得のいくものだった。
おいでやすこがには、芸の修練を続けてきた人たちが至る境地というものをまざまざと感じた。
漫才師として芸を磨いてきたわけではないのだから、いわゆる「漫才芸としてのスキル」についてケチをつけられても仕方ないと思う。
仕方ない一方で、そんなことは本当にどうでもよくて、見ている方としては笑えればいいのであり、笑いのハードルは軽々と超えていた。
僕は、おいでやす小田のネタで、ホテルのフロントに扮するネタが好きなのだが、そういうことができる人は、どんな制約があっても出てくるものだな、と感服した。
マジカルラブリーは、もうすごかった。
ガラスを割って店内に入る姿が、優勝への扉を突き破る様そのものだった。
また、扉を開いてからは、見ている側が優勝への列車にそのまま同乗してしまった漢字だ。
動きだけで長時間笑い続けさせることなんて、もうほぼできないし、村上さんが徹したツッコミが丁寧で何より心地よかった。
長尺のネタをやる場合どうするのだろう、という心配をどこかの機会で解消したい。
そりゃ、しゃべくりだけで強い芸ができれば、それは美しいと思う。
でも、当然だけど、しゃべくりだけやれば面白い、というわけではない。
圧倒的に面白ければ、演者が一歩も動かずしゃべくりだけで芸が成立しているという美しさがそれに加わり、強くなるものだ。
それほどまでに強いしゃべくりは、前回はあったけど、今回の大会では出現しなかった、というだけである。
他者の例にもれず、窮屈な大会を設ければいいのであるが、M-1はそのような大会にはならないように思う。
お笑いにとって、特に漫才にとって、2020年は本当に危機に瀕した1年であり、見ている側としては苦しかった。
夢が一旦ついえた人たちも多いことだろう、と推測する。
その中でも、M-1グランプリが開催までこぎつけられたことは得難いことであり、関係者の皆さんには本当に感謝したい。