南行
小松政夫さんの訃報が届いた。
訃報をニュースサイトで見たとき、僕は出先にいた。
周りに人がいる中で、「あーっ」というため息が止められず、涙が少しにじんだ。
まあ、いつかはそんなことがあるのかもしれない。
でも、それはずっと先のことであり、これからもこれまでと同じように、まだまだ魅了され続けるのだろう。
そんなことをぼんやりと思っていた。
しかし、よく考えてみれば、そんなことでもない。
楽観的過ぎるし、時の流れに対してもっと身構えていなければならない。
それでも、そんなことは考えたくなくて、目をそらしてしまう。
のぼせもんにはとても及ばない、ただのバカである。
十数年前のある日、突然気づいた。
「そういえば、僕が笑っている「ニンドスハッカッカ、ヒヂリキホッキョッキョ」とはなんなのだろう」と。
意味の分からなさに気づいてしまうと、そのギャグを生み出した才能の恐ろしさがよくわかる。
とてもじゃないけど、普通じゃない。
そのころ、あるウェブサイトで小松政夫のギャグがリスト化されていたのを見たが、もはや戦慄しか感じなかった。
笑ってしまうのに笑えない。
小松さんのエピソードをいくつもたどった。
NHKの番組「わたしが子どもだったころ」で知った博多での生い立ち、車のセールス時代の話、付き人をした植木等との絆、喜劇にかける思い…。
偉人と同じ郷土であるというただそれだけのつながりがうれしくて、誇りを感じた。
僕が好きなものの1つは、これもやはりというか、製材所のコントである。
これを最後に見たのは、「テレフォンショッキング」だった。
本来のネタは木材以外の物やら時に文化人を刃にかけていたと聞くが、そういうのはすでにTVではできない時代になっていた。
それだからこそなのか、大小の木材を切る描写が際立ち、そういう風刺など必要なく、単純に面白いのだと気づかされた。
軽やかにネタを始める姿がかっこよかった。
あれだけぶっ飛んでいるのに、筋を通される人柄を感じた。
ずっとあこがれの存在であり、自分の目指したい道の無限遠には、間違いなく立たれている方だ。
感謝しかない。
4月には、石村萬盛堂の3代目社長もお亡くなりになっている。
年末はぜひ、塩豆大福や鶏卵素麺をいただき、故人を偲びたいところだ。
同じ日に、横山ホットブラザーズのお兄さんの訃報も目にした。
日常の延長線上にある雰囲気で、見ているこちら側とのつながりを感じさせる笑いに、何百回も楽しませていていただいた。
無意識のうちにつらいことを忘れさせてくれたこともきっとあったはずだ。
大げさに思われるかもしれないけれど、ここまで生活を潜り抜けてこられたのも、横山ホットブラザーズの演芸に救われてきたから、と言っても決して嘘にならないと思う。
力を落としてしまうが、それでは恩に報えない。
いただいたものを忘れないようにし、先に進んでいきたい。