曇天の続き

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2020-05-21 Thu.

自覚

2020-05-21

きっかけは、下世話な話である。
1997年、某大型生放送番組の裏話を聞きたくて聴収し始めたのが、「ナインティナインのオールナイトニッポン」である。
以来23年、ほぼ毎週聴いていた。

過去形であるのは、ここ半年は毎週聴いているとは言えない状況だったからだ。
録音はしているのだが、放送された週のうちに聴くことは少なくなっていた。
「岡村隆史のオールナイトニッポン」が始まった時から感じていたことだが、同じ話が多く、時々ついていけなくなっていた。
それでも聞いていたが、近頃は、他のラジオ番組を優先して聞くようになり、疎遠になっていた。
明確に「飽きた」というわけではないが、それを「飽きた」と呼ぶのなら、そうかもしれない。

発言のあった放送回はまだ聞いていない。
たぶんもう、その回は聞かないと思う。

その後の3週の放送回は、聞いた。
一部のスポンサーが自粛しているのかは知らないが、ACジャパンのCMで埋められている様子を聞くと、ACジャパンの理念こそこの番組が生み出した発言とはそぐわないものなのにな、と思う。

一番しっくりきたコメントは、「やはり」という感じだが、ダウンタウンの松本さん…松ちゃんの発言である。
つまり、「2時間1人で生放送でしゃべり続けるのは、リスキーである」ということだ。
やり取りや牽制がないと、考えは偏った形で先鋭化していく、という意味合いで、深く共感した。

改めて気づいたのだが、1時間を超えるラジオの生放送で、1人で話し続けるような番組は少ない。
特に、中年を迎えた人がやっている例を思いつかない。
またお笑いビッグ3の話になってしまうが、タモリさんも、たけしさんも、さんまさんも、ラジオ番組では話し相手がいた。
鶴瓶さんもそうだし、その他いろいろな人を思い出すのだが、見当たらない。
そうやって、自発的にリスク回避できているのかもしれない。
1人で長時間生放送をやっているのは、クリス・ペプラーと別所哲也、そして小林克也くらいではないだろうか、聴いたことないから知らんけど。

「岡村隆史のオールナイトニッポン」は終わっていい、というより、終わらなければならない。
すでに世に放たれた発言は公の場に出せるようなものではなく、それを生み出した「特殊な形態」で放送を続けてはならない。
自分の発言で、自らとどめを刺した、と理解している。
今回は、明確に「打ち切り」である。

「ナインティナインのオールナイトニッポン」の復活を手放しで喜ぶ気にならない僕は、ヘビーリスナーではないのかもしれない。
それでヘビーリスナーと認められないなら、それでいい、と僕は思う。
そもそも、こちらはただのリスナーにすぎない。

その上で、コンビでラジオをやる、というのも大変だろうな、とは思う。
ここは、あるべき姿として、録音放送ではあるが、「世界の快適音楽セレクション」のゴンチチのような感じを目指せばいいかと思う。

ただ、これでは元に戻っただけにもなりかねない。
もっと外の刺激を受け入れてほしい、と本心から思う。

ファンとしては、反省を重ね、時間をかけてゆがみを修正してほしい、と願う。
また同じことをすれば、反省してないとみなす。

その一方で、これは、芸能界の出来事である。
支持を得られなければ、代わりはいくらでもいる。
聞き手としての覚悟は、いつでもある。

改めて思うが、受け入れることのできない発言であった。
そして、多くの人も同じ思いを抱いたことが、今回わかった。
この発言が示唆するような事態にならないことを、僕は心から願う。
僕も含めて多くの人たちが、その思いに基づき今後の言動を続けていくのだ、と信じる。

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