曇天の続き

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2020-03-30 Mon.

英雄

2020-03-30

月に1冊、小説を読むことを決めている。

2020年2月。
この月も義務として小説を読もうと、事前にkindleに電子書籍を1冊ダウンロードしていた。
朝、電車内でスマートフォンを出し、その小説を読み始める前にニュースアプリでニュースをチェックすると、1つのエンタテインメントニュース。
僕はその記事を読んで、その場でkindleで電子書籍を1冊買いダウンロード、そして読み始めた。
年末に公開される映画を必ず映画館で見る、と心に決めて。

今日、移動中の電車内で、志村けんの訃報を知った。

何かやっているときは気にならないが、ふと時間が空いてしまうと、思い出してしまう。
何回見ても面白いのなら、過去のものを繰り返し見ればいいのかもしれない。
でも、同じものを新しくやる姿は、もう見ることができない。

お笑いを真剣にやる姿を、それが真剣であればあるほど、悲しく見えてしまう。
そんな時が来るとは、実感がなかった。

僕が志村さんで一番好きなのは、「いいとも」の「テレフォンショッキング」だ。
「明日、ゴルフだから」と言って、電話越しにゲスト出演を断った、というエピソードについて、あれは本当なのか、ネタなのか、それともコントなのか、タモリさんへのプレゼントなのか、茶番に対するアンチテーゼなのかと、答えにたどり着かない楽しい考察を交えて、友人と何度も話した。
そのあと、21世紀になって本当に「テレフォン」に出演して、スマートフォンとLINEスタンプの話をしていた。
志村さんは過去にタモリさんを評して「笑いの方向性が違う」と言っていたけれど、実際はタモリさんとの会話が面白く、フリートークの名手だとわかり、楽しかった。
だから、僕はコント以上に、志村さんのトークを見られる番組が好きだ。
特にロケ番組で、志村さんが一般の方、その中でも年上の女性と会話をしているのを見るのが楽しい。
志村さんはどこに行っても人気がすごくて、志村さんこそ本当のスーパースターだ。

ただただ、感謝しかない。

志村さんの笑いでたくさん笑った、というだけではない。
志村さんの先輩の笑いの中で志村さんは修業し、そのエッセンスを受け継ぎ、そして志村さんの道を追求した。
その姿に対抗する形で、同年代のライバルも笑いの腕を磨いていった。
そんなライバルも、後年になれば、たけしさんや鶴瓶さんにみたいに番組で共演して、楽しそうに番組をやっていた。
そして、志村さんの笑いを見て育ち、影響を受けた人たちが、やがて次の世代のお笑い芸人になっていった。
その人たちがまた新しい笑いを作り、時に志村さんと共演し、志村さんの笑いに磨きがかけられた。

志村さんがいたからこそ、志村さんの笑いがあり、志村さんの笑いを見た人たちが作る笑いがあった。
それらを、これまでたくさん見ることができたのだ。
感謝しかない、本当に感謝しかない。
ありがとうございました。

夜、たけしさんが、さんまさんと所さんと一緒に番組に出ていて、「感謝状コント」をやっていた。
その中で、「草葉の陰で亡くなったタモリも喜んでいる」というくだりがあり、はっとした。

ここ20年は、志村さんを見かけたら、僕は必ず「志村けん死亡説」に言及し、「死亡説」が出た当時の状況を何度もなぞり、そのくだらなさに笑った。
お笑いのネタが、お笑いのネタにならなくなるのが、つらく苦しい。

いや、僕は「死亡説」を信じない。
これからは、「志村けん生存説」を信じていくことにしよう。
今も志村さんは生きているし、これからもずっと覚えている限り志村さんは生きている。

いいとこだ
いいとこだ
さよならするのはつらいけど
時間だよ
しかたがない
次の回まで ごきげんよう

次の回も一生懸命頑張ります ごきげんよう

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