曇天の続き

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2018-09-08 Sat.

CTPP

2018-09-08

新宿から、八幡山へ向かう。
各駅停車でそこそこの時間を乗ったはずだが、運賃は154円。
この値段感覚がすっぽりと抜け落ちている。

改札前には、関東学院大学のポロシャツを着た集団がいる。
京王リトナードを冷やかし、駅から赤堤通りを南東方向に歩くと、松沢病院。
さらに歩き、大宅壮一文庫のある角を右折。
住宅街を不審者に間違われないように堂々と歩き、明治大学のグラウンドの横を抜け、環八の歩道橋を渡る。
芦花公園のそばの団地脇をくねくねと曲がる。
どうやったら、このような場所に住めるのだろう、僕の現在の収入と支出だと、固定資産税を払うのにも自信がない。

世田谷文学館に到着。
「ビーマイベイビー 信藤三雄レトロスペクティブ」。
沖井礼二の弁を借りれば「渋谷に来たら「渋谷系」が終わっていた」世代である僕にとっては、まさに回顧。
あのCDも持っている、このCDも見たことがある、という記憶の大放出に忙しい。

このようなものに触れ続ける生活、というのが希望であった。
今、それが全く実現していない。
これでよかったのだろうか。

1階の北杜夫コレクションに、三島由紀夫直筆の原稿を見て、その大ぶりな字の読みやすさに感激する。

芦花公園駅。
可能性を言えば、芦花公園で各駅停車を待ち、八幡山で特急の通過待ちをやり過ごし、京王線の連続立体交差を待ちわび、「まさか小田急の連続立体が生きているうちに完成するとは」と地団駄を踏む生活もあったはずなのだ。
何かを間違った気がしてならず、列車内の手すりをつかんで自意識を保つ。

明大前で下車。
フレンテができてから改札外に出たことがないので、駅前の変貌ぶりをつぶさに観察したことはない。
急行がはけるのを直後で待っていた各駅停車に乗り込む。
学生が多い。

新代田で下車。
新代田で降りるのは、控えめに見積もって20年ぶり。
前回は、今は亡きといいつつ、つい先日復活したなんでんかんでんに行った。
23区内とは言わないけれど、せめて山手線内の駅はすべて訪問しただろうか。
先日も初めて北参道で降りたし、まだ高輪台とか若松河田とかは降りていない気がする。
「今度は全駅探訪でも…」というくだらないことを思う。

環七を少し歩き、担々麺屋。
14時過ぎでも席は埋まっていて、2人掛けのテーブルに通され生ビールと担々麺。

小田急線まで南下しようと思い歩くと、代田四丁目のバス停を見つける。
少し待てば、大森まで行くバスが来るようだ。
予定を変更し、バスに乗る。
ひとりだからできることだ。

車での移動をしない僕にとって、都心はほとんど地下移動となるし、幹線道路上を移動することもない。
バスだと街の様子がよくわかるし、散歩と違って移動中に考えごともできる。
そして、安い。
「長距離の路線バスに乗る」というのも、今後積極的にやってもいいかもしれない。

大森駅。
山王口は初めての訪問。
聴いた話だと、単一の路線しか乗り入れていない駅の中では、大森駅は世界一の乗降人数を有しているかもしれない、とのこと。

カフェで1時間ほど休む。
mihimaruGTが歌う「部屋とYシャツと私」を聴く。
今だったら非難を受ける歌詞かもしれない。
でも、お互いにそのような気持ちを持つこともある、ということを広く認識してもいいのではないか。

20年間、ずっとひとりで東京を歩いてきた。
明大グラウンドの輝きと汗臭さとは全く縁のない生活であった。
「何が楽しいのか」と言われてもよくわからないし、そんな問いを受けると本人も自信がなくなってしまう。
誰も興味を持たないこともわかるし、何の役にも立たないこともわかっている。
実は、共感すら求めていない、と考えてしまう自分に最近気づいた。

それでも、これこそが、自分がやりたかったことだったし、そしてこれからも続けたいと思っている。
続けるために、今の生活を守る必要がある。

そういうことを忘れないために、世田谷文学館に行って、自分に言い聞かせることも必要なのだ。
そうしないと、本当に立ち上がれなくなってしまう。

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