成上
新聞の全面広告に、出川哲朗の顔が大きく掲載された。
出川哲朗は、僕が唯一、売れる軌跡をリアルタイムで目撃した芸人だ。
「ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン」のリスナーであったため、名が世に知られぬ前から出川哲朗を知っていた。
「出川哲朗のオールナイトニッポン」も、当時聞いている。
「SHA.LA.LA.」と「ガキの使い」の合体番組で、松本人志がウンナンに「出川哲朗を貸してくれ」と言ったのも、見ていた。
そして、無名だった出川哲朗が、「お笑いウルトラクイズ」で優勝したのをラジオで知り、衝撃を受け、喜んだ。
売れる前から出川哲朗を見ている僕としては、この空前の「出川ブーム」はとてもすんなりとは受け入れられない。
なぜなら、ごく最近の「イッテQ」を見ていても感じるのだが、この25年、出川哲朗は変わっていないからだ。
「電波少年」の時の海外ロケと、「イッテQ」の「はじめてのおつかい」は、僕にとっては何の違いもない。
ずっと同じ芸風で、ずっとおもしろいのに、今ようやく人気がある、というのが不思議である。
「ボキャブラ天国」における出川哲朗のキャッチフレーズは、「自称ポストタモリ」だった。
今改めて検証すると、「変わらない」ままに世間が受け入れてきたという点については、タモリさんの後を継いでいると言っていい。
僕は、ある時から出川さんの見方を変えた。
たぶん20世紀末、テレビ朝日の深夜生放送で、司会の誰かが海外からの飛行機が遅れて出演できなくなり、出川さんが代打として司会をしていた。
そのときに、出川さんは普段のグダグダ感を出さず、そつなく司会進行をしていた。
「出川さんは、環境に合わせて自分の芸をコントロールできるんだ」と知った。
多くのロケを職人的にこなし、スポットのアサインからいつの間にか準レギュラーの位置を獲得し、ネットの冠番組を早い段階から務め、NHKの「ファミリーヒストリー」に取り上げられ、果てはゴールデン番組のメインである。
それは、当然の流れである。
「出川大陸」はおろか、「情熱大陸」に取り上げられるべきだ。
あの蛭子能収も賢人として出たのだから、もう少し続いていたら「ソロモン流」も出ていたのではなかろうか。