喪失
「いいとも」が終わって3年である。
実は、今もなお「いいとも」の夢を見る。
「テレフォンショッキング」が復活しているのだが、僕はちっともうれしくなく、「なぜ復活したんだろう」と嘆いている、という夢だ。
2014年4月1日早朝、僕は新宿アルタ前にいた。
前日までアルタビジョンの周囲に確かにあった装飾が、すべて取り払われていた。
閑散としたアルタ前に、「いいとも」は現実のものだったか、もしかしたら夢だったんじゃないか、と思った。
僕がタモリさんの本当の偉大さに気づいたのは、「いいとも」が始まってから28年経った時だ。
2010年のある日、「いいとも」を見ていて、「平日の毎日、正午にずっと生放送をやっているな」と気づいた。
僕が平日休みの時は、「いいとも」が始まる前までに用事を済ませ、「いいとも」を見て、「いいとも」が終わってから別の用事に取り掛かっていた。
僕が「いいとも」を見ていない時も(大半をリアルタイムで見ていないのだが)、「いいとも」は放送されていた。
何が起きても、時代が変わっても、大事件発生時のごく短い時期の中断を除けば、月曜から金曜まで同じことを続けていた。
新しいものがもてはやされるTVにおいて、これは驚異的なことである。
この偉大さに気づくのに、僕は28年間「いいとも」を見続けなければならなかった。
一方で、30代半ばでこの偉大さに気づけたことは、大きな収穫であった。
「いいとも」は、鉄道であった。
決められた時刻通りに運行されるのが当たり前の鉄道だ。
さまざまな客が乗り合わせるのだが、12時に出発し、13時前に到着するというのは変わらない。
災害時、何よりも早く復旧する番組が、「いいとも」だった。
「いいとも」が終わった次の日にアルタ前で感じたのは、廃線となった鉄道に対する思いと同じだった。
昨日まで当たり前にあったものが、今日以降全くなくなってしまう。
廃線となった鉄道は戻ってこない。
復活したとしても、以前のものとはまるで異なる。
「いいとも」が失われた現実に、僕は今もなおなじんでいない。