再評
2012-10-06
2002年、ネパールの山の上で、僕はてんやが存在していることのすばらしさを思い知った。
ところで、この頃の週末は「東京観光」をしている。
「僕は東京で生活をしているのではなく、ものすごく長い期間、小倉から東京に遊びに来ているのだ」という概念に気づき、それを楽しもうと考えるようになったのだ。
東京滞在がいつ打ち切られることになってもいいように。
先日は、某庭園に行った。
そこには財閥のトップが所有した邸宅が残されている。
戦後、敷地は連合軍に接収され、その後国の機関の建物を造るため、邸宅の一部が取り壊されたのだという。
壊された部分についてはそれほど価値のないものと考えられたそうなのだが、解体している最中に文化財としての価値の高さに気づいた人もいたのだそうだ。
ガイドの人がそのエピソードを話し、「文化財に興味を持ってください」と締めくくった。
そうなのかもしれない。
しかし、情緒に欠ける僕にはその辺りの感覚が全くない。
何より、この邸宅も、元はといえば大名屋敷をぶっつぶして建てられたのものだ。
ガイドの弁を借りるとすれば、全くなんてことをし、そしてなんてものを残しているのだろう。
その帰りにてんやに寄り、昼過ぎから「生ビールセット」をいただく。
グラスビールに、海老やなすなどの天ぷらの盛り合わせが付き、これで550円(税込み)。
てんやのありがたさの再発見をした。
文化財のことはよく知らないが、てんやについては税金を投入してでも残して欲しい文化財である。