曇天の続き

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2012-09-15 Sat.

慷慨

2012-09-15

理容店で、店主に「何だか世界がきな臭くなってきたね」と話しかけられる。

ついに、床屋で政治談義を振られる年齢になってしまった(正確には、政治ではなく国際情勢)。
目に涙を浮かべ、「もう遠い場所に来てしまった」と嘆く。

政治の話は、とても困る。
何より、自分にはよくわからないことだらけだからだ。
手元にはマスメディアからの情報しかなく、それだけで判断するのは危険である。
また、自分のことで忙しく、普段から世界のことを考え続けているわけでもない。
誰かの意見を自分の考えだと勘違いしてしまうほど、スマートでもない。
選挙で票を投じて、政府を信じることをずっと続けている。

僕が考えることができるのは、単なる一市民としての行動である。

太平洋戦争に至るまでの様子を見ると、戦争の後押しをしているものの1つがマスメディアであったことがわかる。
そのマスメディアの論調を支えていたのが、政府関係者でも軍人でもない、一般に生活している人たちだ。
国同士の交渉に直接関わらない人たちが、状況を正確に理解していないにもかかわらず、根拠もなく戦争だの開戦だの威勢のいいことを無責任に言う。
世間の論調にあおられて、当事者である政府は後に引けなくなっていった。
あるいは威勢の良さを利用して、中には自分の野心をふくらませていった者もいた。
また、世論とは逆のことを考えている市民は、大きな声に阻まれて、自分の意見を心の中にとどめてしまう。
人は弱く、信じている意見をいつでも言うことができる環境が保証されているとは限らない。

だから、そんな世界が訪れないように、僕は普段から気をつけていようと思う。
それこそが、それぞれの人のできることなのではないだろうか。

確かに、暴動が起こっている。
その暴動の様子に心を痛めている人が、世界には必ずいると信じている。
自分の国の人間による行為であっても、「なぜこんなひどいことをするのだろう」と思っている人が必ずいるはずだ。
自分の国のことに置き換えれば、簡単に想像できることだ。

実際、「暴動はひどいね」と言えば「確かにひどいね」と答えた外国人の知人がいる。

…とまあ、こういう真面目な意見を理髪店の店主に言ってしまうから、「ノリの悪い人間だ」と思われてしまうのだろう。
ユーモアで返せればいいのだけど。

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