曇天の続き

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2012-06-03 Sun.

抗争

2012-06-03

「アメトーーク」の華丸大吉芸人を見て、忘れていた感覚を取り戻すことができた。

まず、華丸大吉芸人を切望した視聴者の中で、1週目の放送を楽しめた人はどのくらいいたのだろう。
それというのも、福岡出身である僕は、1週目の放送を感慨深く楽しめたからである。
言葉は悪いが、にわかファンを一喝するような爽快感を、番組から感じられた。

そして、華丸大吉の歴史を振り返っているくだりになり、昔のことを思い出した。

福岡吉本の芸人が福岡の芸能界を席巻している頃、つまり1993年頃であるが、僕は本当に憂鬱だった。
この程度のレベルの芸で熱狂している人たちを見て、憂鬱になったのだ。

僕が覚えている限り、吉本興業が福岡に進出するとなったとき、福岡の芸能界は騒然となった。
都会にいる人には理解されにくいと思うが、福岡にも福岡の芸能界がある。
その当時も、福岡には地元の事務所があり、地元のタレントがいて、地元の放送局で地元の番組が放送されていた。
吉本興業は、地元で成立している芸能界に、いわば殴り込みをかけてきたのである。

そのやり方は、タレント志望である地元の素人を選び出し、一から芸人に仕立て上げる、というものであった。
そして、放送局に営業をかけ、番組枠の獲得を図った。
いくつかの放送局は、メジャー芸能事務所の熱にやられ、いわば籠絡される形で番組枠を提供していった。
その結果、それまで素人だったタレントをメインに据えた番組が次々に放送されるようになった。

地元出身のタレントであるから、当然地元の感覚が前面に出てくる。
その身近な感じが視聴者と呼応し、福岡吉本の熱狂的なブームが訪れた。
福岡吉本のタレントを起用した、地元局製作の番組が次々に増えていった。

その代わりに、東京で放送されていた番組が福岡でネットされないようになった。

地元の番組に熱中する気持ちはわかる。
僕も何度か経験がある。
しかし、たとえ熱中していても、その気持ちは、一般的に番組を楽しむこととは一線を画している。
地元に対する親近感が加算されているからこそ、楽しめるところがある、という認識が、頭のどこかにある。
他の地域で放送されている番組を見ずに、地元で作られている番組こそが、有無を言わさず一番おもしろい、と言いのけるほどの不遜さは持てない。

僕は、福岡吉本の芸人を熱心に見ている周囲を見て、「こういう感覚の人たちと話を合わせながら、一生を過ごすことができるのだろうか」と本気で考え込んだ。
そして、「おそらく無理だ」という結論に達した。

吉本興業の福岡進出が、僕の上京を決断させた、と言っても、あながち大げさな表現ではない。

僕が福岡を脱した後、ブームの終焉は訪れた。
「アメトーーク」でも語られていたとおり、1998年頃に福岡で「吉本超合金」が放送されるようになり、福岡の視聴者は本物の笑いに目を覚ますことになった。

僕は、福岡でブームになっていた頃の感覚があったので、「オンエアバトル」で華丸大吉が出ても、多少引いた感じで見ていた。
博多華丸が「R-1ぐらんぷり」を取ったときも、正直に言うと、心の底から喜べるものではなかった。
それ以降、華丸大吉の認知度が上がり、「アメトーーク」の出演機会も増え、「もしかしたら、おもしろいのかな」くらいには思うようになった。

そして、今回の華丸大吉芸人を見て、認識を確かなものにすることができた。
華丸大吉の漫才には、すでにベテランの巧みさを感じる。
安定感があるということで、僕は十分楽しむことができる。
しかし、残念ながら、華丸大吉のおもしろさに、僕は気づくことができていない。

世間が華丸大吉を「おもしろい」と思っているのは、おそらく芸についてではなく、その立ち位置についてだと思う。
長年苦汁を飲まされ、辛酸をなめさせられ、そして「沖縄国際映画祭で、吉本興業が招待した企業の方々を接待する宴会の司会」というような大変な仕事をさせられていることに、視聴者はおもしろさを感じているのだろう。

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