無暴
年に一度くらいはやってみよう、と思うことがいくつかある。
年に1回ライブに行く、年に1枚CDを買う、悪態をつかずに1日を過ごす、etc。
今日は、ある記者会見を最初から最後まで見ることにした。
最近は多くの記者会見がノーカットで配信されているが、残念ながら僕にはそれらを全て視聴する時間をとることができない。
だから、せめて年に一度くらいは、最初から最後まで記者会見を見てみるか、と考えた。
1時間弱の記者会見を見終えた。
一方的な釈明、息のかかった記者からのごゆるり質問。
この程度の記者会見だけで、社説を書かなければならない新聞の論説委員に同情する。
不思議に思うのは、タイムラグだ。
本人が事実を認めてからこの記者会見の直前まで、世間には何の情報も出てこなかった。
それどころか、出演している番組の放送が終わるのを計ったかように、記者会見が始まった。
誰かが事実を認識した上で、番組を放送してもいいと判断したのだろう。
欠陥があることを把握していても商品を回収しないし、コンプライアンスなんて何処にも感じられない。
ただの茶番である。
もう一つ不思議に思うのは、引退してからは若い人の手助けをしてみたい、という彼の思いである。
どうやら、ルールを侵して芸能界を去る者を、世間は受け入れてくれると考えているようだ。
世間のルールの方がよほど厳しいと僕は考えるのだが、実際、受け入れてくれる素地があるのだろう。
こういう人に助けてもらうと、その後ずっと付きまとわれることになると思うのだが、それって一緒か。
何より気がかりなのは、自分の力では解決できず、周りからも人が離れていき、おつきあいを控えなければならないような人の力によってようやく収束した、と語る、十数年前のトラブルの内容である。
普段は大きな顔をしている周囲の人も、いざというときには守ってくれないものらしい。
我々が失敗しないためにも、そのトラブルがどのようなものであったのか、白日の下にさらしてもらいたかった。
今回の件で、引導を渡すのは視聴者ではない、ということがよくわかった。
去りゆく人に興味はないが、大規模なタレント供給源が失われたのは大きな打撃であろう。
今後どう変化していくのかに、大きく期待したい。
いずれにせよ、あにはからんや、警察にとっては効果的なPRになったようだ。