曇天の続き

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2011-05-17 Tue.

紳士

2011-05-17

ウエストミンスターの鐘が鳴る…。

児玉清氏が亡くなった。
芸能人の訃報を耳にし、これほどまでに脱力してしまったのは、21世紀になっておそらく初めてだ。

振り返るに、僕が「パネルクイズ アタック25」を習慣として見るようになったのは、少なくとも20年ほど前だ。
「なぜ、最初から見ない」と問われれば、番組が始まった時、僕はまだ生まれていなかったからだ。
それでも、36年の歴史がある番組を20年前からしか見ていないのは、福岡における悪しき放送形態、すなわち一週遅れの「笑っていいとも! 増刊号」を午後1時から放送していたからである。
それでも僕は、「増刊号」の視聴を一旦中断してまで、「アタック25」を見るようになった。
ちなみに、「矢印タイマー」や3人体制、「アルインコ」「日興證券」時代の記憶は一応ある。

以来、毎週日曜にほぼ欠かさず視聴してきた。
「増刊号」から「Vメシ」、「笑いがいちばん」を経て「アタック25」というのが、強烈なラインだった。
日曜は、午後2時にならなければ外出しない、と決めていたほどだ。
華丸さんのものまねが世に知れ渡る前からあった、「速報!アタック25への道」というウェブサイトを見つけたときには、歓喜した(このような良質なサイトを消失させたホスティングサービスのやり口には、不信感が募る)。
なお、華丸さんが児玉氏のものまねをすることになった遠因には、福岡で「増刊号」が午後1時から放送されていたことにある、といっても過言ではないだろう(「とことんサンデー」出演後に楽屋で「アタック25」を見ていて、真似をしていたのだとか)。

戸籍上の昭和九年会であるため、別れはいつか訪れる、という覚悟はあった。
だが、こんなにも唐突に別れが訪れるとは、月並みながら想像すらしていなかった。
お休みになったときは「1か月ぐらいで戻ってくるだろう」と考えていたし、五代目円楽方式で最悪このまま降板するかもしれない、ぐらいにしか思っていなかった。
お戻りになる日がくるまで静かにご辛抱と心に決めていたが、1800回目の放送で、恒例の海外旅行の映像に児玉氏の姿がなかったことには、さすがに著しい違和感を覚えざるを得なかった(そして、加藤さんの立ち振る舞いに感動した)。

当たり前に存在していたものが、ある日永遠に喪失してしまう。
あれほどまでに「安閑とはしていられない」と忠告されていたのに、実に不甲斐ない。

ラストコールに冗談を。
祭壇の遺影は、ぜひともパネルで取り囲んでほしい。
そして、ある人物をお当ていただくクイズよろしく、見にくいパネルの向こうに児玉氏の足跡を映してほしい。
一視聴者である私は、間違いなく大号泣である。
そして誰か、沢木美佳子さんのコメントを取ってきてほしい。

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