遺恨
「石原表」というものがある。
天気予報の当たり外れを整理したものではなく、ある人の瞬きの回数をカウントしたものでもない。
「石原表」とは色覚検査で用いられるものである。
小中学生時代、僕は「石原表」に散々苦しめられた。
最初の2、3個を除けば、後はほとんど判読できなかった。
ある時に至っては、「わかりません」という答えを連発する僕に対し、小学校の教師が「ふざけているのか」と因縁を付けることすらあった(何のための検査なのだか)。
後で知ったのだが、判読できたと喜んでいたものも、「正常な」色覚の人には別の数字に見えていたらしい。
この検査に引っかかると、眼科でより精密な検査を受けることになる。
具体的には、小さな木片に塗られた色を近い順に並べ替える、という検査だ。
そして、医師に樹形図を書かれ、「子供には遺伝しないけれど、組み合わせ次第では孫には遺伝するかも知れませんね」と言われる。
僕が子供だった当時は、「色覚異常」だと工学系の分野に進学、就職できないという風潮があった。
理系科目を好む僕にとっては、絶望的な未来が待ち受けている気がした。
幸い、「色覚異常」に対する理解が進み、僕が進路を決めるころには「色覚異常」という診断だけで進路が絶たれるということはほとんどなくなった。
僕は今でも、弱度の「先天赤緑色覚異常」である、らしい。
子供のころよりもかなり改善されたと思うが、それでも若干の「異常」が残っている。
「色覚異常」だとどういう時に支障が出るか、というと、「アタック25」で赤と緑の接戦になった時、液晶画面で斜めから見ると、パッと見どちらが優勢なのか少々わかりづらくなり、判断が2、3秒遅れる。
普段の生活における支障と言えば、それくらいしかない。
むしろ、社会的な差別や無知に基づく悪質な偏見の存在の方がよっぽど支障になっている。
糾弾されればいい、と心底思う。