置去
先日実家におじゃました際、新しく買ったPCを使わせていただいた。
いつものように、ツールを入れたり、デバイスのドライバやファームウェアをアップデートしたりした。
新しいPCなのに動作がにぶい、と母親が訴える。
調査すると、どうも回線が遅いみたいだ。
12MのADSLで契約をしているが、モデムの情報では下りで700Kbps止まり。
モデムのファームウェアをアップデートしたが(最新のもので6年前のリリース)、それでも1Mbpsまでしか改善しなかった。
電話局までの距離や、モデムの接続、PCが及ぼすモデムへの影響など、いくつか原因を思いついたが、どの原因を取り除いても劇的な改善にはつながらないだろう。
どうせなら、同一の料金で提供されている50MのADSLに回線を変更した方がいい。
しかし、回線の変更には至らなかった。
親だけではとても設定できないだろう、だったら現状を保った方がいい、と判断したからだ(だいたい、今の契約がどうなっているかを親は把握しておらず、調べるのに一苦労した)。
プロバイダのサポートを利用することも考えたが、料金がやや高い。
また、無線LANルータを含めた現状の使い勝手を変えないように設定してもらえるとも思えない。
ところで以前から、「社会が悪い方向に向かっているのは、若い奴らが子供のころに受けた教育が適切ではなかったからだ。だから、子供のころから正しいことを教え込んでおかなければならない。教育を変革しなければ」みたいな議論がある。
その説には一理あるのかもしれないけれど、その一方で、僕は他にも重要だと思うことがある。
それは成年教育、もっと言えば高齢者教育だ。
社会は変容を続け、進化した技術や考え方が次々に導入されている。
それらは、これまでの不便を解消するものであったり、より充実した生活を実現するものであったりする。
サービスを提供する側にとっても、新しいものに対応できる消費者が増えれば、提供するための労力が省力化でき、より高度なサービスを安価で提供できるようになる。
それらの恩恵を高齢者が享受できるようになるためには、新しいものに慣れ親しんでいただく必要がある。
確かに、長い時間を昔のシステムに付き合わされてきたのだから、新しいものに抵抗を感じる方も多いだろう。
かといって、「昔からの慣れ親しんだやり方がよい」と主張する高齢者を社会はそのままにしておくわけにはいかないはずだ。
便利な技術は確実に社会に普及し、やがてはだれもがその新しいものを利用するようになる。
直接利用しなくとも、間接的に関わっていたり、あるいは強制的に利用を迫られたりすることもある。
そうなった際、提供されている方法に慣れ親しんでいない方々が、トラブルや犯罪に巻き込まれる可能性が生じる。
金融機関のATMが、その好例である。
現代では、ほぼ全ての人がATMを利用しなければならないような状況になっている。
その一方で、ATMをめぐるトラブルが発生し、問題視されている。
思うに、利用者のATMに対する理解が進んでいないからだろう。
そうなる前に、ATMに対応してもらえるためのサポートを社会が準備することが必要だったはずだ。
高齢者こそ教育を。
そして、高齢者にこそPCを使いこなせるようになって欲しい。
でも、昔に比べればかなり改善されたとはいえ、まだまだPCは扱いづらいのは確かか。
僕もその「新技術についていけない」予備軍である。
「ポケットベル世代」という実に中途半端な世代に属している僕は、すでに携帯電話の機能すら理解できないでいる。
DVDメディアの種類や「ダビング10」だって、全く理解できていない。