家籠
またまたまたまた春の大型連休(ゴールデンウィーク)が迫ってきた。
この数年、連休に入る前に理髪店に行く。
そして、店の主人に「連休の予定は?」と尋ねられ、「別に…、特にないです」と答えている。
毎年同じやりとりなので、今年は業を煮やして「この時期の連休って、何のためにあるんですかね」と店の主人に哲学的質問してしまった。
主人は、「子どもを連れて実家に帰るため」と答えてくれた。
僕にはもはや実家がないので、結局僕には連休の存在意義がわからないままだ。
そして、この理髪店は大型連休中も通常営業。
1週間近く休めば、勘も鈍る。
連休後に調子を取り戻すのが大変だ。
以前私は会社の上司に、「n日連休を取れば、遅れを取り戻すのにn×n日必要とする」と忠告された。
たとえば、7連休を取れば、遅れを取り戻すのに7×7=49日かかる。
49日もあれば、中陰の道を歩き終わり、罪が軽ければ極楽浄土にたどり着く(教義の詳しい解説は遠慮申し上げます)。
ましてや、新年度が始まったばかりだ。
せっかく新体制に慣れてきたところを連休にぶった切られ、振り出し(あるいはそれよりひどい場所)に戻された気分になる。
おかげで毎年、五月病。
たしかに、気候がいいことは認める(一部地域を除いて)。
それじゃあ、どこに行くのか。
近くの行楽スポットは、どこに行っても人だらけ。
最近では、連休にもかかわらず、都心のオフィス街でも人がいる。
かといって、人のいないところに行こうとすると、今度はそこにたどり着くまでに渋滞に巻き込まれる。
結局家にこもり、ウェブサイトを更新したり、テレビ番組や映画、DVDをまとめて見たりして、夜はビールをあおる、ということになる。
そもそも、春の大型連休は慣習に基づく休暇ではない。
たまたま(?)、天皇誕生日(現・昭和の日)と憲法記念日が近接し、それにこどもの日を追加したに過ぎない。
それも、1948年以降の制度だし。
現在、国会で連休を地域で分散させることが議論されている。
僕としては、様々な不具合があり歴史も浅い春の大型連休に執着することを、もはややめて欲しい。
それより、夏季休暇をがざーっと取ることを認める(国民性を考えると、義務化した方がいい)ようにしてもらいたい。
とはいえ、春の大型連休に合わせて行われるイベントや祭りもあるので、そう簡単な話にはならない。
逆に言うと、連休が地域によって分散化されたら、博多どんたく港祭りはいつやることになるのだろう。
そこまで考えているの…、だろう、みんな頭がいいから。