口癖
1998年11月17日。
僕はその日、3回目の「台風クラブ」を見た。
吉祥寺のロンロンの前で曇り空を見上げながら、「そろそろ「台風クラブ」でも見るか」と思ったのだ。
ちなみに、「台風クラブ」を最初に見たのは、1996年1月4日。
2度目は、1996年9月6日。
上記の文章を書くに当たって、正確な日付を確かめるために、自宅に備え付けられた可燃金庫からパーソナル・データベース・システム、つまり日記を取り出してきた。
いつ見たのか覚えていなかったおかげで、1998年後半の見るに堪えない日記を見る羽目になった。
1998年は、僕にとっては全く何も起こらなかった年である。
年表で言うと、1114年と同様に、何も書かれずにスキップされるだろう。
その年は、ほとんど誰とも話さず、淡々と大学に通い、毎日本を読み、毎日テレビを見て、隔週の間隔で映画館に映画を見に行っていた。
模範的かつ誰からも敬遠される学生像である。
1998年の日記には、「○○死ね」とか「××の毛穴にボツリヌス菌が入れ」とかいう記述は一切ない。
それどころか、有名人以外の個人名が日記にはいっさい登場しない。
その代わりに、自宅にかかってきたある勧誘電話(メンバーになるとレストランやカラオケで優待サービスを受けられる)の男に、「そんな生活送ってんの、君の人生終わっているね」と言われた、という記述がある日の日記に残っていた。
よく自暴自棄にならなかったものだ、今だったら絶対にそいつのアパートの玄関をマヨネーズまみれにしてるところだった。
ほとんど記憶に残っていない人に対してこういうことを思うのはどうかとも思うが、今のそいつには、イベント企画会社にでも入ってもらって、横浜開国博の不入りと、バブル世代の上司とゆとり世代の部下に挟まれたことによるストレスで、胃壁の粘膜層がすべて剥がれ落ちていてほしいものだ、と改めて真剣に願う。
実際にその通りになっていたとしても、願ったことに何の後悔もしない。
大人になるとは実に恐ろしい、僕の母親も嘆き悲しむことだろう。
…話が横道にそれたので、元に戻す。
1998年11月以来、どうやら僕は「台風クラブ」を見ていなかったようである。
相米慎二監督が亡くなってから今年で9年。
没後10年を目前にして、これから相米慎二監督の映画を見ていくことにする。
今から始めれば、2011年の命日に間に合うだろう。
ということで、手始めに近所のレンタルディスクショップからDVDを借りてくることにする。
皮肉なことだが、相米慎二監督が亡くなってから、身近なショップでも監督作品が陳列されるようになった。
何度も言及するが、僕が「台風クラブ」のレンタルVHSを店で見かけたのはただ1度、西荻窪の巨大なショップでだけである(後に、相米慎二監督は西荻窪在住であったことを知った)。
近所のレンタルディスクショップでは、アイテムのデータベースをウェブで公開している。
便利な世の中である。
これで、ありもしない「四月怪談」や「あいつ」を求めて、商品棚を血眼になって探す必要はなくなったのだ。
早速、「相米慎二」と入れて、検索。
結果が表示された。
近所の店には、相米慎二監督作品が2つしか置いていないことが判明する。
「台風クラブ」と「魚影の群れ」だけ。
信じられないかも知れないが、近所のレンタルショップには「セーラー服と機関銃」すら置いていない。
試しに調べてみると、「セーラー服と機関銃 1」なら置いてあることが判明した。
長澤まさみのドラマ版だ。
みんな忘れているかも知れないが、もちろん「東京上空いらっしゃいませ」もない。
誰も共感しない僕のお得意の皮肉は、もはや皮肉にすらならない由々しき事態だ。
時代を彩った数多くの名作とともに、このまま消えていく運命なのかも知れない。
…気を取り直す。
店に出向き、「台風クラブ」のDVDを借りて、自宅に戻る。
記録している限り、自身4回目の鑑賞である。
新しい発見はそんなになかったけど、やはり最初から最後まで好きな映画である。
ただし、内容から言って、僕の偏屈な性格をよっぽど理解してくれる人以外にはこの映画を勧められない。
「この映画、最高、見なさい」と安易に推薦すると、人格を疑われる可能性がある。
1995年にテレビで放送されていたのを見たとき、なぜ登場人物がその行動を取るのか理解できないシーンがあった。
今回、DVDのノーカット版を見て、ようやく理解することができた。
放送でカットされたシーンがあることは数年前から知っていたが、これでガッテン、ガッテン。
主人公の結末はやはりどうしても受け入れられないが、ワンカットなのがせめてもの救いである。
それに、ラストのシーンで十分リカバリされていると思う。
ストーリー上、なぜ男子生徒のうちの1人が学校にいなかったかが、今になってみるとよくわかる。
さて、この映画を最初に見たとき、僕は生徒の側で見ていたつもりだった。
劇中に出てくる三浦友和の台詞によると、僕はもう「あと15年の命」を全うしたことになる。
まあ、なってしまったものは仕方がない。
大人になるとは実に恐ろしい、僕の母親も嘆き悲しむことだろう。
1つだけ思い出したのは、僕の口癖である「やっちゃって やっちゃって 何でもやっちゃって」というのがこの映画の冒頭のシーンに出てくる台詞だった、ということだ。
同じく口癖である「いちばん初めに雨を見た」の方は覚えていたのだが。