曇天の続き

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2010-01-20 Wed.

見識

2010-01-20

ある日気づいたのだが、PCの左カドの部分が汚れていた。

PCの左カド

よく見ると、これは汚れていたのではなく、塗装がはげていたのであった。

右側は何ともなっていない。
どうして左側のカドだけがはげたのか。
おそらく腕時計が当たってこすれてしまったからだ、と推測する。

腕時計の選択に気を遣う、というのは仕事の一部である。
どういう腕時計をはめているかで、どうやら人は何かを見なすようであるからだ。

ましてや、腕時計を持たないのはタブーと考えている人もいる。
以前、「携帯電話で時刻を確認するのではなく、社会人たる者、腕時計を持ちましょう」という雑誌の特集を見たことがある。
確かに、携帯電話で時刻を確認する行為は、見ていてあまり好ましいものではない。

ここ数年、必要物資とリタイアメントの備え以外に、僕は腕時計を買うためだけに働いている。
そして、欲しい腕時計を手に入れるに至っていないので、見た目の悪くないそれなりの値段の腕時計をはめてやり過ごしてきた。

で、上のようにPCの左カドの塗装がはげてしまった。

思うに、腕時計を選ぶという見識が社会で問われているのは事実である。
しかし、PCの前で1日中座って作業をする低級知的労働者の僕にとっては、腕時計なぞをはめて労働することが間違っていることのように思えてくる。
作業するのに、腕時計がとにかく邪魔なのだ。

それに、僕は元来、腕時計をはめることが苦手なのだ。
理由は簡単で、重いし、かさばるからだ。
学生のころ、スウォッチから極薄の腕時計が発売されて、購入を検討したことだってある(「秒針がない」という理由で見送った)。
本当は、腕時計をやめて懐中時計にできないものかと思う。
懐中時計にまだ現実性を見出せないので、買っていないだけだ。

ということで、仕事中に腕時計をするのをしばらく止めることにした。
普段はデスクサイドにある置き時計を見ているし、外では(あまり推奨される行為ではないが)携帯電話を時計代わりに使っている。
そして、携帯電話のアラームとタイマーを駆使して仕事をしている。
確かに、腕時計に気を遣う、というのは仕事の一部であるだろうが、僕はどうせ大した仕事をしていない。

それでも、それなりの腕時計を手に入れるためにしばらく働き続けなければならない。
叙勲記念パーティーで付けるための腕時計がないからだ。

ところで、ピアニストで大きな指輪をしてピアノを弾くシーンを時々見かけるけど、演奏に支障をきたさないものなのだろうか。
それとも、大きな指輪をして舞台に立つのもピアニストの仕事である、と割り切っているのだろうか。

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