曇天の続き

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2010-01-02 Sat.

懐郷

2010-01-02

この年末年始は、久しぶりに小倉を離れて過ごしている。

小倉を離れると、小倉が恋しくなる。
それを最近特に強く感じるようになった。

何と言っても、生まれ育った街である。
とにかく食べ物がおいしい。
酒はうまいしねえちゃんはきれい…だったと思う。

昔、「小倉を離れたい」と思った最大の理由は、我慢ならない情報格差にあった。

当時は、テレビの中の日本と、自分が暮らしている日本では、情報の提供のされ方がまったく違う、と感じていた。

テレビで放送している番組は全然違う。
雑誌の発売日も遅れるし、本の並びにも不満。
アーティストはこないし、見たい映画もこないし、演劇もこない。
店の商品の並びにも満足できないし、それ以前に店すらない。
僕の場合、人とは話が合わないし、口コミの情報も限られている。
そして、くだらないことで威張っている人たちが多すぎる…。

僕は小倉を離れた。
そして、すごく楽になった。

それから、十数年。
時代は変わった。

地上テレビジョン放送は相変わらず絶望的だけど、それ以外の問題はほとんど解決された。
ウェブとITと衛星放送とDVDと「地方都市ミニ東京化」のおかげで、今は日本のどこにいても文化に触れられる。

今だったら、小倉に戻っても情報格差に苦しむようなことはなくなったのではないか。
むしろ、昔から知っている街なのだから、小倉の方が住みやすいかもしれない。
年齢を重ねれば、望郷の念が強くなるのは確かなんだな…。

そう思って、実家に帰ってみる。
そして、それがすべて錯覚であることをまざまざと思い知らされる。
言葉にはし難いが、すごく居心地の悪い雰囲気が小倉にはまだ根強く残っている、僕にとっては。

離れれば、故郷への思いは強くなる。
しかし、戻れば、3日といられない。
それが僕にとっての小倉だ。

人は2つのグループに分けられるのだろう。
故郷に愛される人たちと、故郷に足蹴にされる人たち。
僕は今のところ、まだ後者のグループだ。

一方で中国人排除を唱える暴力団もある。北九州市に本拠を置く工藤会だ。約10年前から、組員約30人を動員して市内の繁華街に中国人経営の風俗店や酒場などがないか調べ、あれば追い出してきた。関係者は「中国人が根を張ると女性や子供が安心して歩けなくなる。それを防ぐためのパトロールだ」と話す。小倉の盛り場を歩いても、確かにその手の店は見当たらない。この間、中国人経営のスナックが放火されるなどの事件が相次いだ。
(asahi.com 2009年10月18日)

こんな話題が新聞の一面記事になってしまう街に住みたいと思える?
記事を読む限り、小倉の街は裏社会ですらトレンドに乗っていないようだ。
そして、西日本一の規模の警察署があるにもかかわらず、こんな記事が載ってしまう。
(とは言っても、僕は東京の方がはるかに怖い街だと思う。)

それでも、僕はこの日記で小倉のことを書き続ける。
その理由は簡単で、他に書く題材が乏しいからだ。
それに、嫌いではないのだ。
僕はまだ住むには至っていない、というだけなのだ。

確かに地方間情報格差は以前より小さくなった。
だからこそ、僕は遠く離れた場所から小倉の今を知ることができる。
魚町銀天街の切れ目を屋根でつなぐ事業が進んでいることだって、ウェブで知ることができるのだ。
昔思い描いていた未来と、全く逆の状態だけど。

2010年の初詣で引いたおみくじの運勢は、「中吉」でした。

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