小倉へ・その1
のっぴきならない用事があり、小倉に帰ることになった。
バッグに少しだけ荷物を詰めて、大好きなビールに別れを告げて出て行く。
それじゃ、またね、すぐ帰る。
自宅からタクシー乗り、近所の高速バス乗り場へ移動する。
気温は低い。
高速バスで、一路空港へ向かう。
3連休の初日と言うこともあって、高速道路は渋滞していた。
いつもより50%増しの所要時間で空港に到着。
相変わらずチェックインに手間取る。
何度乗っても、飛行機に乗るシステムに対応できない。
出発まで時間があるので、手荷物を預け、空港の中をふらふらとし、昼食を食べる。
昼食は、ロースカツ定食(米国産)。
出発時刻が近づいたので、セキュリティーゲートを抜け、搭乗口へ移動。
今回乗る飛行機の航空会社は、もちろんスターフライヤー。
スターが泊まるスターホテル、スターが付けるスタージュエリー、そして、スターが乗るスターフライヤー。
離陸時に見せる飛行機の必死な姿にいつものごとく爆笑し、一路北九州へ。
タリーズコーヒー提供のコーヒーを飲み、提供されたチョコレートを食べ、ヘッドレストをいい感じにセットし、ジャズのチャンネルを聴きながら、パーソナルテレビを地図に合わせる。
北九州空港に到着。
天候は曇り。
小倉の空はいつも曇りである。
父親とメーテルがお出迎え。
父親は北九州空港に初めて来たそうで、何もない風景にひどく落胆していた。
また、ターミナルビルからかなり遠いところにしか駐車場に空きがなかったらしく、「なぜ駐車場をビルにしなかったのか」と憤慨していた。
お決まりの父親の思いつきによって、先祖代々の墓と父の実家に行くことにした。
行橋から国道201号線に入る。
未だに2車線のこの国道は、連休ということもあってか、混雑していた。
新しくできた新仲哀トンネルを抜け、山小屋というラーメン屋の本店の前を通りぬける。
香春岳の変容にまたまた驚かされ、途中のスーパーで花を買う。
平成筑豊鉄道糸田線を通る1両編成の車両を目にして、父が昔は50両編成の石炭列車が通っていたことを教えてくれる。
墓に到着。
数年前祖父が亡くなったのをきっかけに、先祖代々の墓を新しくした。
「南無南無南無」と墓に向かって唱え、父のひいばあさんがまつられている六地蔵にも手を合わせる。
中元寺川沿いの危なっかしい道を通り、父の実家へと移動。
父の実家につくと、祖母が泣きながら迎え入れてくれる。
仏壇に線香を上げ、手を合わせ、早速便所に行く。
うまいお茶請けを食べながら、茶をいただく。
以前は庭が荒れ放題になっていたのだが、父の尽力により、庭師が木をばっさりと切ったそうで、庭はかなりきれいになっていた。
僕が生誕したときに植えた木があったのだが、どうやら切られた模様。
築70年の長屋は、ひどく底冷えする。
30分ほど父の実家に滞在し、退散する。
実家に電話し、今から家に帰るのでちゃんと飯の準備をしておくように申し伝える。
実家に到着。
実家と言っても、僕が生まれ育った家は既に退去し、実家は新しい家になったので、何の感慨もない。
それどころか、引越の際に、僕のものは紛失してしまったというのだから、たまったものじゃない。
すぐに風呂に入り、宴会が始まる。
ビールを飲み、45度の麦焼酎を飲む。
コフグを食べ、鱈の白子とかわはぎのちり鍋を食べる。
僕が生まれたときに祖父が上野焼の茶碗をくれたらしく、その茶碗を父が出してきた。
箱の裏を見ると、祖父の筆で書が書いてあった。
父が、箱ごと持って帰れという。
感慨深い気持ちになる。
それにしても、荷物になるなあ。
一応、明日行われるイベントの打ち合わせ的なものを行う。
が、すぐに酔っぱらってどうしようもない話題に変わる。
僕が、最近休日の昼からビールを飲むことに幸せを感じているという話を披露する。
すると、父がまだ若い頃、父は朝から酒を飲んでいたという話で対抗してきた。
本当にどうしようもない。
父がある番組を見せてくれると言って、妹にビデオの再生を命じる。
BS-iで放送している「吉田類の酒場放浪記」だった。
酒場詩人の吉田類が、希少な庶民の酒場空間を紹介する、という名目の、単なる酒飲み番組である。
父はこの番組を毎週録画してみているらしい。
この番組の存在は知っていたが、まさかこの番組を録画してみている人がいるとは、そしてまさか自分の父親がそんなことをやっているとは知らなかった。
本当に、本当にどうしようもない。
調子の悪かった母親の酒量が回復していたのが、唯一の良いニュースだった。
おみやげに買ってきた日本橋文明堂の「ハニーカステラ吟匠」を家族で醜く奪い合っていると、臨時ニュースが流れる。
楽しみにしていた「ブラタモリ」は流れてしまった。
0時30分頃、就寝。