曇天の続き

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2002-05-17 Fri.

スイート

2002-05-17

はなが「はなのとっておきスウィーツBOOK」という本を出した.はなが司会としてやっていた「トップランナー」(NHK)を1度だけ見たことがある.「トップランナー」でははながゲストのためにお菓子を作ってくるという企画があった.はなが恥ずかしげに自分が作ってきたお菓子を出す.ゲストは絶対に「おいしい」という.田邊誠一ももちろん喜ぶ.

今から言うことはは間違いなく僕の偏見だけど,どうしても言っておきたい.お菓子を作ってくるということは一種の暴力ではないだろうか.なぜなら,もらった方の取るべき行動は,ほぼ1つしか許されていないからだ.

ここで問題なのは,はなが一体何を目的としてお菓子を作っているのだろう,ということだ.僕は料理をするのが好きじゃないが,かなり頻繁に料理をする.でも,自分が料理をするのは,自分がおいしいものを食べたいためだ.そのために仕方なく料理をやっているだけで,決して人に食べさせたいわけではない(その点が僕がタモリさんに及ばないところではあるが).だから,僕の場合は人に喜んでもらいたいために料理することはない.お菓子を作って持ってくるとはどういうことなのだろうか? 食べた人が味の評価をしなくても,作った側の満足は果たせるのだろうか.僕は,お菓子を作って持ってくる人たちはきっと,「おいしい」と言ってもらいたいがために,それはつまり,相手に喜んでもらいたいがためにお菓子を作っているのだと思う.

一方,お菓子作りは難しい.一般の料理なら少しの失敗くらい何とかなる.例えば調味料を入れすぎたとしてもフォローができる.多少火が通りすぎても食べることができる.味が足りなければしょうゆでもかければいい.つまり,味の合格ラインが結構低めに設定されている.しかし,お菓子は失敗が許されない.分量を正確に計ることが全てを支配していると言える.その関門をクリアしても,ふっくらと仕上げたり,さっくりと焼き上げたりするにはかなりの神経を使う.火を通しすぎたら風味が飛ぶこともあるし,少しでも焦げ臭くなると終わりなのだ.そうした数々の難関を突破できなければ「おいしい」と言えるお菓子にはならない.おかしの合格ラインはかなり高い.

作る方は「おいしい」と言ってもらいたいとしよう.もらった方は,作ってきてもらったという義理もある.もらった方は,必ず「おいしい」といわなければならないという状況に追い込まれてしまう.ただでさえ,お菓子の合格点は高いため,お菓子がおいしいと呼べるものになっている確率は低くなる.しかも,味がどうであっても「おいしい」という言葉を言わないとその場が収まらない.不可解な顔をすれば最後,関係に大きなしこりを残す結果になるだろう.分かり易い他人の気持ちはすくってあげるのが我々に求められていることなのだ.もらった方の責任は何一つないにも関わらず,もらった方の果たさねばならない義務は重大だ.

何がいいたいかというと,まだ料理本を出したにもかかわらず料理ができないと公言している菊川怜の方が,はなよりも好感が持てるということだ.作りたくて作っているのなら,他人に食べさせることは押しつけだし,自分がお菓子を食べるのが好きなら1人で食べていればいい.きっとそのことははなさんはわかってくれていると思う,でもつらいな,近くにこんな人がいたら.

反感覚悟で言うけど、今でもお菓子を作ってくると言うのはある種の行動を強制する暴力だと思っている。はなには未だにわかってもらえないけど。

(2008-03-29)

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