しつこさとあっさり
2001年に引き続いて行われている「ひとり北野武映画祭」が今日また1つの日程を消化した.明日までに返さなくてはならなかった「その男,凶暴につき」のビデオを何とか見ることができた.
ストーリーはものすごく単純だと思う.この映画の特徴は「とても遠回しな表現」にある.印象的だったのは我妻(あずま)ことビートたけしが妹を病院に迎えに行った後のシーン.タクシーで帰る途中2人で海を見るのだが,海を見ているシーンから入りすぐに「帰ろう」と我妻が言う.そして2人の後ろ姿.「海を見たい」と言うシーンもない.「海を見に行こう」というシーンもない.海を見て何か会話するシーンもない.会話しないシーンもない.ただ,海を見た後タクシーに戻るシーンだけがある.直接の表現に頼るのではなく外堀を埋めるだけで伝えようとする.そこが観客の興味を誘い,観客の想像が映画に重層性を与える.
あと,最後のシーンもいいよね.我妻の頭が撃たれた後,倉庫の電気がつくシーン.明暗のはっきりしたハードボイルドな世界から突然見慣れた倉庫の風景になって,それが登場人物それぞれの世界観を表しているなと感じた.
しかし,映画の感想にそれほど意味があるのだろうか? 以前たけしさんがドイツの映画祭で「あの映画のあのシーンで主人公が手を動かすのには何の意味があったのか」と聞かれ「癖だよ」とつぶやいたという漫談があるが,こういう例のように,何処までが監督の意志で何処までが偶然の産物なのかわからない限り「あれはこういう表現だったんだよ」なんていう批評は恥を晒す結果に陥る可能性があるので僕は避けるようにしている.でも,何か考えながら見ないと映像の意味を読みとることなんて永久にできないしね.映画の感想とは作者の表現しようとする意図から離れた次元で語られなければならないものだと思う.映画を通して伝えようとするのが作者の姿勢だし,観客は作者の意図を気にせず映画から伝わって来るものをそのまま批評していけばいいと思う.それはどんな芸術作品でも同じだろう.
そんなことより,一体「ひとり北野武映画祭」は今年中に終了するのだろうか? 自分でやってて気がかりだ.
たけし映画でもう一回見たいと思わせるのが「その男、凶暴につき」だ。 なかなか時間がとれないけど、また見てみたい。
(2008-03-22)