憧憬
「萌の朱雀」を4年ぶりに見た.
記憶が確かならば,1997年に京橋の映画館でこの映画を見たはずだと思う.河瀬直美がパルムドールを獲って「どれどれ,見に行くか」といった感じで赴いたのだ.そのときのことを思い出すと,確か僕が見た回は英語の字幕がついていた回だったはずだ.最初の15分くらいはとても退屈な映画だと感じた.カンヌでパルムドールを獲れたのもきっとこの落ち着いた木々の映像を評価したのだろうと推測したくらいだ.しかし見進めるうちに気づいたのだが,日本人の本質ってきっとこういうところにあり,この映画はそれを見事に描いている.つまり,映像は何気ない日常を映し出しているように見えるが,実はそうした普段の生活の中にドラマが存在する.劇的な出来事なんて必要としない.そんなものがなくても普段の生活の中には重みを持ち人の心を支配する些細な出来事や少しずつ積み重ねられていった感情が存在するのだ.この映画は極端にせりふが少ないのだが,よくある映画のように多くの言葉が語られることなんて日常生活では少ない.言葉を介さなくても他人と共有する物事はとても多い.それは普段親密につきあっていればいるほど多くなるものだ.そしてそれらの言葉は共有する人々に語られることを拒んでいるのだ.それをこの映画はとてもよく表現している.
これが4年前の感想だ.で,昨日4年ぶりに「萌の朱雀」を見たんだけど,なぜかと言えばちゃんと理由がある.4年前に見たときにどうしてもこの映画に出てくる風景,地名で言うと奈良県の西吉野村なのだが,そこにいつか行こうと考えた.というのも過去に数回「ゴールデン洋画劇場」で「大誘拐」を見ていて,そのときに出てき杉の山林に心を奪われたこともあって,それと相まってそうした希望が湧いてきたのだ.で,それが8月に実現する予定となり,その予習として「萌の朱雀」を借りてきたのだ.
西吉野村に行きたいと考えたのはもう1つ理由があって,それは映画にも出てくる幻の「五新鉄道」とは一体どんなものかというのを体感したいからだ.
4年も経つと話の筋をほとんど忘れていて,初見みたいになってしまった.登場人物のそれぞれに役割が与えられていて,そのひとりひとりの感情がとても重くそして苦しい.
というわけで,8月には紀伊半島に旅行に行きます.それまでにはいろいろと仕事を片づけておかないとね.
結局、西吉野村には行かずじまい。 台風が来てバスが動かなかったのだ。 でも、紀伊半島の山林は見に行くことができた。
(2008-03-15)