初海外!故郷はネパールだった?
学会4日目(2002-11-29 Thu.)
この日は午前中、学会に出席。
友人の発表も見させてもらった。
午後から、カトマンズ市内観光。
バスをチャーターして、名所をめぐる。
バスには日本から来た我々のほか、ネパール人の現地の学生も乗り込んだ。
どこに行ったのか詳細は覚えていないが、確か「モンキー・テンプル」と呼ばれる寺には行ったはずだ。
正式名称を調べると、「スワヤンブナート」というらしい。
世界遺産に指定されている。
ふと気づくと、ネパールの女子大生が2人、僕の方を見て笑っている。
これは何かあるな、と期待すると、親切な先輩が僕に代わって話を聞いてくれた。
女子大生曰く、「あの人(つまり僕だ)は本当に日本人なのか。どうみても日本人には見えない。どちらかというとネパール人っぽい顔をしている。あの人はネパール人なんじゃないか」。
その後、我々はパタンと呼ばれる地に移動し、寺院の見学をする。
そこの土産物屋でネパール特有の帽子を見つけた。
僕は友人を誘って帽子を2つ購入した。
そして、我々は高らかに宣言した。
"We're Nepali brothers!!"
その後、日本語が達者な少年との心温まる親交があったのだが、僕が印象深く覚えているのはある先輩の発言である。
それは、店頭に鶏肉、そのすぐ後ろに生き血が滴る「屠蓄場」、そしてすぐ裏にはニワトリの飼育小屋という店を見た時に発せられた。
「この店のシステムは肉が新鮮に感じられてとてもいい、ぜひ日本でもやるべきだ」
夕食は、近くのレストランの屋上で取ることになった。
ネパールの学生と一緒だ。
ただでさえ人見知り、かつ英語が不自由な僕は、黙ってもくもくと食べていた。
しかし、ビールが入ると、先ほど購入したネパール帽を取り出し、ご陽気にかぶった。
ふと食卓を見ると、緑色で長い唐辛子のようなものが載っている。
ネパール人曰く、「それ、絶対食べちゃだめだよ」。
そんなことを言われて、食べないのは日本の恥である。
僕は、(それでも控えめに)唐辛子らしきそれをかじった。
かじってすぐは何ともなかった。
しかし、時間が経つにつれ体全体が熱くなり始めた。
特に、舌から胃にかけてが痛いくらい熱い。
ネパール人は善意で「食べてはならない」といってくれたのに、僕はその善意を踏みにじったのだ。
すると、僕の異変に気づいたのか、遠くで手招きしているウェイターがいる。
たまらず駆け寄ると、ウェイターが身振りで何かを食べたのかと聞いてくる。
ここは、前に書いた耳の不自由な人たちが働くレストランである。
僕は必死で、唐辛子を食べたことを身振り手振りで伝えた。
すると、ウェイターは察してくれたのか(おそらくこんな愚かなことをする外国人が絶えないのだろうか)、コップに水をくみ、その中に大量の砂糖を入れ、僕に差し出した。
これを飲め、ということなのだろう。
僕は多少の不安があったが、覚悟して飲んだ。
甘くて気持ち悪い。
ただそれだけで、辛さは一向に取れない。
これがネパールで学んだことの1つだ。
甘さで辛さは相殺できない。
その晩は、一晩中のた打ち回った。
学会最終日(2002-11-29 Fri.)
朝から、トイレとお友達である。
前日の唐辛子が僕の体を通過して、外に出たがっている。
「Body feels exit」の意味を身をもって体感する。
それでも、Closingにはちゃんと出席した。
いろいろあったが、一応仕事は成し遂げたわけである。
ホテルのロビーでスーツからカジュアルな格好にあけっぴろげに着替え、我々は次なる目的地、ポカラに向かうこととなった。
この日の何日か前、先輩が観光旅行としてポカラ行きを取りまとめてくれたのだが、そのための追加料金が必要になった。
このとき、僕の財布には3000円もなかったと思う。
そもそも、みんなと食事するので支払いは割り勘となり、カードを使う機会がない。
それどころか、カトマンズでカードを使える店が少ない。
近くの銀行に行き、キャッシングで現金を手に入れようとしたが、ATMなんてなかった。
やむをえず、僕は日本でもめったにしない借金をホテルの同室となった友人からすることになった。
海外慣れしているその友人曰く、「カード? ネパールで使ったりしたらスキミングされるよ。やっぱり現金が一番頼りになる」。
おっかしいな。
バスで空港に向かい、国内線ターミナルに到着する。
また、親切なネパール人がたくさんやってきたが、すべてお断りした。
我々が向かうポカラは飛行機で20分くらいとのこと。
だからなのか、搭乗する飛行機は小型の年季の入ったプロペラ機だった。
これは死ぬな、と思った。
しかし、機長の華麗なる操縦により、機は無事にポカラへと降り立った。
さすがにここまでくると、空気が澄んでいる。
そして、少し遠くに山が見えるのだが、その山の高さが半端ない。
街で川合俊一を見かけてその大きさに驚くよりも、100倍は驚く。
我々はバスで移動し、ある山のふもとまでたどり着いた。
そこで主要な荷物を預け、この日は山の上のコテージに1泊することになった。
登山には馬を使う、という粋な計らいを先輩がセッティングしてくれた。
馬は管理しているおっさんに何度もムチでうたれながら(「チューッ」という掛け声とともに)、我々を山上へと運んだ。
馬に乗りながら、あのおっさんは、輪廻転生を信じているのだろうか、自分が今度馬に生まれ変わる可能性について考えないのだろうか、と思った。
何と言っても、ここは仏教国なのだ。
馬にお世話になったゴール地点からコテージまでは、30分くらいの山道を歩く必要があった。
あたりは次第に暗くなる。
子供たちが、日本人である我々を見つけて無邪気にまとわりつく。
「キャラメル、キャラメル」「スイーツ、スイーツ」
大人たちが、日本人である我々を見つけて無邪気にまとわりつく。
「×××、×××」(ここでは書けません)
真っ暗になったころ、ようやくコテージに到着。
しかし、コテージも暗い。
聞くと、電気がきていないらしい(どうやら停電らしい)。
夜は、焚き火を囲んでバーベキューとなった。
実は、このころの僕は常に腹をすかせている状態だった。
というのも、食事と言えば来る日も来る日も口に合わない「豆カレー」ばかりで、食欲が減退していたのだ。
僕の救いは、携帯しているカトマンズのコンビニで買った外国製のビスケットと日本のコンビニで買った「梅干」だけだった。
(それでも、レストランで食べた「モモ」とホテルのブレックファーストには十分救われた。)
ところが、いつまで経ってもバーベキューが始まらない。
途中「星を見るには「アイーン」で下の視界をさえぎるとよく見える」と「バカ殿」が言っていたので、みんなで「アイーン」をする(少し誇張した表現です)。
すると、ホテルの従業員(コックではなかったと思う)がおもむろに生肉と野菜を持ってきた。
そして、土の上にまな板を置いて、切り刻み始めた。
かと思うと、薄い金属の板を持ち出し、穴をいくつか開けた。
おそらくその金属の上で肉を焼くのであろう(洗った形跡はない)。
その間、ネパール人がしきりにりんごのリキュールを振舞ってくる。
何度かわからないが、とにかく度数の高い酒だ。
空腹を刺激し、頭も痛くなってくる。
やがて、バーベキューが始まり、僕の前に生焼けの肉と野菜が盛られた皿が置かれた。
そこで僕は気持ちが悪くなって、部屋に戻った。
この夜、りんごのリキュールのせいで、残されたみんなは大変なことになったらしい。
その辺の詳細は、ベッドに横になっていたので、よくわからない。