初海外!故郷はネパールだった?
学会初日(2002-11-26 Mon.)
深夜、スターウォーズの音楽が部屋の中で鳴り響く。
ライトセイバーの音も聞こえる。
カトマンズに来て、宇宙戦争に巻き込まれたのか?
同部屋の友人の携帯電話による目覚ましだった。
なぜ深夜に鳴ったのかはわからない。
時差を考慮していなかったのか、もしくは、朝早く起きて学会の準備をするためか。
いずれにせよ、起きたのは神経質な僕だけだった。
朝食は、ホテルのレストランで食べる。
卵を料理してくれるコックがいて、何とも贅沢だった。
しかし、「目玉焼き」を意味する英単語を知らないので、「オムレット、プリーズ」と言い続ける羽目になる。
そもそも、カトマンズに来ることができたのは、研究室が毎年参加しているアジア規模の学会において、口頭発表するからである。
この日から5日間の学会が始まった。
ホテルから程近い会場に到着すると、入り口に軍人が数人立っている。
その中の一人の軍人が、僕らに銃口を向けてきた!
銃口を向けてきた軍人は、単に警備をしていただけのようだ。
話を聞くと、学会のOpeningにはネパール王室の王太子が臨席されるため、警備が物々しかったそうだ。
異国で銃口を向けられたショックを隠しきれないまま、学会は始まった。
昼食は、近くのレストランでとることにした。
聞くところによると、この店はチェーン店で、社長が耳の不自由な人を積極的に採用しているらしい。
だから、メニューを注文するときには指で指し示さなければならなかった。
学会中なので、さすがに昼からビールを飲むなんてことはしない。
「モモ」という肉まんに似た物を食べる。
ここは大陸。
中国から伝来した料理らしい。
別のテーブルでは「バフのモモ事件」が発生していた。
これについては現場にいなかったので、詳細をここでは記述できない。
とにかく、「バフのモモ」ばかりを食べさせられたらしい。
この日の夕食は、街に出て中華料理を食べることになった。
路線バスに乗って移動する。
ふと気づくと、友人がマスクをしている。
どこで入手したのか尋ねたところ、日本から持参したらしい。
聞けば、出国の段階から風邪気味だったとのこと。
大気汚染の地カトマンズで、病気が功を奏した結果となった。
途中、クマリの館の前を通る。
詳細は忘れたが、神聖な少女のことをクマリと呼び、人々は尊敬しているらしい。
めったに姿を現すことはなく、大祭のときにほんの少し姿を見せる程度だとのこと。
なんとも評しがたい街並みを抜け、中華料理屋に入る。
ネパール人の先輩に尋ねると、海の幸はあまりお勧めできないとのこと。
確かに、ネパールには海がない。
帰宿のタクシーで、ネパール人の先輩と一緒になる。
そこで、その日の昼に屋台で肉を食べ、腹痛を起こした先輩の話になる。
「ネパールの人はそれを食べても大丈夫なのですか?」という不躾な質問に、先輩は「I never eat it.」と答えた。
「"never"は時間の幅を表す」と習った中学時代の知識が、遠いカトマンズの地で再確認できた。
この日かこの日の前日、確か、バンケットで披露する出し物の練習をしたはずである。
ホテルの宴会場らしき場所の片隅を借りて、ダンスの練習をした。
踊りすぎたせいか、カーペットが毛玉だらけになったけど、我々は何も言わずにその場を立ち去った。
学会2日目(2002-11-27 Tue.)
この日は、朝から夕方まで学会に参加した。
友人の発表も聞いた。
夕食はみんなで近所のレストランに行くことになったが、僕と友人は明日の口頭発表に備えてホテルに残り、発表の準備することにした。
ホテルのレストラン(中華料理)で夕食を食べたが、大変まずかった。
しかし、こんなことにはもう慣れっこになっていた。
みんなが夕食から戻ってくると、なぜだか憤っている。
話を聞くと、謎の追加料金(「×× fee」とかいったはずだが、忘れてしまった)が伝票に書かれていたため、かなりもめたらしい。
結局、その謎の追加料金を払わずに帰ってきたところが、たくましい。
夜は、真剣に口頭発表の練習をした。
もちろんだが、アジア各国の研究者の前で英語でプレゼンテーションしなければならないのだ。
日本で原稿を作っておいたのだが、現地で留学生に添削してもらったところ、表現が画一的過ぎるとの指摘を受けた。
ありがたいことに、その留学生は練習に付き合ってくれ、さらに原稿も一緒に考えてくれ、書き換えにまで協力してくれた。
しかし、この前日の原稿変更が、本番であだとなるとは気づかなかった。