初海外!故郷はネパールだった?
学会3日目(2002-11-28 Wed.)
奇しくも、母親の誕生日だったこの日、僕はネパールの地で口頭発表をすることになった。
会場に持込んだPC(CASIO製 Fiva MPC-216XL!)をひざに乗せ、発表直前まで真剣に練習した。
そして、いざ本番。
"Thank you Mr. Chair Man, and good morning everyone..."
次の句が出てこない。
頭が真っ白になる、というめったにないことが、この期に及んで発生したのだった。
思えば前日、必死の練習はよかったのが、その際、挨拶の一部を変えることにした。
その変更した箇所がすっぽりと頭から抜けたのだ。
後から聞くと、結局僕は20秒くらい「あー」と言っていたままだったらしい。
「でも予定時間(7分)はぴったりだったよ」とお褒めの言葉はいただいたが。
この日は、昼からビールを飲んだ(1杯だけ)。
結果はどうであれ、僕のプレゼンテーションは終わった。
一応の仕事を果たしたのだ。
いやいや、仕事はまだ終わっていない。
この日の夕方、バンケットが待っていた。
我々の学年は、学会のバンケットで披露するダンスを仕切るという重要な役目があった。
出し物は、例年日本にちなんだものという「決め」があり、相当に力を入れなければならなかった。
なぜなら、バンケットで各国が出す出し物には順位がつけられ、僕の所属する研究室は日本代表として例年好成績を残していたからだ。
我々が考えた出し物は、ミニモニの「ジャンケンピョン」だった。
なぜそれに決まったのか、決めるための飲み会を開いてまで決めたはずなのだが、覚えていない。
おそらく、そのときの流行を取り入れただけだろう。
詳細は、一応覚えている。
女装した我々の学年の有志たちが前面で踊り、残りはスーツを着て後ろで踊るというものだ。
そして曲の2番になると、白塗りした殿様(これも我々の学年の有志1名)が舞台に上がり、コミカルなダンスをするというものだ。
白塗りした殿様。
これは志村けんの「バカ殿」である。
私の記憶が確かなら、アジア全域では志村けんの番組がはやっており、志村けんが空港に降り立つとものすごい騒ぎになるらしい。
日本らしさとアジア全域の人気を兼ね備えているもの。
これだ、と思った。
加えて、僕らはある工夫を凝らすことにした。
それは、ダンスを踊る人間2人に大仏の被り物をかぶらせる、というものだった。
これは、女装するための衣装の値段が高く、予算上2着しか買えなかったための苦肉の策だった。
ご推察のとおり、これは当時、「めちゃめちゃイケてる」でやられていた「大仏くん」のパクリに過ぎない。
しかし、この「大仏」は結果的にお蔵入りとなった。
バンケット前日、我々はダンスの準備を粛々としていたのだが、そのときふと神の(仏の?)啓示があったのだ。
「この大仏の被り物、仏教を侮辱していないか?」
僕はこの国が仏教国であることを説明し、大仏のかぶり物は控えた方がいいのではないかと提案した。
しかし、いかんせんお気に入りの「大仏」であったので、どうしたらいいのか判断がつかない。
そこで、一緒に来ているタイの留学生に見てもらい、判定してもらうことになった。
そして、我々は大仏の被り物をして、タイ人の留学生がいるホテルの部屋をノックした。
僕はそのときのタイ人の留学生の表情と発した言葉を今でも忘れない。
"too sensitive..."
こうして、僕らは研究室の危機を回避した。
あのまま、大仏の被り物をしてミニモニを踊っていたら、間違いなく国際問題に発展した。
翌日の朝日新聞は大変なことになっていたはずである。
かくして、母親の誕生日に母を悲しませる事態だけは避けられた。
そして、バンケット本番。
バスに揺られ、豪華なホテル(有名なホテルチェーンだったが失念)に移動した。
我々は意気揚々と本番に臨んだ。
しかし、本番直前になって、誰もダンスに使う音源を準備していないことに気づいた。
ここまで、練習はすべてPCのmp3を流して、こなしてきたのだ。
広いバンケット会場に流すような音源を準備しては来なかった。
やむを得ずPCを音源とするのだが、ここはバンケット会場。
誰もPCを持込んではいない。
いや、一人だけいた。
僕である。
A5サイズのPC(何度も言うがCASIO製 Fiva MPC-216XL!)だったので、絶対使わないであろうバンケットの席にも意気揚々と持ち歩いていたのだ。
しかし、会場の機器とはジャックが異なり接続できない。
仕方がないので、PCのスピーカー(くどいようだがCASIO製 Fiva MPC-216XLという非力なマシン)にマイクを当ててもらい、そこから音を拾って会場に流すことになった。
そして、ダンス本番。
結果は…。
音の小さなバックミュージック。
ダンスなのに靴を履いているため、鳴り響く靴音。
しらけたムード。
曲の2番でバカ殿が登場したが、挽回できない。
しかし、ダンスが終わると、それまでシーンとしていたムードが、一転大拍手に変わった。
正直に言おう。
我々はアジア中の同情の拍手をもらったのだ。
バンケットの出し物は、地元ネパールの伝統芸能の優勝に終わった。
我々は2位だった。
まあ、納得のいく2位である。
この後、食事となる。
先輩がいち早くバイキングの列に並び、アジア2位の食いしん坊という称号を得る。
ふと気づくと、「バカ殿」を演じた友人がひどくしょげている。
声をかけると、トイレでむなしく白塗りのドーランを落とし、会場に戻ってきたら、どこかの外国人が「バカ殿」を評してひどい言葉をささやいているのを聞いたらしい。
何と言われたのか、僕は忘れてしまったが、彼はきっと覚えていることだろう。
しかし、酒も入っていないのに、会場を盛り上げると言うこと自体、無理がある。
せめて、出し物と食事の順番が逆だったら、観客も酒が入って何とかなったのに、というのが我々の負け惜しみである。
ところで、旅から戻ってきた後、手元に赤く塗られた軍手がしばらく残されていた。
確か、この出し物のために使ったはずなのだが、どう使ったのか全く覚えていない。
母親の誕生日に、息子は母親を悲しませることはなかったが、異国の地で大きな恥をかいた。