相米慎二作品を見返す
僕が映画監督である相米慎二の訃報を知ったのは、2001年9月10日。
ちょうど台風15号が近付いている時だった。
次の日の早朝、台風が上陸する前に自宅を出、自転車で大学へ向かった。
研究室には人の姿はなく、とても静かだった。
やがて、台風が上陸し、外は出歩けないほどの嵐になった。
研究室の窓にたたきつけられる雨を眺めながら、相米慎二の訃報のことを思い出していた。
このまま大雨が降り続け、地表が水で覆われるのだろうか、とも思ったが、それにしては台風の威力が小さすぎた。
2001年9月11日というと、大半の人は飛行機がビルに突っこんだことを思い出すだろう。
僕はそれに加えて、台風のことを思い出す。
それから、10年が経過。
没後10年に向けて、相米慎二の監督作品を一通り見てみようと決め、昨年から鑑賞を少しずつ進めてきた。
僕には映画評論はできない。
かといって、「映画感想家」を名乗るほどの図太さもない。
見た映画についてあれこれ言うのは醜態をさらす結果に終わるので、できるだけ控えようと決めている。
ただ、今回の試みに当たって、わかったことについて記しておこうと思う。
それは、相米慎二の作品を見返すことは、現状では結構難しい、ということだ。
なぜなら、ふとレンタルショップに行き、陳列棚からDVDをピックアップし、借りてきて自宅で見る、といったう手軽さが全くない、とまでは言わないが、全ての作品においてそう言える状態ではないからだ。
そこで、相米慎二作品に対するアクセシビリティという観点を中心に、今回の作業を記録しておくことにする。
「台風クラブ」
僕が初めて「台風クラブ」を見たのは、1996年1月4日。
前年末の深夜にTVで放送されたものをVHSに録画し、それを年明けに見た。
このとき、「これはこれは大変なものを見てしまった」と感じた。
自分がどういったものに興味があるのか、自分でも正確に把握していなかったのに、それがこの映画の中にことごとく出現していたからである。
ここまで衝撃を受けた映画は、他には「ドレミファ娘の血は騒ぐ」、「曖・昧・Me」、そして「冒険してもいい頃2」ぐらいだと思う。
その当時は、まだウェブが普及していなかった頃だった。
ウェブを使う代わりに、書店や図書館で「台風クラブ」について調べた。
この時初めて、相米慎二のことを知った。
ショックだったのは、この映画が1985年に公開されていた、ということだ。
すでに10年以上も昔にこの映画が存在していたのだとしたら、僕はこの10年の間、一体何をしていたのだろう。
本気でそう思った。
以来、この映画を計4回見ている。
回数がそれほど多くないのは、この映画を見ることによって打ちのめされるのが怖いからである。
とはいえ、内容はよく覚えている。
今回の試みも、まずはこの映画から見返すことにした。
手元に、15年前に放送を録画したVHSと、日本映画専門チャンネルで放送されたものをDVDで持っている。
それを見てもいいのだが、一応近所のレンタルショップにDVDがあるかどうか、確認することにした。
確認したところ、DVDが貸し出しされていたので、店からDVDを借りてきた。
このDVDには特典映像が収録されている。
映像の内容は、生徒役の俳優が当時を振り返ってコメントを寄せているものだ。
ただし、テキストのみであり、残念ながらインタビューを撮影したものではない。
「魚影の群れ」
近所のレンタルショップでは、ウェブで所蔵を検索できるシステムを提供している。
今回作品を探すに当たって、そのシステムが大変に役に立った。
相米慎二監督作品を検索してみると、表示されたのは3件だった。
「台風クラブ」と「魚影の群れ」、そして「セーラー服と機関銃 完璧版」の3件。
「台風クラブ」を見終えた後、「魚影の群れ」を借りてきた。
「魚影の群れ」は、佐藤浩市が血まみれになるシーンがやけに印象に残っている。
このDVDには、ロケ地紀行の特典映像が収録されている。
大間の漁港を尋ねるレポーターを見て、「ああ、こういうのが友近がものまねしているやつか」と思い至った。
「セーラー服と機関銃」
「魚影の群れ」に引き続き、「セーラー服と機関銃 完璧版」を近所のレンタルショップで借りてきた。
この映画を見たのは、2度目。
マシンガンを撃ち放した後の薬師丸ひろ子ばかりが取りざたされるが、最初の長回しと、最後の雑踏のシーンだけ見ても、痕跡がしっかり残っているのを確認できる。
「翔んだカップル」
近所のレンタルショップで借りられる3本のDVDを見終わり、行き詰まってしまった。
次にどういう手が考えられるか。
そこで、ネットレンタルを利用することにした。
日頃から使っているサービスで検索をかけてみると、まだ見ていないものの中では「翔んだカップル」だけがあった。
実に奇想天外な設定のストーリーであったが、そのことを感じさせない演出だった。
井筒さんは「みゆき」の時にノイローゼになったと聞くが、ノイローゼになるかどうかは人に依るようである。
「ションベンライダー」
そうこうしているうちに、近所にレンタルショップが新しく開店した。
あまり期待することなく足を運んでみると、陳列棚には「ションベンライダー」だけあった。
これがまたびっくりするような内容だった。
疾走感、めまぐるしさ、そして「ふられてBANZAI」。
何故この歳になるまで見なかったのだろう、とまた後悔する。
「夏の庭」
レンタルショップ、ネットレンタルにあるDVDは全て見終えてしまった。
僕が書いた1998年7月20日の日記には、「今日NHKで放送された「夏の庭」を録画し損ない、見ることができなかった」と口惜しげに記してある。
数少ないチャンスを逸して以来、DVD化されていない「夏の庭」を見る機会に一切恵まれなかった。
ここで僕を助けたのは、日本映画専門チャンネルである。
「夏の庭」は2010年に日本映画専門チャンネルで放送され、僕はそれを録画した。
導入から、「この映画は必ずいい結末を迎える」と思わせるものだった。
途中、戸田菜穂が出てきて、戦争の話になって、少し不穏な雰囲気が漂ったが、結末には大満足した。
先日の「徹子の部屋」に戸田菜穂が出演しており、彼女は、相米作品で鍛えてもらってよかった、と話していた。
「ラブホテル」
「ラブホテル」には、盲点があった。
レンタルショップでもネットレンタルでも、「ラブホテル」のDVDを見つけることはできなかった。
あきらめかけていたある時、ふと思いついた。
「ラブホテル」は日活ロマンポルノである。
もしかしたら、一般作ではなく、成人映画のコーナーで探せば、「ラブホテル」のDVDを見つけることができるのではないか。
実際、ネットレンタルの成人映画コーナーで検索してみると、確かに「ラブホテル」のDVDはあった。
エンディングの演出に、ため息が出る。
「お引越し」
「お引越し」は1993年に公開された。
その当時、まだ相米慎二のことを知らなかったが、僕はこの映画をどうしても見たかった。
TVで頻繁に「お引っ越し」の試写会のCMが流れていて、それを見ただけで、おもしろそうな内容だなと思ったのだ。
当時話題だった桜田淳子が出演していたのも、ミーハーな僕には魅力的だった。
でも、その時は結局見なかった。
だいたい、小倉で「お引越し」を上映していたのだろうか。
あの当時、小倉には行きたいと思わせる映画館が1つもなかった。
今となっては、当時あった映画館はひとつを除いて全て閉館している。
こちらも、2010年に日本映画専門チャンネルで放送されていたのを録画して、見た。
子供ではなく、親の方に感情移入してしまう歳になった自分が虚しい。
「風花」
「風花」を映画館でかけられていたときは、すでに上京していたし、相米慎二のことも知っていた。
映画館で予告編も見たし、フライヤーを手にしてもいたが、結局は見に行かなかった。
この時もやはり、相米作品を見るのが怖かったのだと思う。
日本映画専門チャンネルで放送されていたのを録画して、見た。
あまりいい評判を聞いていなかったので、ちょっと心配していたのだが、実に落ち着いた内容でほっとした。
そういえば、シネカノンは倒産したのだった。
その他
相米慎二が監督した映画以外のもの。
「相米慎二特集 特別番組 -挑発する映画の魂-」
http://www.nihon-eiga.com/system/prog_tmp/001682_000.html
少し前になるが、日本映画専門チャンネルで偶然見た。
この番組によると、寺田農は、大学で教壇に立つことがあり、学生に「台風クラブ」を見せたりしているそうである。
今でも学生から、「すでにあの当時に、こんな映画を撮っていたのか」という感想が出るという。
「ETV特集 迷走 碁打ち・藤沢秀行という生き方」
http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2009/1213.html
藤沢秀行と交流があった相米慎二は、藤沢にインタビューを試みている。
その映像が、この番組で放送された。
「太陽を盗んだ男」
助監督として参加している。
DVDを借りて、見た。
こういう荒唐無稽なストーリーがすんなり受け入れられた時代をうらやましく思う。
「空がこんなに青いはずはない」
制作として参加している。
DVDを借りて、見た。
内容は、あまり好きではない。
ただ、相米慎二プロデュースという観点で見ると、人のつながりが見えてきて楽しめる。
結果
今回の試みでわかったのは、まず、相米慎二作品を店舗に置いているショップは少ないということだ。
仮に置いてあったとしても、せいぜい2、3本置いているのがやっと、という感じ。
小さなショップしかないような地域では、きっとほとんど手に入らないのだろう。
それを補完する形で、ネットレンタルが役に立った。
ソフト化されている映画については、今後ネットレンタルがますます充実した品揃えを実現し、我々を助けることになるのであろう。
一方で、相米慎二作品の中にはDVD化されていない作品が半数近くあることもわかった。
きっと需要がないわけではなく、複雑な問題が絡んでいるのだろう。
複雑な問題が絡んでいる、と信じたい。
DVD化されていない分は、日本映画専門チャンネルに助けられた。
放送を録画し損なわないために、EPGに「相米」というキーワードを登録しておき、毎週チェックした。
一方で、ビデオ・オン・デマンドは全く役に立たなかった。
VODの便利さを語る宣伝は、現状では過剰な表現であると思う。
今回の試みでは、「光る女」、「雪の断章 情熱」、「あ、春」を見ることができなかった。
これまでにも見たことがない。
「光る女」以外の2本はDVD化もされていない。
特に今回、「あ、春」をどうしても見たかったのだが、その願いは叶わなかった。
「あ、春」については、公開当時に映画館で予告編を何度も見た。
それにもかかわらず、本編を見に行かなかった。
予告編だけを見て、「つまらなそうだな」と思ったからである。
僕は、とんでもなくバカである。
しかしながら、DVD化して次世代に伝えようとしない行為も、非難されていいものだと思う。
僕には、待つしかできない。
余談
「東京上空いらっしゃいませ」は、1996年に見た。
詳細には覚えていないが、残された記憶を反芻する限り、別に見なくてもいいや、という気になっている。
最後に、寺田農が35歳年下の一般女性と結婚したことを付け加えておく。
追記
「あ、春」を見ました。
「東京上空いらっしゃいませ」を見ました。
「雪の断章 -情熱-」を見ました。
「光る女」を見ました。