メールクライアントの遍歴
これは、僕が使ってきたメールクライアントに関する記録である。
現在、ローカルマシンのメールクライアントとしてThunderbirdを使用している。
2005年3月からなので、もう5年近くになる。
Thunderbird以前は、様々なメールクライアントを使ってきた。
Thunderbird以前にやりとりしたメールは、各メールクライアントの各種ファイル形式で保存されたまま、放っておいた。
つい最近、放っておいた昔のメールを全てThunderbirdに取り込んでみよう、と思い立った。
人とは違うことがしたくなる、落ち着きのない性格のせいだろうか、これまでいくつかのメールクライアントに浮気した。
中にはもうソフト自体が公開されていないクライアントというものもあり、移行作業はひどく手間のかかるものになった。
いい機会なので、どんなメールクライアントを使ってきたのか、書き残すことにした。
遍歴一覧
- 1999-11 Microsoft Outlook Express
- 2002 AL-Mail
- 2004-03 Becky!
- 2004-03 EdMax
- 2004-06 M's Messenger
- 2005-03 Thunderbird
小倉時代
僕が電子メールを始めたのは、1996年頃だったと記憶する。
その頃から、僕は野口悠紀雄先生が書いた「「超」整理法」シリーズの信奉者だった。
本からの請け売りで、「パソコンをネットにつながないのはナンセンス」と実に単純に感化された。
既にパソコンを持っていた僕は、パソコンをネットにつなげることを画策した。
まずは、両親を説得し、電話回線を自室に引き込むことに成功した。
次に、ベスト電器で外付けモデムを購入した。
ものすごくたいそうな接続方法で、パソコンと外付けモデムをつないだ記憶がある。
たぶん、ただのRS-232だったのだと推測する。
それにしても、今の僕にあの接続ができるものだろうか。
まったく、USBって本当にすごいし、本当に人間を退化させる。
とりあえずは、国内最大手であるニフティーサーブというパソコン通信に加入した。
その頃には「Nifty Manager」というGUIが提供されていて、それまでの主流だったコマンド操作が必要なく簡単にパソコン通信を楽しむことができた。
しかし、いかんせんパソコンの能力が低かったので、満足のいくことはなかった。
ブラウザをダウンロードし、インストールすれば、wwwも楽しめたはずなのだが、僕のパソコンでは簡単なhtmlを開くだけで15分くらい要していた。
その「Nifty Manager」の一機能を通じて、電子メールのやりとりをしていた。
当時の友人たちがちょうど電子メールを始めたころで、実験的に、あるいは物珍しく、あるいは電話で声を聞くのも嫌だ、という理由でメールを交わした。
その当時のメールのログは、驚くことに今も残されている。
うまくやればそのログをThunderbirdに取り込むこともできるのだろうけど、そうしなくてもエディタで十分読めるので、やるつもりはない。
教育用計算機センター時代
大学に入学することになり、実家を離れた。
その際、パソコンを実家に置いていった。
しばらく、自宅にパソコンのない生活を送った。
入学してから、僕は大学の教育用計算機センターに入り浸るようになった。
センターの端末は、ご多分に漏れずUNIXだった。
あの頃の状況を考えれば仕方ないけど、僕のような一般人には実になじめないインタフェースだった。
コンピュータに詳しい、という僕の自負は脆くも崩れ、ずいぶんとクラスメイトのお世話になった。
特に、情報処理の授業はとにかくマゾヒズムに満ちていた。
その頃に使っていたメールクライアントは、たしかEmacsの多言語拡張Mule上で動くMewかMH-eのどっちかだった。
あるいは、kterm上で何かを動かすとかいうのだったかも知れない。
とにかく、今になってみれば、人間離れしたやり方だったとしか言いようがない。
電子メールのやりとりは、主に大学のクラスメイトたちや、他の大学に入った友人たちとしていた。
どのメールも興味本位で自分本位な内容で、意味のないメールばかりだった。
本当に伝えたいことや周知したい連絡を電子メールで知らせる、という発想が当時はなかったと記憶する。
よその大学の人たちとメールを交わすと、相手のメールクライアントでは僕のメールがよく文字化けていて、対応に苦慮した。
海外に滞在している友人たちとは、メールで漢字が使えないので、ローマ字でメールのやりとりもした。
レポートをメールで提出する、とかもこの頃に始めたことである(ただし、送るのはテキスト)。
この頃のメールは、残念ながら残されていない。
何でも残しておく僕が、何故このときのメールを取っておかなかったのか、今となっては全くもって不明。
よっぽど嫌なメールでもあったのかも知れない。
だとしたら、取っておかなくて正解だったのだろう。
1999年には、Yahooにアカウントを作成し、ウェブメールを始めた。
こないだ見たら、アカウントを作って10年も経っていたことがわかり、驚いた。
Yahooの方も、昔のメールは全く残っていない。
消してしまったか、消されてしまったようである。
Outlook Express
1999年11月。
ようやく自宅にPCを購入した。
パソコンとは全く無縁そうな知人がいきなり高価なPCを購入したのを知り、負けじと購入したのだ。
まったく、見栄の張るとは人間の醜い業である。
ちなみに、このころからパソコンのことを「PC」と呼ぶようになった。
メールクライアントは、とりあえずOutlook Expressにした。
他の選択肢があることすら知らなかったし、実際その頃はそんなに選択肢がなかったんだと思う。
HTMLメールをひどく憎んだ。
もちろん、ウィルスに感染したこともある。
その頃にはもう携帯電話もあったので、友人とメールで連絡を取ることなんてほとんどなかった。
その代わり、講義の試験対策プリントというものがメールでまわってきたりした。
卒業論文の作成においても、指導教官や先輩方と連絡を取るのにメールを使ったりもした。
添付ファイルをがんがん使い、送付できるファイルサイズの上限を気にしていた時代である。
メールマガジンを講読するのが流行ったのもこの頃。
PostPetも流行っていたけど、僕が手を出すことはなかった。
友人の中には、Eudoraを使う人もいた。
今はもうないんだね。
Outlook Expressをメインのクライアントとして使うのは途中でやめたのだが、結局2003年1月頃までOutlook Expressでメールを受信していた。
使うのをやめた理由は、MSを使うのはどうにもかっこわるい、というのもあったし、何となく信頼できなくなってきたからである。
Outlook Expressからの移行方法
ここでショートブレイク。
Outlook ExpressからThunderbirdに移行する方法を説明する。
僕の場合、Outlook Expressのメールが何故かeml方式で保存されていた。
なので、このファイルをThunderbirdに取り込むことにした。
取り込みには、Thunderbirdのアドオンを利用するのが便利である。
僕は、取り込みにImportExportToolsを用いた。
取り込んだ過去のメールを読み返してみると、すっかり忘れていた友人のメールを再見でき、連絡先も知ることができた。
でも、僕の性格上、こちらから連絡することはしばらくないだろう。
AL-Mail
ある日、Outlook Expressが作成するメールファイルを見てこう思った。
なんて、ファイルサイズが大きいんだろう。
UNIXでは、基本的に1つのメールにつき1つのファイルが作成される。
一方、Outlook Expressではどうやらクライアント上のフォルダごとにファイルを1つ作っているようだった。
僕はフォルダを使ってメールを分類することをしていなかった(野口悠紀雄信奉者なので、もちろん時系列で整理していた)の加わって、ファイルサイズが巨大になっていたのだ。
1メールにつき1つのファイルにしたい。
そういう僕に知人が教えてくれたのが、AL-Mailというソフトである。
これはいい、としばらく使っていた。
使ってみて分かったのが、アカウントがまとめられて、1つの受信ボックスにメールを収めるところがとてもよかった。
結局就職するまでそれを使ったけど、ソフトの開発が何だか滞るようになった気がして、使うのを辞めた。
AL-Mail からの移行方法
AL-MailからThuderbirdにメールを移行するには、その名もずばりALM2Thunderbirdというソフトを使った。
移行すると、実に約20,000通の受信メールがあった。
使用期間約1.5年で20,000通というのが多いかどうかはわからないが、それ以前に比べたらメールの数は格段に増えていた。
就職活動にもメールを使っていたのが懐かしい。
模索時代
ここからしばらく暗中模索することになる。
2004年3月。
友人に勧められて、Becky!を試してみた。
無料じゃないのと、何か大げさな作りなので、1週間くらいで辞めた。
続いて、EdMaxである。
EdMaxを使っていたことはすっかり忘れていて、メールを移行する段になって初めて、使っていたことを知った。
何が理由だったか忘れたが、とにかく2か月くらいで使用を辞めたみたいである。
Becky!、EdMax からの移行方法
Becky!からThunderbirdにメールを移行するには、次の通り。
まず、Becky!の機能でメールをmbx(mbox)形式に変換する。
そして、それをThunderbirdのアドインであるImportExportToolsで取り込む。
ただし、一部のメールはうまく変換できなかった。
EdMaxからThunderbirdにメールを移行するのも、基本的には同じ作業である。
まず、EdMaxの機能でメールをmbx形式に変換する。
そして、それをThunderbirdのアドインであるImportExportToolsで取り込めばよい。
とち狂った時代
しばらくメールクライアントを探していたのだが、2004年6月にM's Messengerというソフトに出会い、使ってみることにした。
M's Messengerは、「オブジェクト指向を取り入れたメールクライアント」というのを売りにしていた。
つまり、僕は流行りものに弱い。
結局1年弱は使った。
使い勝手はよかったけど、とにかく動作が遅かった。
M's Messengerからの移行方法
M's Messengerのサイトは既に閉鎖されている。
ここで大きな教訓を得ることになる。
独自の保存形式を採用していて、いつ公開をやめてしまうかもわからない無料ソフトに、無闇に手を出してはいけない。
それでも、M's MessengerからThuderbirdにメールを移行することはできた。
やり方は次の通りだ。
まず、昔のデータが入っているハードディスクを持ち出してきて、M's Messengerのソフトを探し出す。
つぎに、今使っているPCにそのソフトをインストールする。
続いて、設定をむりくり復元して、メールを読み込む。
そして、メールをmbx形式に変換する。
最後に、それをThunderbirdのアドインであるImportExportToolsで取り込んで、終了。
でも、そんなに苦労して読み込んでも、たいしたメールはないんだよね。
Thunderbird
2005年3月。
いろいろな変遷を経て、ようやくThunderbirdに落ち着いた。
これが一番長い。
今後もしばらくは使うことになるだろう。
モバイル
おまけで、こんなものでもメールをやりとりしたというのを3つ紹介する。
まず紹介するのは、KDUmail。
フロッピーディスクやUSBメモリに入れて、いつも持ち歩いていた。
FIVAを失った後、他人のPCに完全に依存して生活する、というのに凝っていた時期に使っていた。
続いて紹介するのは、nPOP。
シグマリオンIIIにインストールして、外でメールを送受信するのに使っていた。
最後は、webメール。
一時期PHPで自作までしたけど、今はプロバイダが運営しているものを使っている。
旅行の際には、これでメールをチェックしている。
Gmail
2010年1月、Gmailを使い始めた。
Gmailのアドレスを取得したが、特に誰にも教えていない。
これまでのメールアドレスをそのまま利用し、そこに届いたメールをGmailに転送するかGmailからPOPで取得するかのどちらかでGmailに取り込んでいる。
言ってみれば、Gmailをメールクライアントとして使用しているのだ。
Gmailであれば、携帯電話からアクセスしメールを一元的に扱うことが可能となる。
ところで、万が一ガサ入れが入ったとき、Gmailのサーバ上のデータは差し押さえられるのだろうか?
一方で、手元にもメールを残しておきたいという希望もある。
そこで、ローカルマシンのThunderbirdでメールを自動受信している。
結論
メールの移行作業で得られた教訓と知見があるので、ぜひとも皆さんに知ってもらいたい。
将来、メールクライアントを乗り換える可能性は非常に高い。
なので、メールクライアントを選ぶ際には、標準的な形式でエクスポートできる機能があるか確認することが肝要である。
そして、一連の移行作業で改めて感じたことは、emlとかmbx(mbox)とかはすごい。
それにしても、過去のメールを読み返すと、当時の嫌な記憶しかよみがえらない。
そもそも、僕に「いい思い出」に分類される記憶があるのだろうか。