政令の乗り人
2018年2月 金曜
その日、僕は品川駅にいた。
コンビニのセルフレジではビールを買えないことを、初めて知る。
京急連絡改札口を抜け、京急の1番線に立つ。
列車案内表示を読み解くのに時間がかかる。
途切れなく到着する列車を裁く駅員、複雑な整列乗車を順守する乗客。
どちらも、よく鍛錬しているものだ。
2017年までに、東京都内の鉄道を乗りつぶした。
2018年は東京周辺に目を向け、関東の政令指定都市の鉄道完乗を目指すことにする。
まずは、関東の政令指定都市を確認しよう。
さいたま市、千葉市、横浜市、川崎市、相模原市…。
取り急ぎ、相模原市について調べる。
よかった、市内の鉄道は全部乗っていた。
なので、中央新幹線の開業まで相模原市のことは忘れることにする。
2017年に千葉駅を訪れた際、千葉市内の鉄道はすべて乗った。
なので、残るはさいたま市、横浜市、川崎市の未乗路線となる。
品川駅で20分後に発車する快特を待つ。
待望の快特は、期待と違いクロスシートではなかった。
「快特→クロスシート」という十分条件が誤っていることに気づいたのはよかったが、このビールどうしよう。
先頭車両に乗車した快特は、品川駅をゆっくりと発車し、踏切を通過する。
近い将来、この風景も見られなくなる。
本日は列車遅延が発生しており、乗っている列車は走るとすぐに前の列車に詰まってしまう。
通過駅で前を行く列車を追い抜くと、急加速で遅れを取りもそうとするものの、前の列車にすぐに追いつき、加速をやめてしまう。
横浜駅を過ぎ、乗客がまばらになったことを確認し、缶ビールを開ける。
この先は丘陵地帯を走り、トンネルも多い。
「横浜は山がちだよな」と、独り言を言ってしまう。
先頭4両は金沢文庫止まり。
文庫で後方車両に移る。
1駅乗って、最初の目的地である金沢八景駅に到着。
逗子到着後について京急線車内で考えていたのだが、ひとまず新逗子まで往復することにし、後から来た逗子線の車両に乗る。
ここは三線軌条区間である。
六浦駅あたりで周辺を見ても、まだ住宅地が広がっている。
どんな生活を送っている住民なのか、全く想像がつかない。
畏怖すら感じる名前の神武寺駅で、米軍施設を目にする。
ここまで来ないと、米軍用の改札口の存在など知らないままであっただろう。
逗子駅へ向かう分岐線は、途中でトンネルに吸い込まれる。
横須賀線を越えて、新逗子駅に到着。
逗子の街は初めて。
逗子駅まで歩いてみる。
商店街には美容院や魚屋があり、歴史を感じる。
逗子駅は、いかにも国鉄の1970年ごろの駅舎、というたたずまいである。
鯵の押し寿司は我慢し、新逗子駅のドトールで朝食。
店員は中年女性、客層は老人という、都心では見られない構成であった。
新逗子駅の改札に戻る。
駅の時刻表を見ると、10分に1本発車する列車の大半が羽田空港行のエアポート急行である。
京急蒲田のポイントの苦労を慮る。
逗子線で金沢八景駅まで戻り、少し離れたシーサイドラインの駅へ向かう。
金沢八景というだけあって、昔は絶景地であったようだが、今では見る影もない。
地名に記憶が残っていなければ、何も気づかぬままであっただろう。
仮駅時代を長く過ごしているシーサイドラインの金沢八景駅も、あと1年くらいで京急の駅まで延伸されるようで、京急駅と合わせて工事が進められている。
延伸開業後に乗りに来ることを思うと、実にかったるくなり、リストからは外すことに決めた。
この歳で車両の先頭に乗ることはさすがに気が引けるので、窓側の席を確保するにとどめる。
乗ってみたところで、いかなる経緯でシーサイドラインが建設されたのか、手がかりすら得られない。
福浦とか幸浦とか、いかにも取ってつけたような地名に辟易し、少し眠る。
元々、風邪をひいていて微熱が続いているのだ。
気づいたら、新杉田駅に着いていた。
連絡通路なのか商業施設なのか、よくわからない場所を抜け、JRの改札へ到着。
根岸線ならではの大掛かりな対面プラットフォームから、大船方面を目指す。
洋光台、港南台、本郷台という「根岸三兄台」を通過し、大船に至るまでの路線配置を堪能する。
終着駅の大船で乗り換える。
跨線橋なのか商業施設なのか、よくわからない場所を抜け、東海道線…、上野東京ラインの乗り場に降り立つ。
ここからだと果てしなく遠く感じる古河行に乗り込む。
そういえば、大船観音を拝み忘れた。
またまた山を抜け、横浜駅に到着。
今も位置構造を把握することができない横浜駅構内をさまよい、根岸線の乗り場に到着。
大船行に乗り込む。
列車は左にカーブし、旧東横線の横を走る。
桜木町を過ぎたあたりから、右側の車窓に目が行く。
高架を走る根岸線からは、並行して走っていた派大岡川が暗渠になったため、眺望が開ける。
幅員の広い道路の向こうに建物がこちらを向いて林立している。
一般的に、鉄道は街の裏側を走るものである。
車窓から見える建物は道路とは反対側の面を見せており、あまりきれいではない。
その点、この区間は道路を挟んで建物が正面を向いており、美しい。
もしかしたら、国内で最も美しい都市の車窓が、根岸線の桜木町から石川町にかけてではないだろうか。
首都高速のジャンクションに挟まれた、橋上の石川町駅に到着。
元町側の南口で降り、商店街を歩く。
元町の商店街では、関東に2つある「名前は聞くけれど、行く機会はめったにないセール」の1つ、横浜元町チャーミングセールが、まさに今開催されていた。
ちなみにもう1つのセールとは、日比谷シャンテのシャンテバザールである。
僕は、のん派であるので、チャーミングセールは、横浜のおばさまたちとともに、ぜひとも応援していきたい。
チャーミングセールを素通りし、中華街へと向かう。
立看板によると、質の悪い甘栗を押し売りする悪質な業者がいるらしく、優良栗販売店推奨制度なるものがあるらしい。
優良推奨店と認定された店舗で買うように、とのお達し。
窮屈な時代である。
一通り散策し、ふかひれ専門店に入る。
紹興酒とふかひれ麺を注文。
ふかひれ麺が先に出てきて、麺を2割ほど食べたところで、紹興酒がふるまわれた。
街の地下をさまよい、元町・中華街駅に到着。
みなとみらい線の駅構内は、なぜこんなに暗いのだろう。
Fライナー小手指行という、どこに連れていかれるのか覚悟しないと乗れない列車で、都心に戻る。
帰途、甘栗太郎にて甘栗を購入する。
本日の乗りつぶし
- 京急逗子線:金沢八景 - 新逗子
- 横浜シーサイドライン:新杉田 - 金沢八景
- 根岸線:洋光台 - 大船
- みなとみらい線:みなとみらい - 元町・中華街
2018年3月 金曜
その日、僕はバスタ新宿にいた。
国道20号の立体道路制度を利用し、JRの線路の空中に施工された、「交通結節点」である。
僕は、この施設の開設をめぐる動きについてごくごくほんの少しだけ因縁がある。
「歴史とはこうして作られるのだ」とへしゃげるような打撃を受け、まだ比較的自由が広がるITシステム業界へ転向したのだ。
正確なことは知らないので、詳細はここでは書けない。
午前中に用事を済ませ、短い間を共にした仲間と軽いパーティーをした後、午睡もせずにここにきたのは、今からリムジンバスで羽田空港へ向かうためである。
13時30分、バスタ4階のバス乗り場を出発。
事前に購入した乗車券の価格、1,230円に激しく悶絶した気持ちは今も収まらず、新宿を後にする…、15分経ってもまだ初台である。
以前、新宿から羽田空港に向かう旅人に、「絶対にリムジンバスにするべきだ、30分くらいで着くらしいよ」と言ったのだが、軽やかに無視された。
それは正しい態度であっただろう。
ようやく初台の交差点を左に曲がり、首都高速中央環状線へと入る。
大型バスの視線が高いためか、多少の揺れがあるためか、トンネル内の走行が怖い。
自分で運転して、この流れに乗ることを想像すると、気絶しそうになる…、大橋あたりで実際気絶して、気づいたら大井の車両基地が広がっていた。
出発から35分後、羽田空港に到着。
今日は、第2ターミナル。
2階で降ろしてもらったにもかかわらず、いつものように地下まで下り、コンビニエンスストアで缶ビールを買い、最上階まで上る。
飛行機を見学しながら、ビールを開ける。
寒い。
可能なら、リタイア後は羽田空港で働きたいと思う。
長距離旅行者が行きかう場所で仕事をすることを想像すると、自分の旅心が動き出す。
「今から鹿児島空港行きに間に合うでしょうか」などというお願いも、聞いてあげる、かなえられないだろうけど。
ここから飛行機…、ではなく路線バスに乗る。
空港が路線バスの「交通結節点」であることは、「路線バス乗り継ぎの旅」を視聴していれば自明のことだ。
川崎行の路線バスに乗る。
空港敷地内を脱出するのに、そこそこに時間がかかる。
20分ほど走って、空港会社のキャビンアテンダントかグランドスタッフかと思われる女性が、キャリアを抱えて―ここでいう「キャリア」は、キャスター付きの本当の意味での「キャリア」だが―路線バスを下車する。
空港で勤務する人たちは、空港の周辺に居住し、路線バスで通うという手もあるのか。
大田区は住みやすいのだろうか。
やがて、路線バスは六郷橋を渡り、都県境を越える。
路線バスで都府県境を越えたのはこれが…、そんな記憶はないが、超える際に臀部を軽く浮かす。
川崎駅に到着。
めったに来ないので、新設された改札を含め駅構内や駅ビルを探索。
はっとするほどの都会である。
誰が、北九州市と比べているのか。
華やかな駅前を高架で悠々と通過する京急が、力強い。
京急線の乗り場に向かう。
創業の路線である京急大師線の乗り場は、1番線である。
4両の大師線が乗り場に滑り込む。
折り返しの列車に乗り込み、しばらくして出発。
列車は、右へとカーブを下る。
もう少し早く乗ることができれば、川崎大師に参拝したかった。
大師橋を徒歩で渡ることも考えたが、面倒になってやめた。
1時間かけて羽田から川崎まで路線バスで移動したのだから、時間に余裕などあるわけない。
流されるように、よくわからぬままに、小島新田駅に到着。
小島新田駅は、見事な終着駅である。
階段をのぼり、橋の途中に立つと、貨物線が広がる。
下へともぐるトンネルは、多摩川河口を超えて東京方面へとつながっている。
貨車がつながれていないディーゼル機関車が休んでいる。
素晴らしい風景だ。
せっかくなので、歩いて1駅戻ることにする。
15分ほどかけて戻ると、大きな道路にぶつかる。
歩道橋に上ると、幅の広い踏切を鑑賞できる。
失われゆく風景。
産業道路駅に到着。
駅では、地下化工事が進んでいる。
歩いてみて思ったのだが、ここは本当に地下化してまで残す必要がある区間なのだろうか。
もっと地下化を進めなければならない箇所があるのではないだろうか。
あるいは1区間でも廃止すると、この地に多く住む若い乗客が困ることになるのだろうか。
京急川崎駅に到着。
持ち帰りのピザスタンドがあることに気づく。
後で調べたら歴史のある店のようだ。
1駅乗って、八丁畷駅に到着。
改札に出て、周辺を散策。
旧線跡を見つけ、はしゃいで写真を撮ったりしたものの、次の列車まではまだ時間がある。
八丁堀の改札を抜け、跨線橋をのぼり、簡易改札にタッチして、橋上で列車が来るのを待つ。
尻手方面とは別の方向にも線路が伸びており、帰宅後の宿題が増える。
南武支線の列車が来たので、乗車。
駅ができて何かが変わったのかもしれないあたりを抜け、何も変わっていないように見える浜川崎に到着。
鶴見線の列車が、乗り継ぎよくやってくる。
列車は終点、扇町駅。
ここで1度簡易改札にICカードをタッチして、改札外に出る。
当然だが特に用事もないので、すぐに戻って、乗ってきた列車内へ。
安善まで乗り返す。
安善で降りたものの、次の列車までは数十分待つ必要がある。
当然だが特に用事もないので、改札内で待つ。
寒い。
ようやく、大川行の列車がやってきて、乗る。
この列車の時刻に合わせるために、午後から出発したり、ゆっくり行ったり、急いだりしたのだ。
さっき通ったような気がする武蔵白石を通り、大川駅が近づく。
「ここは終点だから降りなきゃいけないんだよなー」と、中年男性が明らかに僕に向かって言っている。
言われなくともするはずの下車が指示されて行う羽目になる。
大川駅で上り列車を待っている人は、数十人はいた。
列車は国道駅に到着。
この駅に降りたことがないことに気づき、何も考えずに降りる。
掃射銃放射の跡を確認し、鶴見駅方向へと歩く。
寒い。
本日の乗りつぶし
- 京急大師線:京急川崎 - 小島新田
- 鶴見線:浜川崎 - 扇町、武蔵白石 - 大川
2018年4月 土曜
その日、僕はロマンスカーに乗っていた。
小倉を離れて、20年。
東京人のフリをしながら生きてきて、数多くの恥をかいてきた。
そんな僕だが、実は箱根に行ったことが1度もない。
この完乗企画も始まったことだし、満を持して、かどうかは疑問だが、東京で生活する人間のたしなみとして、小田急ロマンスカーで箱根を目指すことにした。
朝のロマンスカーの車内だが、早くもビールは2本目、厚木あたりで謎の建物を見た気がするが、気にしない。
11時前に小田原に到着。
今回乗ることがかなわなかったGSEの看板の前で記念撮影。
小田原城を遠く眺めて、前に調べておいた海鮮料理屋に開店時刻と同時に突入。
…席が空いていない、との店員の声。
「早くいらして名前を書いていただければよかったのですが」と言われ、かまぼこ屋を物色していた自分を恨めしく思う。
でも、姉妹店が別の場所にあるというので、移動。
そして、ビールに、刺身に、牡蠣。
何も言うことはない。
今回は、東京人のたしなみとして、箱根フリーパスで堪能することとする。
早速箱根登山鉄道に乗り、緩やかに坂を上り、箱根湯本へ。
大型連休の前週でも、人が多い。
直後の列車が混雑していたので見送る。
次に来る列車は、古い車両。
床が木板になっていて、小躍りする。
小躍りで足がふらつき、出発直後の急坂で足をいわす。
高度が高まったせいか、走行途中で意識を失う。
強羅駅に到着。
人が多くて、ケーブルカーにすんなりと乗れそうにはない。
タイミングを計ることになり、駅前を散策。
写真館と一体化されたカフェを見つけたので、そこで一休み。
Fm yokohamaだろうか、お笑い芸人が対決していて、どちらかが勝った。
駅に戻ってみたが、人は少し減ったかな、というくらい。
見ると外国人観光客、特に東アジアからのお客様が多い。
箱根は、新宿から電車で来ることができて富士山を眺めることができる人気スポットなのだという。
東京人を20年装ってきた箱根初心者の僕も、激しく同意。
国内有数の登山鉄道が高頻度で運行されていることなど、奇跡的である。
ケーブルカーに乗ると、前にダンディズムと派手な女性。
乗客の気持ちが一致する音がする。
ケーブルカーはゆるゆると進み、中間点ですれ違い、早雲山駅に到着。
せっかくなので、ロープウェイにも乗る。
視界が開けるベタなところで歓声を上げてしまう。
大涌谷駅に到着。
本当に、箱根から見る富士山は美しく、深呼吸するとくらくらする。
あまりに見とれていると本当に倒れてしまうかもしれないので、早々に桃源台方面のロープウェイに乗り込む。
同乗した男が女に浅い知識をひけらかしているのを強制的に聞かされる。
眼下の芦ノ湖を前に、「芦ノ湖に浮かぶ遊覧船は、芦ノ湖にどのように持ち込まれたのだろうか」と独り言ちようとし、思いとどまる。
ロープウェイを降りると、日は西に傾いている。
この後、遊覧船に乗り、駒ケ岳ロープウェーに乗り、バスで箱根湯本まで戻ったのだが、本編とは関係ないので省略。
本日の乗りつぶし
- 箱根登山鉄道鉄道線:小田原 - 強羅
- 箱根登山鉄道鋼索線:強羅 - 早雲山
2018年4月 月曜
その日、僕は東京駅にいた。
弁当を買い求めようと売店に行くも、叙々苑弁当はまだ入荷していない。
やむなく鮭ハラミ弁当を購入し、東海道線ホームへ上る。
今日も、やはりグリーン車の2階、海側。
まずは、500mlの缶ビールを開ける。
月曜とはいえ祝日であり、乗り場に通勤客は見えない。
1時間半ほど乗り、小田原駅に到着。
つい先週来たばかりなので、特に感慨はない。
むしろ、ちょっとこなれたくらいで、駅前の店で梅干しとかまぼこを購入。
伊豆箱根鉄道大雄山線の乗り場へ向かう。
3両編成の列車は、緑町駅を経て、東海道線をくぐる。
駅間が短く、遠くへ来た気がする。
和田河原駅で貸しアパートがあり、家賃は1LDKで4万円。
小田原か富士フイルムに勤めることになれば、ぜひ検討したい物件である。
列車は、大雄山駅に到着。
金太郎の殺気を感じる。
ここからどこかありがたい場所へといざなうバスがあるようだが、時間がないのであきらめ、駅前の店でまんじゅうを購入する。
新松田行の箱根登山バスに乗り、途中「まました」というバス停を通過。
新松田に到着。
駅前に落花生店がある。
店主に話をうかがうと、この辺りは落花生の名産地であるらしく、千葉の落花生は元をたどれば秦野産のものだという。
ここまで聞いたからには、ありがたく落花生を購入させていただく。
新松田駅を見ると、小田急線が運休。
線路の土砂が陥没したのだという。
先週ロマンスカーに乗ったところだったから、よかったというか、危ないところだったというか。
券売機で切符を買い、松田駅の入場改札を通過。
御殿場線と小田急線の連絡線を見学するために構内を動き回り、止まっていたMSEをよく見る。
やってきた御殿場線の列車は、通路に立っている乗客がいるほどの混雑。
小田急線から流れてきていたのかもしれない。
雄大なカーブを描き国府津駅、そして、大船駅に到着。
ルミネウイングのわきを通り、湘南モノレールの乗り場へ。
話には聞いていたが、公共交通機関というよりも、もはやアトラクションに近い。
これだけの高低差の土地にあると、沿線住民は便利だろう。
湘南江の島駅に到着。
5階建ての駅舎の5階に乗り場があり、苦労して地上に降りる。
少し歩いて、江ノ島駅から江ノ電。
連休中だからなのだろうが、本当に嫌になるくらい混んでいて、住民の方々に申し訳ない。
観光地になって人でにぎわう、というのは、いいことなのだろうか。
生活の実態があってにぎわう、という方に、やはり親しみを覚える。
鎌倉駅に到着。
人でごった返している構内を抜け、横須賀線の乗り場へ上がる。
キオスクで缶ビールを購入し、開ける。
少し経って入ってきた横須賀線の列車に乗り、逗子、田浦、横須賀を抜け、久里浜に到着。
横須賀線で久里浜に来たのは、これが初めて。
食事をとりたかったが、次のバスの時間があるので、断念。
京急久里浜駅に移動し、浦賀駅に向かうバスに乗る。
このバスは浦賀駅に最短距離で向かうわけではないようで、途中「海岸のほうへ行くな」と思ったら、どんつきの手前で「法務省官舎前」というバス停があり、ただならぬ空気を感じる。
浦賀駅に到着。
昼にはもう遅い時間だけど、中華料理屋が開いていたので、そこで昼食。
京急ストアを横目に、品川行き普通列車に乗り、堀ノ内で快特。
品川駅では、巨大リラックマが宙づりにされていた。
本日の乗りつぶし
- 伊豆箱根鉄道 大雄山線;小田原 - 大雄山
- 湘南モノレール江の島線:大船 - 湘南江の島
- JR横須賀線:鎌倉 - 久里浜
- 京急本線:堀ノ内 - 浦賀
2018年7月 日曜
その日、僕は佐貫駅にいた。
運が悪く茨城方面に用事があったので、ついでに乗りつぶしを進めることにした。
こうでもしないと、はかどらない。
佐貫駅に降りたのは初めて。
駅周辺を歩くと、近くに牛久沼があることを知る。
来てみないとわからないものだ、ところで、牛久沼とは何だろう。
関東鉄道竜ヶ崎線に初めて乗る。
非電化単線であるばかりか、駅数3の路線には途中ですれ違うための設備がなく、全線が1閉塞なのだという。
そういうのはよくわからないので、とにかく乗る。
車内の中吊り広告では、工藤静香のコンサートの案内がなされている。
僕は森口博子コンサートのほうがいい、それも断然いい。
終点の竜ヶ崎で下車。
そこそこに立派な駅舎が待ち構える。
バスで次の一手を、と考えたが、常磐線に戻るバスもないようなので、あきらめて次の列車で引き返すことにする。
周囲には商店街、その先にショッピングセンターがある。
開店から今年で31周年なのだそうだ。
確かに、31年の風格があった。
帰りは、コロッケ列車。
つり革にもコロッケがついている。
これもよくわからないが、僕はコロッケが好きなので、よしとする。
あまりこういうことは思わないのだが、この鉄道を残す必要性について、しばし悩む。
佐貫駅から路線バス網を充実させれば十分、というのもありかと思うが、今の世の中、路線バスの維持も難しい問題だし。
こんなことを思うのは、今年2回目だ。
本日の乗りつぶし
- 関東鉄道竜ヶ崎線:佐貫 - 竜ヶ崎
2018年7月 金曜
視線の先に、舞浜発着の定期券が目に入る。
この人は、仕事なのだろうか、マニアなのだろうか。
そんなことを考えながら、西船橋駅の構内を歩く。
相変わらず動線がこんがらがっており、新参者を激しく拒絶する。
こちらも、来ずに済むのなら、それで済ませたい。
メトロ側から、東葉高速鉄道の電車に乗る。
「東葉勝田台」という言葉はよく聞くが、利用はこれが初めてとなる。
西船橋駅を離れると、地下区間に入る。
住宅地に地下鉄とは、ぜいたくというか、だからこそというか。
習志野に入ったかと思えば、船橋日大前。
八千代やら村上やら、不勉強な人間にはまったくわからない土地を経て、東葉勝田台に到着。
改札を出て、差し引かれた運賃に悶絶する。
もう2度と乗ることはないだろうし、もう2度と乗ることのない人生を望む。
勝田台駅に、サンテオレを発見する。
どれくらいぶりに見たのかわからない。
前に見たのも、八千代台の店だった気がするから、やはり20年くらい前か。
勝田台から京成本線に乗り、2つ先のユーカリが丘駅で下車。
人生設計を山万に託したくなる土地である。
駅の反対側には、東京まで向かう高速バスの停留所がある。
この駅を日常的に使わない人にとって、この駅で降りる目的と言えば、山万ユーカリが丘線に乗ることしかない、というのは言い過ぎだろうか。
とにかく僕は初めてである。
「へえーっ、映画館もあるんだー」と軽口をたたきつつ、券売機で切符を購入。
一周して戻って来るだけなのだが、この切符でいいのだろうか、と少し疑問。
冷房装置のない車内から見る車窓は、何とも穏やかな公園の風景である。
途中、トンネルまで設営されていることにいささか驚く。
出発時とは進行方向が反対になり、ユーカリが丘駅に到着。
自動改札は無事に通過できた。
再び京成線の乗り場へ。
京成に乗るとどうも気がすさんでくるように思えるのだが、それは間違いなく偏見だろう。
2駅だけ乗るが、まあ駅間が長い。
京成佐倉駅で下車。
駅前のパン屋で「やぶれあんぱん」というのを売っているが、時間がないので我慢し、路線バスに乗る。
路線バスでたどったことで、佐倉は歴史のある街であることがわかった。
不勉強な自分を恥じる。
台地を降りた先が、JR佐倉駅。
このバスは第三工業団地まで行くようだ、どこなのかは知らない。
売店でビールを買い、乗り場で飲む。
佐倉で京成からJRに振ったのは、成田線の未乗区間を消化するためである。
佐倉から成田までの区間だけ、乗ったことがない…。
そう思っていたのだが、思い起こせば、20年前にアルバイトで佐原に行ったことがあり、その時は恐らく成田線で行ったはずだ。
それを前もって思い出していたら、京成で成田まで行ってしまえば済む話だった。
でも、京成本線も成田線も乗った記憶はどっちも失われているし、佐倉の歴史もごくわずか感じられたし、まあどっちでもいいか。
横須賀・総武快速線がやってくる。
運転席の後ろに立ってしばらく見ていると、単線の総武本線が、複線の成田線から離れていくのがわかる。
酒々井を通過し、成田駅に到着。
駅前のバス乗り場や電車道を見て、ここに路面電車が走っていたのだ、と入れ知恵的に知識を反芻する。
駅前でラーメンを食べ、時間調整のためドトールで一休み。
京成成田駅に移動し、芝山千代田行きの列車に乗る。
東成田駅に到着。
ほぼ廃墟の途中駅の様相を、車内からうかがう。
単線の地下トンネルを抜け、上り坂を超え、芝山千代田駅に到着。
改札の通過直前に、PASMOが使えないことを思い出し、駅員に出場対応していただくのが忍びない。
僕としたことが!
駅前は、地下道など魅力的な施設があって動き回りたいところだが、防犯カメラ越しに通報されるのは不本意なので、おとなしく駅前でバスを待つ。
いつかは航空科学博物館へ行きたいものだ、いつかはね。
バスが入ってくる。
ここでの乗客は僕一人で、こんなところから乗る客はいないだろうから、肩身が狭い。
バスは空港敷地内…、いや敷地内ではないのか、とにかく所有権が複雑に区分された土地を進む。
木の根ペンションへの入り口の横を通過し、第2ターミナルへ到着。
バスで成田空港に入ったのは、これが初めて。
成田空港自体も、12年ぶりだろうか。
以前来たときは、「先進的な第2ターミナル」という印象に思ったように記憶するが、今来てみるとちょっと大きな地方空港並みのひなびた印象がある。
時間があるので、上から下まで動き回り、第2ターミナル駅から東成田駅への通路の所在を確認する。
京成の窓口でPASMOの出場処理。
帰りは、成田スカイアクセスのアクセス特急に乗る。
空間の感覚が歪んでしまうような、北総線の車窓であった。
これでようやく京成を処理した。
かなり気が楽になったものの、まだ強大な東武が残っている。
本日の乗りつぶし
- 東葉高速鉄道東葉高速線:西船橋 - 東葉勝田台
- 山万ユーカリが丘線:ユーカリが丘 - ユーカリが丘
- 京成東成田線:京成成田 - 東成田
- 芝山鉄道線:東成田 - 芝山千代田
- 京成成田空港線:東松戸 - 空港第2ビル
2018年8月 月曜
その日、僕は新宿駅にいた。
少し前に藤子不二雄Ⓐ先生のエッセイを読み、短距離でもロマンスカーに乗り快適通勤をされていることを知った。
安孫子先生に倣って僕もロマンスカーを選択することにし、券売機でチケットを購入。
ビールのロング缶と百年ちくわを売店で購入し、ロマンスカーの乗り場へ。
新宿駅を出発。
はこね7号は車両がEXEで、ややテンションが下がるが、それでもロマンスカーは贅沢である。
朝のラッシュ時で速度は遅いが、代々木上原駅で千代田線を待つ乗客を見ると、ビールがうまい。
やがて複々線に入り、速度も上がってきた。
思わず、車内販売でロマンスカーグッズを購入してしまう。
それでも、神奈川県内に入ると、いささか山に飽きる。
フォーラム246とは、なんなのだろう。
伊勢原駅に到着。
観光案内所で礼儀的に大山への行き方を尋ね、バスに乗る。
バスは、産業能率大学のキャンパスや、東名高速の高架下、新東名の建設現場などを経て、山を上っていく。
バスは旧道を通るようで、趣深い。
大山ケーブルのバス停で下車。
土産店が並ぶ通りが続く。
豆腐やきゃらぶきが有名であるようだ、いつか機会があれば食べてみたいものだ、と無視して歩く。
大山ケーブルの駅で、片道の切符を購入。
ケーブルに乗り、阿夫利神社に到着。
形式的に参拝し、さっそく下ることにする。
売店の方が親切に「歩いて降りるのですか」と尋ねてきて、会釈して下り道を進む。
ヒルに注意、という看板があり、げんなり。
そこそこに苦労して、下山。
土産店の通りを下を向いて抜けて、バスに乗り、元来た道を戻る。
伊勢崎から海老名まで小田急線。
海老名で降りるのは、これが初めて。
まずは、北側に行き、ららぽーと海老名を見学。
そして、相模線の様子を観察して、駅の南側にわたる。
「ビナ」何とかという施設が多い。
海老名が都会であることを初めて知る。
日和気味に博多ラーメンを食べて、海老名駅に戻る。
これからは、相鉄線である。
海老名駅は改良工事中で、JRや東急との直通運転を待ち構えているようだ。
20000系がやってきて、喝采を与え、乗り込む。
不可解なトンネルをくぐり、二俣川駅でいずみ野線に乗り換え、湘南台へ到着。
湘南台で地上に出てみたら、雨が降っていた。
ここから、横浜市営地下鉄ブルーライン。
第三軌条方式で、横浜の地下をさまよう。
新横浜で降り、震災の時にお世話になった団体待合室を見に行ったが、貼り紙によるとそこは震災直後に閉鎖されていた。
横浜線で中山まで移動、そこからグリーンライン。
どこを通っているのかよくわからないまま進み、日吉に到着。
雨はすっかり上がっていて、慶応女子のまぶしさに視力を失いそうになる。
東横線で武蔵小杉まで、横須賀線で新橋まで。
新橋駅の深さと小汚さに辟易する。
今回で、神奈川県内は終了。
結構大変な1日だった。
本日の乗りつぶし
- 大山観光電鉄大山鋼索線:大山ケーブル - 阿夫利神社
- 相鉄本線:二俣川 - 海老名
- 相鉄いずみ野線:二俣川 - 湘南台
- 横浜市営地下鉄ブルーライン:湘南台 - 新横浜
- 横浜市営地下鉄グリーンライン:中山 - 日吉
2018年9月 土曜
水戸の明かりが、とてもきれいね舞浜、スターライト舞浜。
口の中が甘くなるような色の列車を見かけた僕は、船橋に着いた。
これから2日間は、列車旅行である。
かといって泊まりではなく、自宅を早朝出て、1日中動き回り、自宅に帰る、というのを2日続けるタイプの旅行である。
サンキューちばフリー乗車券というものを使えば、千葉県内の鉄道および一部のバスが2日間乗り放題となる。
まさに、今の僕のために企画された切符だ。
それ以外に使い道が思いつかない。
駅前のコンビニでたまごサンドとビールを買い、休日運転となる新宿わかしおに乗る。
房総特急は「しお・わか・さざ」と覚えればいい、という話で落ち着いたこともあるが、今も覚えられないし、覚える必要に迫られたこともない。
車掌から特急券をSuicaで購入し、ビールを飲む。
前の座席に座っている人たちは、ゴルフのコンペに参加するらしく、大阪から来ているような話をしていた。
休日に敬語を使う生活は、たとえ報いがあるとしても、時間が惜しい。
大原駅に到着。
遠すぎて、もう嫌になる。
改札を出て、券売機で切符を買おうとすると、「硬券がありますよ」と声をかけられる。
「それはぜひ」と言って急行券を買うが、実のところさほど興味がない。
いすみ鉄道。
車両は古く、大糸線を走っていた車両のようである。
そういうのもあまり興味がない。
車窓を見ると、コンパニオンクラブやらなべおさみのホーロー看板やらが見える。
そこそこの川を何度もわたる、千葉らしからぬ風景が楽しい。
アナウンスで、コント赤信号のリーダーの生家が紹介される。
案の定、不在にもかかわらずリーダーがすべり、このパターンの失敗例がまた1つ積みあがる。
中井精也さんの写真の話が出て、大多喜駅でいったん停車。
ふらっと歩いてまた乗って、「こんなところに大学が」という不用意発言が生まれる。
上総中野駅に到着。
駅前を歩くが、何もないとしか言いようがない。
小雨も降ってきて、まだ9時過ぎなのに、もう十分後悔した。
永遠とも呼べる時間を過ぎ、向こうから小湊鐡道の列車がやってきたので、静かに乗り込む。
トンネルを抜け、列車はゆるゆると下る。
横転しても異存はない、というほど揺さぶられ、本当に車掌が必要なのか、無人駅が多いから必要なのだろう、と自分を納得させる。
窓の向こうからは、かかしが見送ってくる。
早く帰りたい。
上総牛久駅でトロッコとすれ違う。
先ほども言ったとおり、小雨である。
休暇の計画を立案するときに、条件式で天候を入れることを、決して忘れてはならない。
五井駅に到着。
すぐさま乗り換え、木更津まで行く。
木更津駅前にはピンとくる店が見当たらず、吉野家で昼食。
客は、部活動帰りの男子高校生ばかり。
久留里線に乗る。
旧タイプの気動車はなくなり、E130。
これでメンテナンスも楽になり、業務も軽減されたことだろう。
久留里線を使って通学する高校生も多いようで、木更津から乗った生徒が駅ごとに降りていく。
苦行的に1時間余りを過ごし、上総亀山駅に到着。
乗客には、列車に乗ることを目的とした人たちが多く、中年女性の2人組という構成もあった。
駅前を歩くが、(以下同文)。
いすみ鉄道は終点で小湊鐡道とつながっており、一方向に進めばよかった。
その一方で、久留里線は盲腸線である。
バスで戻ることも考え時刻を調べたが、乗り継ぎが合わないので、来た鉄路を戻ることにする。
また苦行的に1時間余りを過ごし、木更津駅に到着。
木更津の駅前にある大きな建物に入る。
何かの店の跡らしい、と考え、木更津にそごうがあったことを思い出した。
今はわずかな店舗と行政の施設が稼働しているのみで、照明が落とされているので暗い。
僕が苦手とする「動いていないエスカレータ」もある。
これを思うと、小倉駅前など、恵まれたほうである。
黒崎は、これに近いかもしれない。
帰りは、高速バスを選んだ。
木更津金田バスターミナルを見るのは、初めて。
そのまま19年ぶりのアクアラインに入る。
やや混んでいるアクアラインを突っ走り、湾岸線を進み、環八出入口で降り、一般道で羽田線の方へ移り、そのまま都心環状線。
京橋出入口で降りて、東京駅八重洲口で下車。
1時間半程度で着き、これでは「しお・わか・さざ」の「さざ」は減る一方だと実感。
八重洲にバスターミナルを作る計画の噂があり、将来が楽しみ。
山手線で帰宅。
E234-1に掲げられたローレル賞の受賞プレートが輝いていた。
2018年9月 日曜
船橋駅前のパチンコ屋に、開店の2時間以上前から並んでいるのは、もはや勤勉と呼べるのではないだろうか。
怠惰な自分は、コンピュータを使って仕事から離れ、コミュニケーションの摩擦を減らすことしか考えられない。
昨日に引き続き、今日も船橋駅。
缶ビールを2本買い、休日停車の特急しおさいに乗る。
銚子まで1時間30分。
千葉は広く、ズバコンの標識は輝き、空は青い。
銚子に来たのは7年ぶりくらいだろうか。
前回は、松岸までで引き返した。
そう、大回り乗車である。
銚子からは、銚子電鉄。
車内はそこそこ混んでいて、銚子商業高校の女子生徒が売るアイスが売れていた。
車掌が検札を行い、サンキューちばフリー乗車券をやり過ごしていく。
外川駅に到着。
駅舎を撮影し、小道を下る。
雰囲気がよく、海岸まで出たいところだ。
だが、今後の行程を考えるとさっきの折り返しの列車に乗らなくてはならない。
駅へ引き返すし、混み合う列車に乗る。
冗長な車内アナウンスを聞き、銚子駅に到着。
事前に、えきねっとで十二橋から鹿島臨海鉄道経由で勝田まで、という通過連絡運輸を利用した乗車券を仕立てておいた。
えきねっとだとマルスを自由に扱っている気分になり、楽しいし便利だ。
指定席券売機を操作し、乗車券を入手。
成田線で佐原まで行く。
佐原で昼食をと思ったが、店が見つからない(というより、自分が入れそう店がない)ので、鹿島線の列車に乗る。
香取で成田線に別れを告げ、利根川を壮大にわたる。
十二橋駅の見事なたたずまいに驚嘆し、さらに水郷を進み、鹿島神宮駅に到着。
鹿島線は鹿島サッカースタジアム駅まで伸びるが、ここで鹿島臨海鉄道の列車に乗る。
列車は木々の中を進むが踏切がなく、道路は跨線橋で頭上を越えてくる。
車内には、自衛隊の隊員募集広告があり、アニメ調のキャラクターが入隊を呼び掛けている。
そういう国の守り方もあるのだろう。
遠く霞ケ浦を感じつつ、新鉾田あたりから客層が変わり、外国人が増えてくる。
何か事情があるのだろうが、わからない。
水戸に近づくと壮大な高架橋から地上へ通り、踏切を経て、水戸駅に到着。
3時間くらいで銚子から水戸に移動するのは、不思議な気分。
常磐線で勝田駅まで向かう。
勝田駅で時間があるので、駅前を歩く。
整備された町並みに、少し驚く。
時間帯が悪く店が開いていないので、僕にしては珍しく、駅舎下の立ち食いそばで遅めの昼食。
ひたちなか海浜鉄道の一日乗車券を購入し、乗車。
列車は穏やかに進む。
前の座席には大人の男性が2人、路線図を広げている。
どうやら、その路線図は大人の休日倶楽部の入会特典のようだ。
この歳になって、人と一緒に鉄道に乗るために旅に出る、ということができる関係に、精神的にもうらやましさを感じる。
そういえば先日、同い年のいとこから「覚えているか、退職したら一緒に鉄道で全国を回るという約束を」と言われた。
当然ながら、全く覚えていないが、それも悪くないかもしれない。
できれば、彼は英語教師であるので、ヨーロッパやカナダに同行してもらって、鉄道旅を楽しみたい。
向こうの家族の説得手段を、今から考えておこう。
降りてみたくなるような風格漂う駅舎の那珂湊駅だったが、ここは我慢し、終点の阿字ヶ浦駅に到着。
ホームの長さが乗ってきた列車には十分すぎるほど長い。
これは海水浴客を輸送するために上野から臨時急行が運転していた名残だという。
夕日があたりを温かく照らしている。
乗って来た列車で、勝田駅に戻る。
勝田からは水戸行きの列車に乗り、水戸で焼き鯖寿司を購入。
特急ではなく普通列車のグリーン車で東京を目指す。
勝田駅で気づいたのだが、サンキューちばフリー乗車券を持っているので、乗車券は天王台まででよかった。
「こんなところでこんな時刻とは、いつ帰れるのか」と暗い気持ちになっていると、何らかの祭りの扮装と思われる客が石岡駅で乗ってきた。
きっと何かが行われているのだろう。
大げさな手段を使ってしまったが、千葉県は、今日で終了。
これでもう、千葉に行く必要はなくなった。
本日の乗りつぶし
- 銚子電気鉄道線:銚子 - 外川
- 鹿島線:香取 - 鹿島サッカースタジアム
- 鹿島臨海鉄道大洗鹿島線:水戸 - 鹿島サッカースタジアム
- ひたちなか海浜鉄道湊線:勝田 - 阿字ヶ浦
2018年11月 金曜
この時期の午前6時ごろでも、まだ明るいのだ、と知る。
僕はまだ西に所在する感覚が抜けきれず、北九州とは経度で10度違う関東の夜明けに慣れない。
今日は祝日である。
駅で列車を待つのは、部活動の格好をした高校生が多数、スーツ姿の男が一人、スポーツ新聞を持ったおじさんがちらほら。
きっと、この順序で人は変貌を遂げ、年を重ねていくのだろう。
乗りつぶしを初めて分かったことだが、休日の児童や生徒は、塾やテスト、そして部活動で忙しいようで、朝からよく見かける。
「美少女仮面ポワトリン」を見ていた自分と比べると、実に勤勉で、頼もしく、もの悲しい。
ひとまず僕は、「ボキャブライダー」を聞き、地球平和のために英語を勉強する。
「未来クリエイター」というポスターに、「高志の紅ガニ」のポスターが並ぶ。
旅情は熱く、空気は寒い。
苦労して、大宮まで来た。
ここから、ニューシャトルに乗る。
ルミネ脇の道を歩くと、なぜか憂鬱になる。
大宮駅の入線メロディは「銀河鉄道999」のようである。
権利関係のことは知らないが、とにかく車両に乗る。
スクリーンドアではないことが、意外。
運転士が先頭に座っていて、どうやらATOでもないようだ。
新幹線脇を抜け、「中央感」のない伊奈中央を通過し、伊奈学園をはるか先に望み、内宿駅に到着。
ここに、ニューシャトル終わる。
帰りは、車窓から日本薬科大と富士山がよく見えた。
単線区間で右側通行なのは、運転士が座る左側にドアが来るようにするため。
気まぐれがさく裂し、鉄道博物館駅で下車。
まだ開館前だが、入口に客が並んでいる。
混雑を回避したいからまだ行っていないのだが、いつ来ることができることやら。
思えば万世橋の交通博物館ですら、2006年の閉館直前になってようやく行った。
大宮工場のわきを歩き、大宮駅周辺に戻り、カフェベローチェで休む。
1時間ほどPCで作業する。
普段は都心で作業をしていることが多いが、乗りつぶしが終わったら、行ったことのない街をめぐり仕事をする、というのもいいかもしれない。
まずは、春日部とか草加とか越谷とか朝霞とか…、もう1度考え直そう。
大宮のビックカメラやら、風俗街やら、高島屋の前やらを歩く。
縁のない街ではあるが、街並みはやはり興味深い。
やはり、行かなければわからないことがたくさんある。
東武野田…、東武アーバンパークラインの乗り場へ向かう。
列車が一瞬北に向かい、恐ろしい思いがしたが、岩槻経由で春日部に到着。
日比谷線直通の古く小汚い車両を見ると、早く都会に帰りたいと切実に思う。
思えば、上京直後から埼玉でいい思いをしたことがない。
本日の乗りつぶし
- 埼玉新都市交通伊奈線:大宮 - 内宿
- 東武野田線:大宮 - 春日部
2018年11月 金曜
その日、僕は東武伊勢崎…、東武スカイツリーラインの下り急行列車に乗っていた。
春日部駅で、多くの人が下車。
この辺のことは、よくわからない。
姫宮を過ぎると、景色が開ける。
久喜で、また多くの乗車。
久喜から下り列車に乗り、朝の目的地へ向かう、という人生もあるのだ。
利根川を仰々しく越え、館林駅に到着。
9時過ぎにもかかわらず、本日5回目の放尿。
ここからは単線区間である。
車窓からは、太陽光パネルが目立つ。
もはや、電力も、農家の一生産物か。
なぜ、足利市駅あたりは高架になっているのだろう、やはり車社会か。
太田駅に到着。
スバルや、世界一のゲーセン「エブリデイ」がお出迎え。
電話の保留音みたいな発車ベルに見送られ、東武小泉線。
ゆるゆると高架を下り、少し進んで、東小泉駅で乗り換え。
すぐに西小泉駅に到着。
小泉町はブラジル国籍の住民が多くて有名であり、(おそらく)ポルトガル語の看板が並ぶ。
ここから熊谷まで鉄道が伸びていれば、また歴史も変わったのだろう。
リンドバーグの発車ベルに見送られ、西小泉駅を出発。
20分程度で、館林駅に戻る。
狸が迎える茂林寺やぶんぷく球場を後にし、利根川を壮大に超える。
羽生駅で秩父鉄道に乗り換え。
東武電車内での乗り換えアナウンスでは、1本後の発時刻を伝えていたが、秩父鉄道の乗り場に列車は見える。
走って、券売機で切符を買って、十分間に合った。
秩父鉄道の車窓は稲田が広がり、感謝の念で胸いっぱい。
すれ違う駅が右側通行なのは昔からで、タブレットの受け渡しの都合のようだ。
歴史ある重厚な駅舎が続く。
30分をかけて、熊谷駅で到着。
本当は熊谷駅で昼食の予定だったが、次の三峰口行きの列車が来ているのですぐに乗り換える。
ここからが長い。
2003年に開業したひろせ野鳥の森駅に停車。
秩父鉄道の印象を一瞬塗り替えようとしたが、やはりここからが長い。
寄居駅までは単調に進む。
穏やかで趣深い。
パレオエクスプレスの客車が見えたり、工場への引き込み線が見えたり、ふかや花園駅の立派な駅舎が見えたり、あまり退屈しない。
寄居から先は、長瀞渓谷を進む。
季節柄、紅葉が美しく、晴れた青空もあり車窓は最高の景色だ。
だが、平日だからか、観光客と目される人はいない。
高校生がスマートフォンをいじっていたり、自転車とともに乗り込んだ中年女性が買い物へ向かったりしている。
日常ではない自分は、居心地が悪い。
長瀞駅あたりはかつての観光地らしい趣が感じられ、ここで日常を過ごすのもつらいのでは、といらぬことを思う。
途中、武州原谷駅では、貨物列車設備が壮大に広がっていた。
秩父駅では貨車の行き違いで待つ。
秩父鉄道が人を運ぶための鉄道ではないことを思い知る。
それにしても、今乗っている列車はデザインのためか、真ん中の窓がつぶされている。
つぶされていない窓も、あまりきれいではない。
全鉄道会社に言いたいのだが、観光客を呼びたいなら、まず車両の窓を磨いてほしい。
列車は旧荒川村に差し掛かる。
僕は以前、武州中川駅まで行ったことがある。
アルバイトで、あるスーパーの「荒川店」に行くことを打診され、浅はかな僕は「荒川なら行きます、近いですし」と引き受けた。
ところが、住所を聞いて驚いた。
「荒川店」の「荒川」とは、「荒川村」のことをさしており、当然「荒川区」のことを言うわけがなかった。
その日は、所沢からレッドアロー号に乗り、秩父で秩父鉄道に乗り換え、半日かけて武州中川駅まで行った。
スーパーという触れ込みのこじんまりとした商店に行くと、食品メーカーの人がいて、「こんなところまでよこさなくてもいいのに」と同情され、英国車で銀座まで送ってくれた。
その時は泣いて喜んだ。
そんな回想にふけっていると、列車は関東特有の峡谷を進み、三峰口駅へ到着。
駅前からは三峯神社行きのバスが出ているようだ。
ここからさらに進んだところにパワースポットがあるのだと知り、御朱印ギャルの行動力に感服する。
僕は切符と飲み物を買い、15分後の折り返しの列車に乗り、また1時間ほどかけて寄居駅まで戻る。
まだまだ1日は長い。
東武東上線で寄居駅から小川町駅まで向かう。
ここまで来て、ようやく都会とのつながりを感じる。
同じ池袋行きの列車に乗った人たちの話を盗み聞きすると、彼らは長瀞から横浜、それも田園都市線のどこかまで帰る途中のようである。
控えめに言って気が遠くなりかけたが、自分も朝は西小泉にいたことを思い出すと、一瞬寒気がする。
坂戸駅で降りる。
ついに、あと1本で終わりである。
跨線橋を渡り越生線の乗り場に向かう階段を降りようとするが、階段下から多くの乗客が駆け上がってきて、階段を降りられない。
いったいここに何があるのだ、という疑問は、越生線の列車に乗ればわかった。
沿線には、大学や専門学校、高校が多く、この時間帯は通学客が利用しているのだ。
越生線の存在意義すら疑問だったのだが、やはり来てみないとわからない。
越生駅に到着。
JRと共用の駅で、改札を降りるが特に感想はない。
来世では梅林でも見に行きたいものだと思う。
それにしても、越生から帰宅することを思うと、その距離に絶望する。
後で数えてみると、家に帰りつくまでに、今日は1日で18本の列車に乗ることになった。
思い返せば、昼食も食べていない。
あまりにばかばかしくて、朝霞あたりで降りて、駅前の飲み屋で酒をあおり、一生を棒に振りたくなった。
とにかく、これで埼玉県は終わり。
当初は及び腰で政令指定都市のみにとどめようと思ったが、様々な勢いで南関東の鉄道をすべて乗りつぶした。
先日も茨城県の鉄道を乗ったし、今日も群馬県まで足を運んだ。
ここまでくればやはり…、と欲が出るのだが、関東平野は広く、辺縁は暗く深い。
そして、優先したいことはたくさんあるにもかかわらず、それをやる行動力がない。
安易な選択ばかりしてきたツケが、今まさに回ってきているのだ、と落胆する。
本日の乗りつぶし
- 東武小泉線:館林 - 西小泉、太田 - 東小泉
- 秩父鉄道秩父本線:羽生 - 三峰口
- 東武東上本線:川越市 - 寄居
- 東武越生線:坂戸 - 越生