関東シャットアウト
2019年4月 土曜
天気は、曇り。
気乗りしないが、もともと気乗りしない場所に行くのだから、まあいい。
ここは、つくばである。
秋葉原から快速で45分。
これより、筑波山を目指す。
駅前のロータリーから、この朝第1便の筑波山シャトルバスに乗り込み、出発。
バス内はやや混雑気味。
行けども行けども直線道路で、控えめに言って、気が狂いそうになる。
僕が上京を計画した際、学力の程度を見て、「東京に出たいのなら、筑波大という手もある」とアドバイスしてくれた人がいた。
あの人、一度でも筑波大のキャンパスを訪れたことがあったのだろうか、まだつくばエクスプレスもなかった時代だし。
沿線のラーメン屋とか松屋とかを見ながら、そこで夕食をとっていたかもしれない自分を想像し、安堵のため息をもらす。
道はようやく、カーブを描き始めた。
それにしても、遠い。
筑波山は、つくば駅からかなり距離があるところに所在する。
一度行ったことがあるのに、そのことを忘れていたし、早くも飽きてきた。
ようやく筑波山神社入口に到着。
バスを降り、古式ゆかしいホテルの前を通過し、社殿の前で一礼し、宇宙の卵の写真を撮り、ケーブルカーの乗り場に向かう。
ケーブルカーに乗ったが、山頂駅の茶店の従業員が乗り込んでいたこととトンネル以外に、特に感想はない。
山頂駅で下車。
天候は小雨で、男体山及び女体山の頂は断念し、ロープウェイの乗り場まで15分ほど歩く。
ロープウェイ乗り場で、食事。
前日、百貨店で大分の鶏めしおにぎりを購入しており、それを食べる。
食べている最中でロープウェイの出発の時刻を迎えたが、「まだ食べてる途中でしょうが」の精神で見送り、次の便に乗った。
ロープウェイからの景色は、見事に真っ白。
「こんな日に、こんなところに来なくてもよかったのでは」という心の声が聞こえる。
「こんな日だから、こんなところにきて正解なのだ」という声に賛同する。
つつじヶ丘駅に到着。
一刻も早く都会に帰りたくて、バス乗り場に向かう。
しかし、シャトルバスは出たばかりで、次の出発まで1時間以上ある。
雨も降っているので、苦渋の決断でレストハウスに入店。
メニューを吟味して、ホットコーヒーを注文。
しばらく飲んだ記憶のない味のコーヒーで、日常のカフェに感謝をささげる。
コーヒー代を払うから、自分で買った缶コーヒーを飲ませてほしかった。
向こうのテーブルに見えるのはバスの運転手のようで、運転手の食事休憩を確保するためにダイヤが組まれているようだ。
先ほど悠長に鶏めしおにぎりを食べていたことが悔やまれる。
店内で出発時刻ぎりぎりまで粘った後、数分の間に他の店も一応見る。
店内の奥から人間大のガマガエルがこちらを見ていた気がしたのだが、気のせいだろう。
やがて救いのバスがやってきて、科学都市つくばへと戻る。
車窓からちらりと自転車道が見えたのだが、あれが筑波鉄道の廃線跡なのだろう。
本日の乗りつぶし
- 筑波観光鉄道筑波山鋼索鉄道線:宮脇 - 筑波山頂
2019年5月 祝日
この日、僕は北千住駅にいた。
早く着いたおかげで、予定していたより1本前の特急「りょうもう」に乗れそうである。
急いで「ふらっと両毛 フリーパス」を買おう…。
券売機を操作しても、他のフリーパスは出てくるが、両毛フリーパスのボタンは出てこない。
仕方なく、特急券だけ購入し、ICカードで入場する。
後で調べたら、「ふらっと両毛 フリーパス」は券売機ではなく駅の有人窓口で売っていたようだ。
全くこれだから東武は…、と思うが、下には下の京成がいる。
東武特急に乗るのは、およそ20年ぶり。
20年前はアルバイトで、太田か足利か、そのあたりへ行った。
今回は特急「りょうもう」で赤城駅を目指す。
あまりなじみのない沿線を通過し、赤城駅に到着。
天候は晴れで、心地がいい。
落ち着いた街並みを歩き、大間々駅を目指す。
大間々駅から、わたらせ渓谷鐡道で桐生を目指す。
わ鉄は、旧国鉄足尾線であり、両毛線の線路で渡良瀬川を渡る。
このあたりの路線図は複雑で、なかなか覚えられない…、覚える気がないだけだ。
桐生駅に到着。
駅前に、見慣れないバスが止まっている。
西桐生駅。
趣のある駅舎で、写真に収める。
残念なことに、駅前の焼肉屋の店名が、品格を下げている。
次の列車まで時間があるので、周辺を散策。
桐生第一高校や、昔は何かであった今のドン・キホーテなどを冷やかす。
さすが歴史ある絹織物の町で、往時が偲ばれる。
駅に戻り、中央前橋までの切符を買う。
窓口の職員が「往復きっぷのほうがお得ですよ」と言う。
どのように見られているか知らないが、戻ってくるわけがない。
列車は、頼りない渡良瀬川橋梁を渡り、どこだかわからない単線を進む。
雄大な赤城山を望みつつ、中央前橋の新駅舎に到着。
駅前を歩きたいところだが、列車の到着に合わせた連絡バスを利用する必要があるので、すぐにバスに乗る。
バスから見回ったことで、群馬県の県庁所在地は訪れたことにする。
今後、再び前橋を訪れることがあるのだろうか。
前橋から、両毛線で伊勢崎に移動。
次の東武伊勢崎線は、20分後。
駅前のぎょうざの満洲で食事をとりたかったが、1時間に1本しかない伊勢崎線を逃すわけにはいかないので断念。
駅前では、大きなペヤングがどうだかで、行列ができている。
大型連休の中、ご苦労様である。
太田で乗り換える。
それにしても、両毛地域特有の、単線で高架とは、ぜいたくなつくりというか、車優遇というか、地域振興というか。
館林で降り、ここから東武佐野線。
佐野駅で下車。
近隣のあしかがフラワーパークの影響か、乗り換え客が多い。
事前に調べておいた佐野ラーメンの店で食事。
古くからある店のたたずまいで、味にも満足。
見晴らしの良い佐野城址公園に歴史を感じた後、再び佐野線に乗り、終点の葛生で下車。
小川にかかる古い橋や、自宅と一体化した旅行センターなどを見学。
スカイツリートレインが留置されていた。
葛生から館林、春日部などを経て、何とか帰宅。
大型連休の中、ご苦労様である。
本日の乗りつぶし
- 東武桐生線:太田 - 赤城
- わたらせ渓谷鐡道わたらせ渓谷線:桐生 - 大間々
- 上毛電気鉄道上毛線:西桐生 - 中央前橋
- 東武伊勢崎線:太田 - 伊勢崎
- 東武佐野線:館林 - 葛生
2019年5月 土曜
気軽な気持ちで始めた乗りつぶしで、まさか宿泊を要することになるとは思わなかった。
乗りつぶしという観点からだと、日帰りで行けなくもない。
しかし、それではせっかくの地を素通りし、ほぼ終日列車に乗ることになる。
それでは1泊でもするかと計画を立てるが、そうすると未訪の地を回ろうとするため、2日がかりであっても、ただ往復するに終わる。
2泊であれば、比較的余裕のある行程となる。
各方面の理解を得る必要があったが、そこは普段から売っている恩を前面に押し出し、どう思われたかはわからないが、とにかく土曜から月曜にかけての3日間を確保した。
それ以上に厄介なのは、自分の気持ちである。
こんなことで2泊もするなど、あまりにもばかばかしい。
これは、本当に自分のしたいことなのだろうか。
余裕のある行程とはいえ、日の高い時間の大半を列車に乗り続けることは変わらず、移動費はかかるし、宿泊費もかかる。
もっと楽しいことはあるのではないか。
当日の朝。
5時に目覚め、5時45分に自宅を出る。
駅に向かうまでに分かったことは、こんな早朝にもかかわらず、街には多くの人がいるということだ。
特に、高校生が多い。
彼女らおよび彼らは課外活動で何かをしにいくのだろうが、本当にご苦労なことだ。
これに付き添っている教師なりコーチなりも大変だし、生徒や教師の家族も大変である。
休みくらい休めばいいのに。
きっと列車の座席は高校生で埋まっているのだろうが、僕は普通列車のグリーン車両に乗る。
着席し、先ほどコンビニで購入した500mlのビールを開け、まずは独り旅に祝杯。
前もって購入しておいた八戸の鮭とばをつまみとする。
朝のときわ路を下る。
利根川を渡ると、気が引き締まる。
いや、隅田川を越えたところから、すでに緊張度は高まっていた。
さようなら、東京。
取手を過ぎると、すでに田植えを終えた農作地が広がる。
駅に止まるたびに高校生群が乗降しているようだが、当然ながらグリーン車には通学の高校生は乗ってこない。
自分はどこで道を間違えたか、いやそもそも異なる地に生まれついたのだ、ということにし、2本目の缶ビールに手を出す。
1年ぶりの水戸駅。
今回の旅では週末パスを使っているので、有効期間内である2日間は範囲内を自由に乗降できる。
自動改札に週末パスを通し、無意味に東口に行き、広い道路を確認したうえで、西口側の神戸屋でパンを買う。
8時に水戸駅に着いてから十数分で次の列車に乗る。
水郡線である。
この水郡線を乗り切り、東北へと抜けなければ、関東の乗りつぶしは終わらない。
通しで走る本数の少ない水郡線を郡山まで乗り、しかも支線まで走破しようとすると、どうしても水戸駅を8時台に出る列車に乗る必要がある。
それゆえに、今朝は5時起きをする羽目になったのだ。
これもあまりにもばかばかしいのだが、ちょっと前までは「水戸に前泊しようか」とまで考えていたのだから、まだましである。
ともかく、水郡線の列車は水戸を出発する。
出てすぐに左にカーブし、堀跡を進む、とは「ブラタモリ」で得た知識である。
那珂川を渡り、少し進めば、もはや市街地は終わったようである。
上菅谷を出ると左に分かれる本線に別れを告げ、「常陸太田支線」に入る。
途中駅はどこも棒線駅で、どうやら行き違い不能のようだ。
常陸太田駅に到着。
ここに、地終わる。
駅舎は比較的最近に建てられたようで、観光案内所を兼ねている。
駅前を少し歩くと、どうやらドラッグストアがあるところが、以前日立鉄道の駅があった跡らしい。
もし、日立鉄道が健在であれば、この乗りつぶしはさらに面倒なことになっていただろう。
左手は小高い丘になっており、どうやら常陸太田の市街地は高台の上にあるようだ。
その先には徳川光圀の別荘である西山荘がある、はずである。
時間があれば行ってみたいものだが、僕は来た列車で戻らなければならない。
駅前には英語塾があるが、どうなのだろう。
30分弱くらいの滞在で、常陸太田駅を後にする。
この3日間は天候には恵まれるようで、今朝も晴天である。
のどかな陽気の中を列車は進み、上菅谷に戻ってきた。
ここで、しっかりと用を足す。
これから3時間近く列車に乗ることになる。
列車にトイレは備え付けているだろうが、できれば使わずに済ませたい。
水戸から来た郡山行の列車がやってくる。
予想に反して4両編成で、予想に反して多くの乗客が乗っている。
観光客が大半であり、おそらく袋田の滝を目指しているのだろう。
列車は久慈川に沿って進む。
午前中の朗らかな天候の中を進むのは心地いい。
久慈川を渡り、西金駅。
後で知るが、この辺は水郡線の経路をめぐって、いろいろと駆け引きがあったようである。
砂利輸送の列車が止まっているが、この列車のために水郡線の西金駅までの行き違い駅は、有効長を10両分とっているそうである。
袋田駅でそこそこの人がおり、常陸大子駅で4両のうち3両が切り離され、ここからは1両である。
席も空いたので、座る。
下野宮駅の先で県境を越え、これで関東の路線を1つ乗り終えたことになる。
矢祭山駅に着き、ここがよく聞く矢祭町かと知る。
久慈川を上り続け、磐城棚倉へ着く。
ここから白棚線のバスが出ているはずで、実際に駅前にもバスが止まっていた。
おそらくこの辺で分水嶺を超え、阿武隈川へ連なる水系の川に沿って下る。
福島空港のそばを抜け、遠くに見えた東北新幹線の高架が近づき、安積永盛駅に到着。
ここが水郡線の終点だが、列車は東北本線に乗り入れ郡山へ向かう。
郡山駅に到着。
前回郡山駅に訪れた際は、いわきから磐越東線で入り、わずか2分の乗り換えで東北本線の上り列車に乗った。
今回は、昼食をとる時間がある。
駅の西口は繁華街が形成されている。
さすが中核市であり、駅前を見る限り、宿泊しても楽しそうな、美しい街並みである。
後で調べて分かったのだが、音楽の街である郡山は有名人を多く輩出しており、意外な人々が郡山出身であることを知った。
独り旅は気楽なものだが、食事だけは困る。
土地の名物を食べたいのだが、独りで店に入るのは気が引ける。
そこで最近は、ご当地ラーメンを食べることにしている。
ラーメン屋であれば、一人でも気にならない。
郡山には、郡山ブラックラーメンというのがあり、駅から近く評価が高い店を目指すことにした。
駅から10分ほど歩き、事前に調べておいたラーメン屋を目指す。
知っていなければ入る勇気のない店の佇まい。
それでも中に入ってみると、店員は中年女性が2人。
おすすめされている「郡山ブラックラーメン」を頼む。
待つことしばし、ラーメンが配される。
…うまい。
きりっとしたしょうゆ味、程よい硬さの麺。
十分に満足。
これで550円、しかしながら小銭がないので、「すみません」の言葉とともに千円札を出す。
店員は、「はい、ヨンゴ」とお釣りを返す。
時間があるので、少しぶらつく。
電線が地中化された街を進むと、百貨店があったので、入店。
地下で名産品などを物色する。
商店街を抜け、駅に戻り、駅ビル内を歩く。
土曜の昼でそこそこに人がいて、フラダンスのショーが披露されていた。
郡山からは、東北本線で北上する。
約1時間ほどで、福島駅に到着。
途中で、安達太良山などが見えたはずだが、見逃す。
ここには空があった。
駅を背にして、東へと歩く。
就職活動中らしい恰好をした若者が20人程度、同じ方向へ向かっていた。
今はだれも会話していないが、いずれ何人かは同僚となるのだろう。
しばらく歩いて満足してから引き返し、NHK福島放送局の前を通り、駅に戻る。
ここからは、北側にある改札から阿武隈急行に乗る。
週末パスであるので、躊躇なく阿武隈急行を利用することができる。
阿武隈急行の車内には、おそらくだが、自治体を戦国武将で擬人化したキャラクターが側面にシールとして貼られていた。
福島駅を出てしばらく行くと、立派な立体交差で東北本線に別れを告げる。
この辺は福島市のベッドタウンのようで、穏やかな住宅地が続く。
少しの間眠っていたようで、トンネルを抜けたところで目を覚ますと、列車は渓谷を進んでいた。
ここが阿武隈渓谷で、美しい眺め。
気分良く進んでいくと、白石川を越え、槻木駅に到着。
乗り換えに時間があるので、週末パスの威力を発揮し改札外に出たが、特筆すべきものは特にない。
阿武隈急行の途中駅から同行している、男2人が気になる。
きっと、仙台市内の繁華街に繰り出すのだろう。
時刻表で知るだけだった、常磐線の終点である岩沼駅を通り過ぎ、名取駅に到着。
ふとした思い付きで、降りてみた。
ウェブサイトで週末パスの範囲を調べるが、仙台空港鉄道は含まれていない模様。
いったん改札外に出て、駅前のほどほどに高いマンションを確認し、Suicaで入場する。
仙台駅からの直通列車に乗り込む。
列車は、これまた立派な立体交差を進み、高架の線路を進む。
イオンモールをにらみつつ、列車は掘割を進み、仙台空港へと到着。
東北での大きな地震の際、仙台空港は津波による甚大な被害を受けた。
空港内の掲示によると、津波は建物にも押し寄せ、3.02mまで達したようだ。
眺望スポットから空港を眺めると、確かに海が近い。
土産店で笹かまぼこを購入し、名取駅までの切符を買い、仙台駅を目指す。
この旅のテーマソングは、やはりFirst Impression。
都心部に入るときに合わせて、「STARTIN' OVER」がかかる。
「ビューカード」のCMソングだった、という情報を見かけたことがあるが、真偽はともかく列車によく似合う。
18時ごろ、仙台に到着。
初めての仙台は、とても大きな街という印象。
魅力的な飲食店のそばを抜け、人通りの多いアーケード街を通過し、徒歩10分ほどの投宿先に到着。
少し高かったのだが、清潔なホテルで満足。
部屋に荷物を置き、外出。
近くの三越で、下着を購入。
街は、仙台青葉まつりの最中で、人出がさらに多いようだ。
中華料理屋で、「麻婆焼きそば」というものを食べる。
それはそうだろう、という味。
カフェを探すが、まつりなので人が多く、落ち着ける店が見つからない。
混み合う道に面したカフェを見つけ、えいやと入るが、中はそれほど混んでいなかった。
おいしいコーヒーをいただき、一休み。
ホテルの部屋に戻り、サンドウィッチマン「敗者復活」の文庫本を読む。
胸が熱くなり、アマゾンプライムビデオで、2007年の「M-1 グランプリ」決勝を見てしまう。
チャンピオンであるサンドウィッチマンの漫才と、善戦したトータルテンボスのこのころの漫才の質の高さに、感涙。
一方で、わざとらしく演者が吹っ飛ぶ漫才は、実を伴わずとてもみじめだった。
本日の乗りつぶし
- 水郡線:水戸 - 矢祭山(- 安積永盛)、上菅谷 - 常陸太田
- (東北本線:郡山 - 福島、槻木 - 仙台)
- (阿武隈急行線:福島 - 槻木)
- (仙台空港線:名取 - 仙台空港)
2019年5月 日曜
5時起床。
まずは、缶ビールと笹かまぼこ。
NHK BSプレミアムでは、夜通しで忌野清志郎の特番を放送していたようだ。
もう10年。
6時出発。
杜の都の名にそぐう、美しい街並みである。
30分近く歩いて、仙台城址の下までいたる。
ここから、山の上まで登るのか。
で、やはり登る。
上には、神社と石碑と銅像。
護国神社と知事の関係について、しばし考察。
現在7時過ぎで、7時23分の仙台発の列車に乗る予定だ。
なので、急いで下る。
駅には着いたが、乗ろうとした列車には間に合わず、次の列車に乗る。
仙台駅に着いたら、5分で、地下鉄の乗り場から改札階まで上り、コインロッカーに荷物を預け(僕は、着替えの入った荷物をもって、仙台城址まで登っていた)、列車に乗らなければならない。
仙台駅に到着。
エスカレータを駆け上…、ルールを守って乗り、階段を駆け上り、しばし迷子になり、コインロッカーを見付け、改札を通過し、列車の番線を探し当て、列車に乗ればすぐに発車。
乗った列車は、仙石東北ライン。
快速運転で、石巻を目指す。
時刻表の路線図ではおなじみである、東北本線と仙石線との交差を確認する。
松島湾を望み、列車は松島駅を前に、接続線を経て仙石線へと入る。
陸側を見ると、田畑に浮かぶ島のように見える小山がいくつもある。
おそらくこの辺りは以前は海の中であり、隆起してこのような風景になったのではないか、と適当な意味づけをする。
やがて仙石線は、近年作られた新線を進む。
美しい高架ではあるが、これがなぜできたかを思うと、苦しい思いがする。
列車は鳴瀬川を越え、石巻へと到着。
駅前から歩くが、石巻市役所の大きな建物以外にも、昔からの店が並んでいて、きれいである。
途中の笹かまぼこ屋や古く趣のある建物が興味をそそる。
川の中州に、石ノ森萬画館がある。
開館まで時間があるため、高台にのぼり風景を眺める。
今日も天気が良く、風が吹き心地よく、美しい風景が広がる。
広場にはワゴン車が何台か並び、食べ物を売る準備をしている。
地震の時、中州に残された人は石ノ森萬画館に避難したという。
開館の時刻になり、入場券を買う。
平成仮面ライダーの20作を記念する企画展が行われており、ほとんど知らないながら楽しむことができた。
また、トキワ荘のことが説明されていたり、1995年に描かれた萬画が掲示されていたりして、改めて巨人の仕事を楽しむことができた。
近くに物産館があることを知り、立ち寄る。
サバの水煮や、くじらのアヒージョなどが缶詰で売られており、荷物になることを承知で買う。
朝からほとんど何も食べていないので、鮮魚売り場で寿司でもないかと探すと、たこめしが目に入った。
このたこめしがすごくて、ごはんの上にタコが敷き詰められている。
これで驚く価格で、迷わず買う。
石巻駅に戻り、缶ビールを買う。
まだ列車の出発の時刻まで時間があるので、駅のベンチに座り、たこめしをいただく。
いやもう、本当に最高である。
石巻線の電車に乗る。
列車は出発し、1駅進んで、停車中に缶ビールを開ける。
ロングシートで気が引けていたからなのか、サハの車両にプルタブを上げる音が響いたように感じ、恐縮するが、飲む。
列車は塩釜駅に到着。
30分くらいしかなく、塩竃神社の下まで走り、階段をのぼり、社殿に一礼し、下り坂を降り、塩釜港まで行く。
出航の1分前にチケットを購入し、松島への遊覧船に乗る。
さすが洗練された松島観光。
録音のアナウンスが的確で、非常に楽しい。
松島湾内に有人島があることを初めて知る。
松島港に到着。
駅に降り、まずは五大堂に参り、店で焼き牡蠣を頼む。
粒が大きい牡蠣が2つやってきて、いただく。
これがまたたまらなくうまい。
その後、瑞巌寺を参観し、松島海岸駅に戻る。
仙石線の列車は混んでいて、かろうじて座って少し眠る。
仙台トンネルを経て、あおば通駅で降車。
仙台駅の東側に行き、調べておいた味噌ラーメン屋に行くが、日曜の14時過ぎでも開いていることを確認していたにもかかわらず、休憩に入っていた。
次の機会はもうないかもしれない。
それで、安心の駅ビルに戻り、牛タン屋で昼食。
いつもは食べない、厚切り牛タンをオーダー。
ビールもいただいて、朗らか。
地下に降りて、笹かまぼこを購入。
そして、仙台最後の目的、むすび丸のキャラクターグッズを手に入れるため、駅の中をさまよう。
いくつか店を回ったが見つからず、ようやくキーホルダーを見つけたころには、列車出発の5分前。
ポイントカードを見せたら、「ポイントを使いますか」の声。
「使わない、Suicaで」というと、「ポイントで全額支払えますが」という。
「ポイントは商品交換のために貯めている。列車の出発まで時間がないし、Suicaでと言っているのだから、早くしてほしい」と言い放つ。
これが、「時間欠乏症に伴い現れる「九州」」である。
みっともない。
それはともかく、次の列車を逃したら目的地に着くのが1時間遅れる。
朝のコインロッカーに戻り、荷物を引き出し、改札を通過し、番線を確認し、列車に乗る。
ロングシートが埋まっている列車は、乗ってすぐに発車した。
さよなら、仙台。
福島行きの列車は、30分ほど走ってようやく席が空き、座る。
白石を越え、福島を目前にして福島盆地へと下る。
美しい風景である。
列車は福島に到着。
ここで乗り換えと思いきや、この列車がそのまま郡山へと向かうとのこと。
そんな運用もあったな、と過去を思い出し、安心して眠る。
郡山に着くと、日も暮れかかっている。
磐越西線の乗り場から出る列車に乗る。
磐越西線のこの区間は電化されており、上野からの直通電車が走った往時がしのばれる。
眼下に中山宿駅の旧ホームをかろうじて視認すると、あたりは真っ暗である。
思えば、仙台を出てから3時間以上経過しているし、そもそも今朝は石巻まで行っているのであった。
普通列車で移動するには長い距離で、何らかの感覚がマヒしているのだと思う。
会津若松に到着し、終端式構造を観察。
本日の宿は、駅前のホテルである。
周囲を散策する余力もなく、チェックイン。
事前に予約していた夕食を食し、近所の喫茶店でコーヒーを飲み、コンビニエンスストアで明日のビールを購入する。
本日の乗りつぶし
- (仙台市営地下鉄 東西線:国際センター - 仙台)
- (東北本線:福島 - 槻木、仙台 - 松島 - 高樹町)
- (仙石線:あおば通 - 石巻)
- (磐越西線:郡山 - 会津若松)
2019年5月 月曜
5時30分、起床。
天候は、晴れ。
この3日間は、天気に恵まれた。
1年で2週間くらいしかない、この国で最も快適に過ごせる時季である。
6時過ぎに、チェックアウト。
会津若松駅へと向かう。
コインロッカーを探し、Suicaをかざそうとするも、鍵が刺さっている。
「コインロッカーを使うのにコインがいるのか」と気づき、自動販売機で水を買って紙幣を崩す。
ポスターでは、武田玲奈が東京へといざなう。
早々と列車に乗る。
その理由は、喜多方で「朝ラー」を楽しむためである。
キハ40に乗ること約30分、喜多方駅に到着。
無料の冊子を手に入れ、街へ出る。
この日は月曜のため、定休日であるところも多いが、おいしそうな店を冊子で見つけ、駅から15分ほど歩く。
ラーメン屋に到着し、さっそくラーメンを頼む。
ラーメンが到着。
うまい。
次。
川原に出て、しばしの休憩。
空気が澄んでいて、風景が目に優しい。
市役所のほうに歩き、2軒目。
こちらは色の濃い醤油ラーメンではなく、塩味である。
東京でも食べられる店だが、塩味のスープは東京では食べられない。
これが、またうまい。
駅に戻り、列車に30分乗り、会津若松駅。
窓口で、会津若松から東武線で都内に戻る4社連絡切符を仕立ててもらう。
バスを待ってもよかったが、時間があったので、歩くことにする。
ほどよい繁華街が、散歩にちょうどいい。
街の中心部に出て、カフェで休む。
蔵を店舗にしたカフェは谷澤恵里香も推薦しているようで、2階に上がりコーヒーを注文。
まだ10時過ぎである。
街中を歩くと、何やら新しい施設。
IT系の大手企業がオフィスを構えており、学生とコラボレーションして研究を進める場所のようだ。
ここは会津若松、情報系の優秀な学生がいるので、納得。
市役所の前を通過し、若松城(鶴ヶ城)へと到着。
天守閣を見物。
白虎隊の話は、明治維新後、子供たちに忠義を説くために用いられたのだという。
まったく、どこまでも反省することのない連中である。
庭園を見物。
3つある千家の大本がここからなのだそうが、よくわからず、先ほどから、頭の中で「愛しき日々」がループしている。
むぉお少し時が、ゆるやかであった、ならー。
サンキュー。
バスの時刻が迫っており、急いでバス停へ。
すぐに印象的な周遊バスが来て、乗り込む。
20分ほど乗って、飯森山に到着。
昨日の塩竃神社のことを考えると必要はないのだが、料金を払って電動スロープに乗る。
坂が、足首に来る。
自刃地から鶴ヶ城を望み、落涙。
痛くもない腹をさする。
僕は悲劇を繰り返さないで済むことを考えたい。
さざえ堂へと移動。
集中賽銭採集装置をじっくり観察。
白虎隊が通過したという戸ノ口堰洞穴を見学。
たまたまIT時代に生まれたから、何とか食べていけているのだが、もし江戸時代にそれなりの家に生まれていたら、土木計画を生業として暮らして行けただろうか。
ともかく、偉業に感激する。
ふもとに降り、駐車場無料の土産物屋を横目に見つつ、周遊バスを待つ。
20分ほどしてバスが来て、10分ほどで会津若松駅に到着。
バスセンターで「路線バスの旅」での訪問をしのび、お土産を買いこみ、駅で列車を待つ。
会津鉄道の列車がやってくる。
観光客と思われる人たちがそれなりに多い。
席に着き、ビールを飲むと眠くなる。
気づけば列車は会津田島に着いていて、向かいの乗り場で待っているリバティ会津に乗り込む。
列車は山中を進み、トンネルを通過し、温泉地を抜け、部分的高架を走り、どこだかわからないだだっ広いところを走り、都内へと戻ってきた。
通路を挟んだ席に座っていたビジネスマンは、今から溝の口まで帰るのだという。
「北千住から一本だから」というセリフに、何となくさみしさを感じた。
本日の乗りつぶし
- (磐越西線:会津若松 - 喜多方)
- (只見線:会津若松 - 西若松)
- (会津鉄道会津線:西若松 - 会津高原尾瀬口)
- 野岩鉄道会津鬼怒川線:新藤原 - 会津高原尾瀬口
- 東武鬼怒川線:下今市 - 新藤原
- 東武日光線:新栃木 - 下今市
2019年8月 土曜
その日、僕は、高崎線の列車内にいた。
5時15分起床、5時30分出発。
このような状況に追い込まれたのは、理由がある。
きっぷは、休日お出かけパス。
指定席券売機で購入しようとするも、まだ6時前で券売機が稼働しておらず、少々焦った。
朝のばたつきはあったが、とにかく高崎線の普通列車に乗ることができた。
当然ながら、グリーン車の2階席である。
以前、朝に高崎に行く用事があり、下りの普通列車に乗ったが、大宮を過ぎても混んでいた。
理由は、本庄駅あたりの学校に通う学生が多く乗車していたからだ。
今回は、JRE POINTをSuicaグリーン券に交換する申し込みを前日にしておき、朝受け取った。
まだ7時前だが、缶ビールを開け、喉にゆっくりと通す…。
車両前方の電光掲示板を改めてみると、「小金井行」と表示されている。
あれ、小金井でいいのだろうか。
気付いたのは、大宮駅到着寸前だった。
慌てて、Suicaを天井部にタッチし、階段を駆け下り、プラットフォームへと出た。
7時過ぎの列車乗り場には、高校生やこれから働きに行く方々が列をなしていた。
僕は飲みかけの缶ビールに口をつけ、堂々と歩き抜けた。
危なかった。
改めて、大宮駅で高崎行の列車に乗り、グリーン車の2階席で本日2本目の缶ビールに取り掛かる。
上尾駅の駅名標の背景が「平方どろいんきょ祭」の写真になっているのを見て、「こういうのを残そうとするからなのか、他のものがないからこういうのを残すことになるのか」と自問する。
それにしても、興味のない「駅通過」である。
その昔なら、高崎線を行きかう特急や急行のすれ違いが楽しめだのだろうが、今は上野東京ラインか湘南新宿ラインの、区別のつかない列車を眺める程度だ。
引っかかったのは、せいぜい行田の駅前の駐車場が「1日150円」であることくらいだ。
やがて、秩父鉄道の頼りない線路が高崎線上空を交差する。
本庄駅では「旅いまトレンディ」らしい。
一通り悪態をついていたら、高崎駅に到着。
列車を乗り換える。
発車直前になって、多くの客が荷物を抱えて乗り込んでくる。
上越新幹線からの乗り換えなのだろうか。
新幹線でやって来てここで立つことになるのは、控えめに言って気の毒である。
八木原駅手前で、進行方向右の後方に山の稜線が望む。
赤城山か榛名山か、それか何かか、興味がないのでよくわからない。
20年ぶりに渋川に到着。
20年前にアルバイトの関係で来たときは、おそらく特急草津に乗った。
車窓から民家が燃えているのを見かけ、新店オープンのご祝儀で商品券をもらったものの、都心で消費することはできないと予想されたので、渋川で「ミニコンポ」を購入した。
ここからが吾妻線で、未乗区間となる。
本数の少ない吾妻線の大前行に乗るために、くだらない早起きをすることになったのだ。
車内は旅行鞄を抱えたグループが多い。
きっと、草津やら万座やら鹿沢やらそのあたりの温泉に行くのだろう。
岩島駅を過ぎると、新線部分に入る。
旧線には国内鉄道の最短トンネルとして有名であった樽沢トンネルがあったが、今は長大な八ッ場トンネルに取って代わられた。
長野原草津口、万座・鹿沢口と乗客が降りていくが、それでもなおそこそこの乗客がいる。
嫌な予感がする。
列車は大前に到着。
結局、大前までは30人近くの乗客がいた。
そのほとんどが、大前駅に来ることを目的としている人たちらしく、列車を降りたら、まず線路の行き止まりにある車止めを見に行っていた。
悲しい習性なのはわかっているが、僕も見に行く。
列車後方から車掌が来て、きっぷを改めるというので、休日お出かけパスとえきねっとで購入した「神保原→大前」の乗車券を差し出す。
車掌が「記念に持ち帰りますか」というので、「でしたら、そうしましょう」と答える。
大前駅は、駅前にアパートが1つあるだけで、あとは特に何もない。
駅舎には記念ノートが置かれてあり、誰かがすでに今日の日付で書き込んでいた。
これで、本日の仕事は終わりである。
このまま帰れば、在来線でも15時ごろには東京に戻れるだろう。
でも、それではあまりにももったいない。
来た列車で引き返し、羽根尾駅で下車。
大前駅での降車客を見て恐れていたのだが、降りたのは僕1人だった。
無人の駅舎を出て、10分ばかり歩き、吾妻川の岸に出て休む。
さて、関東完乗を果たすには、関東の外に出る鉄道を乗りつぶす必要がある。
前回の野岩鉄道会津鬼怒川線をもって、新幹線を含めそのすべてに乗った。
ところで、関東の外に出る鉄道で現存しない路線が(自分の調べたところ)3つある。
1つは、神奈川と静岡の県境を越えた熱海鉄道である。
そして残りの2つが、群馬と長野の県境を越えたもので、1つは信越本線、もう1つが草軽電気鉄道である。
そのうち、熱海鉄道は、東海道本線を通ったことで訪れたことにしてしまい、残りの2路線の跡をこれから追っていこうと思う。
そうはいっても、僕は熱心な鉄道ファンではないので、簡便な代替方法でそれを果たしたと称することにする。
川岸を離れ、羽根尾駅に程近くにある「応桑道」バス停で、軽井沢駅北口行の急行バスに乗る。
乗客は自分を含めて3人。
バスは交差点を左折し、国道146号線に入る。
カーブをいくつか越え、標高を上げていく。
遠くに草津白根山を望む…、たぶん。
バスは、北軽井沢に着く。
草軽電気鉄道の北軽井沢駅の駅舎が現存している。
僕はTVで存在を知って以来、草軽電気鉄道に強く心を惹かれている。
なぜなのかはうまく説明できないのだが、険しい山の中に軽便鉄道を通したという気概に惹かれたのだと思う。
ぜひとも降りてみて、北軽井沢駅舎を見たいと思ったが、先を急ぐ旅なので、今回は我慢。
もしかしたら二度と来ないような気がする。
浅間山を望み、バスは、白糸ハイランドウェイに入る。
白糸の滝付近は観光客で混んでいた。
先ほど見かけたパットゴルフ場といい、健全な国民は家族サービスにいそしんでいるようだ。
旧軽井沢に到着。
途中の応桑で1名が降り、乗客2名になったバスに、旧軽井沢からの観光客が大勢乗り込んできた。
窓外は、食べ歩きや店に入る行列を楽しむ観光客のグループでにぎわっている。
まるで原宿みたいで、羽根尾駅にいたときの印象が薄まっていく。
混雑する道路を抜け、軽井沢駅北口に到着。
生涯2回目のPayPay決済を、バス運賃の支払いで試す。
自分のスマートフォンに金額を打ち込んで決済する手段だったが、いずれは画面をかざす方式に置き換わるのだろう。
その前に、交通系ICカードに対応してほしい。
横川行のJRバスの出発まで約1時間。
食事をとるために、ひとまず南口のほうに向かう。
地上を新幹線が走る駅は、品川、豊橋、米原とあるが、ここ軽井沢もそうである。
軽井沢は、2016年以来。
前回は、天皇皇后両陛下(現・上皇上皇后両陛下)がご静養から帰京する姿をお見かけした。
晴天に恵まれ、観光シーズンでもある軽井沢は、人が多い。
プリンスのアウトレットのほうに行ったが、これではお台場と何も変わらない。
この人たちはいったい何を求めて、軽井沢に来ているのだろうか。
店での食事をあきらめ、駅舎の土産売り場を物色。
ここは3年前にはまだできておらず、なかなかいい店ぞろい。
加賀温泉駅の焼き鯖寿司が売られていたので、それと軽井沢高原ビールを購入。
販売員の名字が「沓掛」であったのが、印象的だった。
バス乗り場に戻り、ベンチで昼食。
食事中にバスが到着する。
渋谷から来たバスやら、これから池袋に向かうバスやらで、乗客の苦労を思う。
僕も人のことを言えたものではないのだが。
先ほど「この人たちは、何をしに来ているのか」と疑問に思ったのだが、おそらく人は人と楽しむために混雑する観光地を目指すのだろう。
つまり、僕には縁のない世界の話だから、わかるはずもない。
駅弁のごみを処分するために、駅舎に戻る。
1階にゴミ箱がないかと探していると、子供が遊べる施設を見つけたので、ちょっと入ってみる。
旧信越本線の乗り場を現在のしなの鉄道が整備して遊び場としたようで、豆汽車もありなかなか楽しそうである。
売店に入ってみると、ここの整備を水戸岡鋭治氏が担当されていることを知り、納得。
列車「ろくもん」のクリアファイルを購入する。
外に出ると、軽井沢駅の旧駅舎を再建した建物があることに気づく。
なかなか落ち着いているなと感心していると、駅舎内にカフェがあることを発見。
…失敗した。
もしここに気づいていたら、間違いなくここで休憩していた。
ぜひとも栗あんみつを食べたかった。
浮ついた施設に惑わされて、駅の北側を散策することに思い当たらなかった…。
ひどい後悔を抱えて、横川駅行のJRバスに乗る。
バスはほぼ満席であったが、その理由はわからない。
定刻通りにバスは出発し、旧道ではなく碓水バイパスを経由する。
録音しておいた「夜のプレイリスト」鈴木桃子回を聞きつつ、40分ほどで横川駅に到着。
横川駅を訪れるのは2回目である。
鉄道文化むらを遠くから眺め、ここに来られるのはいつになるのか、と自問する。
高崎駅に到着。
プラットフォーム上でJRE POINTのグリーン券交換を試みるが、操作を誤り、グリーン券を購入してしまう。
わかりにくい操作に憤り、ここでも激しい後悔を抱える。
本日の乗りつぶし
- 吾妻線 渋川 - 大前
2019年9月 土曜
僕は、関東鉄道常総線に乗っていた。
このところ気動車に乗る機会が多いのだが、改めて気動車に乗ると、遠くに来た気がする。
それが決していいものだとは思えない。
窓外には梨畑が広がる。
10時、下館駅に到着。
跨線橋を超えて、真岡鉄道の乗り場に向かう。
数日前、都会の駅の窓口の列に並んだ。
列には、外国人が多く並んでいた。
窓口には4人の職員が対応していて、事前に内容を記したシートを提示して外国人に説明をするなど、多くの工夫を重ねて仕事をこなしていた。
外国人とのコミュニケーションは、都会で接客業をする人間のベーシックスキルである。
僕の順番が回ってきて、SLもおか号の乗車整理券の発券を依頼した。
少し手こずるかな、と思っていたのだが、職員は装置をスムースに操作し、「自由券となりますがよろしいですか」と確認までされた。
さすが都会の窓口担当者、ものすごくレベルの高いスキル保有者であった。
さて、下館駅には、蒸気機関車と客車3両の編成がすでに留置線に入線していた。
待っている乗客数は、客車3両を程よく埋めるほどだろうか。
やがて、列車は乗り場に入り、客車の扉が開く。
客車は古いもので、「これがいい」という意見もあるのかもしれないが、僕としてはお金をかけて内装を整えてもいいかと思う。
列車は、下館駅を出発。
水戸線を離れ、右に曲がる。
海から随分と離れているはずだが、関東平野は広く、いつまでも平地を進む。
いつの間にか県境を越え、茨城県から栃木県へと入る。
窓の外には、壊れて放置された空き家が目立つ。
車内販売のワゴンが通る。
乗客のテンションはそれほど高くないのと対照的に、開けた風景になるとカメラを構えた多くの人の群れが見える。
SLは見るものであり、乗るものではない、というのは、もっともな意見である。
真岡駅に到着。
SLの到着を待ち構えている人が多いが、乗ってくることはなかった。
列車は、益子、市塙と通過する。
やがて、右手に道の駅もてぎが見える。
茂木駅から徒歩10分、もしくはJRバスでアクセス可能。
現地では、とちおとめのソフトクリームなどが手に入る、とのアナウンスがあった。
終点の茂木駅に到着。
列車は到着後すぐに留置線に入り、SLは転車台の上に乗り、向きを変える。
後からやってきた列車で、来た線路を戻る。
再び、真岡駅。
駅の西側に行き、餃子店で昼食。
宇都宮まで行かずにこのクオリティを楽しめることを事前の調査で知ったことは、幸運であった。
駅の東側の建物では、SLが展示されていた。
圧縮空気により動いており、助手席にも乗れるのだという。
建物の4階は、ちょっとした展示スペースがあった。
待っていた上り列車に乗る。
列車内はすでに「人生の先輩」でいっぱいで、1両の座席が埋まっている。
どうやら「歩こう会」の集団で、益子に行った帰りで、下館で乗り換え、常総線に乗ってきそうである。
下館駅に到着。
素早く降りて、常総線の乗り場に向かう。
いち早く行くことにより、座席を確保するためだ。
ところが、常総線のプラットフォームには乗車位置が示されておらず、どこに列を作ればいいかわからない。
そのうち、後ろから「人生の先輩」集団がやってきて、群れを成す。
やがて、1両の列車がやってきて、僕の前を通り過ぎて停止した。
一群が列車の扉に合わせて移動し、扉が開くと一気に乗り込んでいった。
僕は嘆息し、この列車に乗ることをあきらめた。
駅前に行くが、喫茶店1つ見つからない。
大きな建物はショッピングモールかと思いきや、商業施設はすでに撤退しており、今は筑西市役所。
ロビーのフリースペースに座り、自動販売機で買った缶コーヒーを飲む。
スペースのディスプレイで紹介されていた下館ラーメンがおいしそうだった。
これで、茨城の乗りつぶしは終了。
さて、家に帰るまで、何時間かかるのだろう。
本日の乗りつぶし
- 真岡鐵道真岡線:下館 - 茂木
2019年9月 土曜
小学生のころ、祖父母についていき、篠栗に何度か行った。
汽車で行った筑前山手駅は、両端をトンネルに挟まれた高架上にある駅で、周囲の風景にそぐわない不気味なコンクリート構造に子供ながらに怖さを感じた。
駅を降り山に入り、いくつかの霊場を回る。
途中で、家から持参したおにぎりを食べる。
そして、帰りは路線バスで八木山峠を越える。
このようなことを祖父母は月に1度はやっていたように思う。
特筆すべきは、出発時刻である。
当日は、5時前に起こされ、暗いうちに家を出て、5時半にはすでに汽車に乗っている。
往復2時間以上かかるのだが、昼過ぎには家に戻る。
なぜこのように早く出る必要があるのか尋ねた記憶があるのだが、その答えは忘れてしまったし、本人たちに聞くことはもうできない。
そもそも祖父は、普段から朝4時に目を覚まし、繰り返されるNHKニュースの原稿を聞き、「つまらん、同じことを何度も言いよる」と言っていた。
自分も加齢につれ、早起きが苦でなくなるようになってきた。
もはや、僕の夜には何も楽しみもないのだ。
この日は、4時30分に起床。
9月の空はすでに明るい。
ここは関東である。
6時過ぎには、宇都宮線のグリーン車内でビールを開けていた。
先日の高崎線と比べ、宇都宮線のほうが車窓に楽しみがあるような気がする。
東武線や水戸線、両毛線が近づいてきては、ターミナル駅を作る。
幅の広い川を渡る。
住宅地が続く。
東鷲宮駅の特徴的な構造に目を奪われる…、僕は高崎線に偏見を持っているのだろうか。
8時前に宇都宮駅に到着。
東口の看板には、「2022年にLRT開業」なる看板が立てられている。
その時には、また乗りに来ることになるのだろうか。
宇都宮なら、多少遠くても行く気になる。
烏山線の乗り場に降りる。
ほどなくして、直流形の蓄電池電車であるEV-E301系が入線する。
車内には烏山線のステッカーが貼られており、七福神が出迎える。
電車は静かに出発し、しばらくしてから鬼怒川を超える。
長年の非電化路線で気動車に代わって電車が走るのには、インパクトがある。
数年前、筑豊本線の折尾から若松に向かう気動車に乗り、座席の上から空調の水が滴ってきたのに出くわしたときは、「これが約百万都市の列車か…」と愕然とした。
その後、この区間に蓄電池電車が走るようになり、改めて乗ったが、印象が全く違った。
線路を渡り、宝積寺駅に到着。
ここからが未乗区間である。
電車は、架線のない線路を軽快に走る。
蓄電池で駆動と空調を賄い、停止時には回生ブレーキにより蓄電池に充電される。
大金駅で上り列車と行き違い、トンネルを1つ抜け、烏山駅に到着。
折り返しの列車は40分後に出る。
時間をつぶすために歩く。
駅前の広場では、ウォーキングのイベントが行われているようで、オレンジ色のTシャツをきた人が多い。
町の中では、歩いている人はほとんど見かけない。
静かかといえばそうではなく、車が音を立てて行き来している。
車は確かに便利なのかもしれない。
でも、町を自分の足で歩く人が少なくなると、町から人が消える。
そうすれば、町の店は閉まる。
車で用を済ませる人たちは、用が済めば家の中に入る。
困るのは、町の商店街店主と、車を運転できない人たちだ。
高校生は、やがて運転免許を取るか、町を離れていくる。
高齢者は、施設に入る。
歩くのはそんなに不便なのだろうか…、土地によっては不便なのだろう。
僕は、自分の足で歩いて用事の済ませることができる土地に住みたい。
烏山駅に戻る。
列車は充電のために上げていたパンタグラフを降下させ、静かに出発する。
歴史に耐えた大切な鉄道である。
長く残ってほしい。
宇都宮駅に戻る。
ここから、路線バスに乗る。
20分おきに出発するバスを待っていると、バスに乗り慣れていないらしい学生の集団が列を作る。
雀宮がどうだとか、岡本がどうだとか言っているが、何の話だかよくわからない。
バスは、前乗り前降りで、PASMOは使えない。
出発時刻になり、バスは大通りを進む。
計画によると、駅の西側にもLRTができ、JR駅と市街地の中心部を結ぶことになるようだ。
道幅も十分だし、きっと便利になるだろう。
ただ、JRの線路が地上にあり、駅の東西は分断されている。
LRTで駅の東西をつなぐのは困難だが、どうなるのだろうか。
バスは市街地を抜ける。
街には、教育機関が多いように思う。
宇都宮で職を得ることに、どのくらいの自由度があるのか、と学生らしき集団を見て思う。
40分ほど走り、鹿沼市内に入る。
鹿沼を訪れたのは初めてで、宿場町の雰囲気を今も残していることを知らなかった。
鳥居跡町で降車。
新鹿沼駅の次の列車は30分後。
向こうに到着しても、乗り換えの時間はそんなにない。
駅前には店が少ないのだが、そば屋が1件あり、「鹿沼ニラそば」ののぼりがひらめている。
30分で食べ終えられるか不安だが、思い切って入店した。
店は満席。
冷たいニラそばを頼んで見回してみると、ざっと15人ほどの客が食事の出来上がりを待っているようだった。
焦っても仕方がないので、「瀬島龍三 日本の証言」を読み、時間をつぶす。
特攻隊は、上官の命令ではなく志願だったそうだ。
上官が止めなかったことが、大いに悔やまれる。
会津若松に行ったときに、明治政府は白虎隊を「忠烈の美談」とし、反省を生かしきれなかったことにあきれてしまったが、ここでも同じ思いがする。
時間は過ぎていく。
当初乗る列車に乗るのはあきらめたものの、その次の列車に乗れないと、乗り継ぎが成功しない。
列車の出発は15分後だが、僕の前にはあと5人ほど配膳を待っている人がいるようだ。
結局、列車出発の5分前にそばがやってくる。
ニラがアクセントになっていて、そばがおいしい。
そば屋のそばにしては量もやや多く、急いで食べて、そば湯を少しいただく。
PayPayで払うことをあきらめ、事前に用意していた代金を払い、駅へと急ぐ。
当初乗る予定の列車は普通列車であったが、次の列車は、東武特急リバティけごんである。
券売機で特急券を購入し、乗り場に立つと同時に列車がやってきた。
列車の中は観光客でほぼ埋まっている。
外国からの観光客も多い。
かろうじて空いていた指定席に着席し、改めて特急料金510円を惜しむ。
リバティに乗る機会などめったにないので、車両への興味が薄い僕も普段なら喜ぶのだが、何せ本年2回目のリバティなので、感動も薄い。
下今市駅に到着。
SL大樹が乗り場へと入線してきた。
やはり、SLは乗るものではなく、見るものだ。
「大樹生命」のヘッドマークが「よかったね」という感じで、これで新社名を頭に定着することができる。
下今市から東武日光が未乗区間である。
列車は、立派な構えの駅舎へと入っていく。
JR側には、長編成の特急列車が入っていた。
駅を出て、10分後に発車するバスの乗り場へと向かう。
日光まで来て観光しないとは、結構なことである。
日光市営バスに乗る。
乗る際、運転手に「足尾行きです」とアナウンスされ、静かにうなずく。
13時、バスが出発。
窓外の土産物屋や工芸品店、休み処などを見て、「自分はいったい何をしているのか」と改めて思う。
日足トンネルを通過して足尾に向かうこのバスは、観光地日光から足尾銅山跡へと足を伸ばす観光客を見込んで運行されている、とも聞いていた。
それでも、実際に観光と思われる家族客が1組乗っていたことには、シンプルに驚いた。
本来は間藤で降りる予定だったが、ここで降りると、何もない間藤駅で1時間半ほど時間をつぶすことになる。
それは我慢ならなかったので、足尾の中心地である通洞までバスに乗ることにする。
足尾は以前「日本一の鉱都」と呼ばれたそうだが、悲惨な鉱毒事件の元凶とみなされ、価格の安い輸入銅の影響もあり、銅山は閉鉱となった。
酸性雨の影響で禿げ山となった山肌は、いくらか緑を取り戻しているようだが、当時の繁栄を想起させる街並みの一部は廃墟となっている。
バスは、廃線となった貨物線の踏切跡を越え、しばらく行って折り返す。
通洞鉱の跡である足尾銅山観光の前で下車。
バスの運賃1,180円は、ちょっと高い。
銅山観光の客も数グループはいるようで、はとバスの観光客もいた。
どういうチョイスで銅山観光を選ぶのか、僕にはよくわからない。
わからないものの、来てみないとわからないことも多い。
少し高いところにある橋の上から景色を眺めると、トロッコ列車が警笛を鳴らして走っていった。
通洞駅に戻る。
駅員がいて、駅舎のポスターを眺めていると、「きっぷを買いますか」と尋ねられた。
僕は、「間藤までと、間藤から相老までの乗車券を1枚ずつください」と頼む。
通洞から間藤までは硬券で、間藤から相老までは手書きの乗車券で作ってくれた。
頼めば東武線との連絡乗車券も作ってもらえたかもしれない。
こういうオーダーをしたとき、駅員のテンションは上がるのだろうか、それとも面倒な仕事を増やされたと思うのだろうか。
いずれにせよ、奇妙な買い方をする客に対して、駅員はあたたかな対応をしてくれた。
下り列車がやってくる。
乗客は2名で、どちらも男性の1人客であった。
2016年に東武亀戸線に初めて乗った。
東京に住み初めて20年も経つのに、23区内の鉄道にすら乗っていない路線がある自分にあきれ果て、始めてしまった完乗企画。
年内に23区内を乗り終え、2017年には都内完乗を、2018年には埼玉、千葉、神奈川の完乗を果たした。
千葉の完乗を終えたのはちょうど1年前で、台風の被害を受けた今年であったら、実施不可能であった。
2019年は、関東で残った茨城、栃木、群馬の鉄道を乗りつぶすことに決め、郊外まで何度も往復をし、時には宿泊までして、少しずつ乗り進めてきた。
完乗が近づくにつれ、最後の乗りつぶしは間藤駅のあるわたらせ渓谷線にしよう、と何となく決めていた。
紀行作家である宮脇俊三が国鉄全線完乗を果たした路線こそ、国鉄足尾線の足尾-間藤間であった。
それでなんとなく、間藤駅で終わればきれいだな、と思い、わたらせ渓谷線を残し、周辺の路線をつぶしてきた。
もっとも、宮脇俊三は、遠くもなく近くもないから、結果的に足尾線が残された、という旨を記している。
今の僕にとっては、間藤駅はとても遠い場所にある。
行くのが億劫だから、わたらせ渓谷線が残ってしまった、という感じだ。
一方で、時間と費用の都合上、できるだけ少ない手数で乗りつぶしをしとめていきたかった。
また、関東地方周辺部の未乗路線は、本日の烏山線のように盲腸線が多かった。
終着駅まで行くのはいいが、同じ路線を引き返すことにつまらなさを感じていた。
ところで、宮脇俊三が国鉄完乗を果たした1977年5月28日には、まだ日足トンネルが開通していない。
「時刻表2万キロ」には、細尾峠の道路改修に足尾の活気が戻る望みを持つタクシー運転手の話が載っている。
それなら、東武日光線の完乗を果たすのに合わせて、日足トンネルを通過するバスでつないで、わたらせ渓谷線の完乗を果たせばいいと画策した。
列車はゆっくりと高度を上げ、2駅先の間藤駅に到着。
運転士に頼んで、硬券に無効スタンプを押してもらい、記念とする。
先ほど前をバスで通過した間藤駅は、無人駅だが陶芸教室と一体となった駅舎がある。
建物内は、足尾線が記された「時刻表2万キロ」の文章が掲示されていた。
駅の外には階段が備え付けられた4mほどの高さの台があり、台上には望遠鏡が設置されていた。
先ほどの乗客2名が、台の上から列車を見下ろし撮影していた。
列車をカメラに収めるための台なのか、と思ったが、どうやら野生のカモシカを観察するためのもののようだった。
20分ほどで折り返し列車が出発。
予想通り、先ほどの間藤駅までの乗客2名も乗ってきた。
通洞駅で10人ほどの客を乗せ、列車は坂を下っていく。
景色はきれいなのだが、窓が汚れで曇っていて、きれいに見えない。
なぜ、景色を誇る鉄道会社が車両の窓磨きを熱心に行わないのか、いつも疑問に思う。
まあ、後からくるトロッコ列車に乗ればよかったのかもしれない。
上神梅駅を出ると、いよいよ関東地方最後の未乗区間で入る。
大間々の町に近いにもかかわらず駅間は5.1キロと長い。
3つのトンネルを抜け、線路が分岐して広がり、大間々駅に到着。
列車はしばらく止まったのち、終点である桐生へと向かう。
これで、関東地方のすべての鉄道路線に乗ったことになる。
これでもう、朝早く起きて、用事もないのに遠くに行くこともしなくて済む。
これからは、行きたいところに自由に出かけることができる。
そう思ったが、終えてみても特に達成感もなく、今後のことを考えても行きたいところも特に思いつかない。
こんなことには誰も興味を持たないだろうし、何かを得られたとも思えない。
そもそも、用事がないから、乗る用事を作ってわざわざ出かけてきたのだ。
終われば、また用事のない日々が戻ってくる。
今日も交通費だけで9,000円以上かかることになったのだが、今後はその出費がなくなることぐらいが、せめてもの救いだ。
列車は東武桐生線との乗換駅である、相老駅に到着。
窓口でりょうもうの特急券を購入する。
1年で東武特急に4回も乗ることになるとは、何とも情けない。
まあどうでもいい、これから時間をかけて都心に戻らなければならない。
駅前に店は見当たらないが、事前に地図でコンビニエンスストアの場所を調べておいた。
歩いて10分ほどかかるが、そこでビールとつまみを買って、列車内で楽しむことにしよう。
跨線橋を渡り、いくつかの角を曲がり、通りに出たそこに…、あったのは、ローソンだったと思われる空き店舗だった。
本日の乗りつぶし
- 烏山線:宝積寺 - 烏山
- 東武日光線:下今市 - 東武日光
- わたらせ渓谷鐡道わたらせ渓谷線:大間々 - 間藤
2019年11月 土曜
関東地方の鉄道完乗を終え、脱力した日々を送ることとなった…。
実際は、そんな感じにはならなかった。
最初に包まれたのは、安堵感である。
もう辺境の地に行く必要はない。
僕は列車に乗ることや、訪れていないところに行くことは好きだが、行きたくないところに行くことは好きではない。
これは、関東完乗を続けていた間にも自覚していたことだ。
それで、行きたいところに自由に行けるようになった、かといえば、そうでもない。
とにかく忙しくて、行く時間がないどころか、行きたい場所を考える時間すらなかった。
現実逃避することもなく、信頼を損なわないように働き、作業をこなし続けた。
列車に乗ることに多少飽きていたようにも思う。
それで、ほかのことをしてみたのだが、どうもその場所にうまくなじむことができない。
失意のうちに家に戻り、結局僕は、自宅でメディアを鑑賞し続けるしかないのではないか、と落ち込む。
そのメディア鑑賞も、記憶力の低下が邪魔をして、心底楽しめているわけではない。
そのうち、関東地方を台風が襲う。
新幹線の車両は水につかり、いくつかの鉄道橋梁は流された。
先日訪れた吾妻線や、2018年に楽しんだ箱根登山鉄道は、今もまだ回復していない。
完乗のために鉄路があるわけではないが、仮にこれらの路線を乗り残していたら、関東完乗はまだ終わっていないことになっていた。
そして、11月。
山手線と京浜東北線の線路が移設され、また未完成の高輪ゲートウェイ駅を通過するようになった。
早速新たに敷設された線路の上を列車で通った。
新たな構造物を目にするのは楽しく、駅周辺で未来のために働いている人々に敬服と憧れを覚える。
そしてそして11月末、関東に新たな路線が開通した。
関東完乗を果たせていないことになるのは一瞬でも耐えがたく、いち早くその状況は脱したいと考え、時間を作った。
まずは、大崎駅を目指す。
新宿駅ではなく大崎駅になってしまったのは、時間の都合である。
駅構内の行先表示に「祝開通」の文字が現れる。
5番線の乗り場の先頭方向に行くと、たくさんの人。
ラッシュアワーほどの混雑ではないが、明らかにこの日のために集まった人たちだ。
湘南新宿ラインの列車をやり過ごして、いよいよ新路線に向かう列車が入線。
どちらが来るか、できればあちらで、という願いが通じ、相鉄12000系。
この日のために事前に購入しておいた濃紺のコートを、今日は着てきたのだ。
先頭車両は混んでいるので、9号車に乗る。
当然先頭で行く末を見届けたいとは思うのだが、それは次の機会でもできる。
今回は乗ることが目的であるので、それに専念する。
大崎駅を発車。
しばらく行くと、右から「横須賀線」。
このあたりの平面交差解消が望まれるが、生きているうちに実現されるだろうか。
西大井に停車。
乗り場ではカメラを構えている人もいる。
今後、西大井から海老名に行くのも便利になるだろう。
多摩川を渡り、気を引き締める。
武蔵小杉に停車。
先日の被害の跡を見ておきたいと思ったが、この列車を降りると次は30分後で、武蔵小杉に時間を費やすのは今回の目的ではないので、そのまま乗り続ける。
今後、東海道新幹線から相鉄車両が並走するのを見られるかもしれない、と心躍る。
武蔵小杉を出ると、ほどなくして分岐した線路に入り、貨物線へと入る。
これまで、臨時列車が「新川崎駅通過」になっている時刻表を見てきたが、新川崎駅に乗り場のない方の線路を通るのは、これが初めて。
京浜東北線や東海道線を超えるために、線路は高架へと入り、横須賀線をくぐったうえで仰々しく進み、東海道貨物線の脇へ寄り添う。
鶴見駅を過ぎ、鶴見線をくぐってしばらくしたところで、地下へと潜る。
ここからは窓外は真っ暗で、途中横浜線大口駅付近でいったん地上に出たようだが、その様子はよくわからない。
やがて、はっきりと地上に出ると、そこは横浜羽沢駅の手前である。
列車は徐行し、分岐へと入り、緩やかに下る。
再び地下へと入った先の開削された場所で、将来の相鉄新横浜線と合流し、羽沢横浜国大駅に到着。
相鉄ばかりが取り上げられるが、今回の開通はJR区間が長く、JR側の調整もいろいろあったのだろうと推測される。
乗り場は人であふれている。
先頭車両に行き、運転士の交代を観察。
列車の発車まで時間があり、混雑している列車を見送る。
用地確保の問題があるのだろうが、2面2線となったのが、やや残念。
改札階へと上がる。
トイレと有人改札に長い行列ができている。
あまりそういうのには興味がないので、新宿方面の乗り場に向かう。
先頭車両方向に向かい、先ほどの分岐を観察し、戻ってきて、駅名標に書かれた、タモリさんのサインを撮影。
再び改札階に上がり、改札を出場する。
外に出ると、付近には施設どころか、コンビニエンスストアすらない。
駅名にある、横浜国大がどのあたりにあるかもわからず、これでは眞鍋かをり氏もがっかりである。
「当面の間は秘境駅のような様相になるのでは」と言われているが、少なくとも今日に限っては、大勢の人がいる。
記念入場券でも売っているのか、また行列。
彼ら彼女らは、本当に興味があるのだろうか。
階段を上り、跨線橋に立つと、広大な貨物駅が見渡せる。
これで、貨物列車を見に行くのに簡単になった。
ここは、「横浜羽沢駅前駅」である。
駅前に戻り、第三京浜へと向かう道路を歩き、トンネルから上がってくる地点を観察し、また駅前に戻る。
広場では、正式名称は忘れたが、「ハザコクフェスタ」のようなものが開催されていた。
「ハザコク」でいいのなら、「ムサコヤ」「ムサコス」「ムサコガ」と呼べばいいことに気づく。
次の列車の出発時刻まで20分。
空腹を感じるものの、もう一度言うが周辺にはコンビニすらないので、菓子の自動販売機で歌舞伎揚げを購入。
行列を眺めながら、食す。
列車出発10分前に、西谷方面の乗り場へ。
最後尾に位置取りすると、交代の相鉄乗務員が2人、スタンバイ。
次に来る列車はJR車両のようで、スクリーンドアの動作について確認していた。
新宿からの列車が到着。
最後尾車両も混んでいるので、後ろから2番目の車両に乗車。
ほどなくして出発。
相鉄新横浜線の新線部分を下へ上へと動き、地上に出て、西谷駅に到着。
これで、関東地方の未乗区間は7時間ぶりに解消された。
西谷から列車は特急となる。
西谷で乗ってきた家族が「まさか、西谷に特急が止まるようになるなんて」と話している。
ついうっかり大和駅まで乗ってしまった。
ついでに大和駅の中間改札の様子を観察し、用を足してから、上りの特急列車で戻る。
特急列車は西谷に停車。
西谷で乗ってきた2人連れが「まさか、西谷に特急が止まるようになるとは、チョーウケる」と、微笑む。
今回の乗り入れで最も熱いのは、西谷駅なのかもしれない。
星川を過ぎ、1年前に新設された高架部分に入る。
高架になってから通過するのは初めてである。
最後尾車両に乗っていたので、後方の様子を観察する。
女性車掌が乗務していて、制服姿が確かにかっこいいのだが、どちらかというと外の様子が見たい。
気味悪がられないか心配する。
やがて、線路は東海道本線に寄り添う。
平沼橋を過ぎ、徐行し始め、横浜駅に到着。
相鉄線の横浜駅は、20年ぶりくらいだろうか。
いつまでも工事が終わらない横浜駅をしばらく探索し、西口のほうへ行く。
横浜は、人が多い。
改めて、豊かな土地であると思う。
10分ほど歩いたところにラーメン屋があるのだが、15時近かったのに20人くらい待っていた。
付近には有名チェーン店が数件あり、そこで済ましてもよかったが、どうも気が乗らず、どうしたものかとさまよう。
何となく猥雑な雰囲気のある路地を曲がっていくと、「大分ラーメン」の看板が目に入る。
安心してそこに入り、ラーメンを食べる。
おいしい。
店を出ると、バーらしき店から歓声が上がる。
最初は、結婚式の2次会でもやっているのかと思ったが、それにしては時間が早い。
よく聞いてみると、サッカーの試合をTVで観戦しているようだった。
今日は大事な試合があったようだが、僕にはわからない。
東口のほうに出る。
思うに、これだけの大都市の駅前に高速道路のジャンクションのうねりが繰り広げられている例が、他にあるだろうか…、知らないだけで、きっとあるのだろう。
歩道橋の上から高架を堪能し、そのまま海のほうに向かう。
そごうの横を通り過ぎ、横浜ベイクォーターから景色を眺める。
休日を使って、ひとりで何をしているのか、本当にわからなくなる。
こんな生活でよかったのだろうか、たぶん性に合っているのだろう。
その辺の店で休んでもよかったのだが、時刻は16時を過ぎ、晩秋の夜はすでに迫っており、悲しいかな僕の家は横浜から遠い。
駅の北側から構内に入り、横須賀線の乗り場を目指し、帰途に就く。
帰宅して、相鉄のウェブサイトで公開されている動画を視聴。
僕にとっては、染谷将太と二階堂ふみが出演しているムービーにはさほど興味を持てず、「12000系」前面展望ムービーは十分に楽しめた。
やはり、何か重大な疾患を抱えているのだと思う。
本日の乗りつぶし
- (東海道本線貨物線:鶴見 - 羽沢横浜国大)
- 相鉄新横浜線:西谷 - 羽沢横浜国大