Tokyo23区完乗の男
* 2016年2月 土曜
その日、僕は曳舟駅にいた。
家にいても何もすることのない土曜。
出かけたものの、どこに行くあてもなく電車に乗った僕は、「そういえば東武亀戸線に乗ったことがなかったな」という理由だけで、東武鉄道曳舟駅に向かった。
曳舟駅には、東武伊勢崎線…、東武スカイツリーラインに乗った際に何度か通過している。
5番線のプラットフォームから出発する2両編成の列車を見送るたびに、「亀戸線に乗る用事など、自分に起こることはないだろうな」と思っていた。
乗る用事がないのなら、乗ることを用事としてしまおう。
暇は、くだらない考えをもたらす。
亀戸線のワンマン列車に乗り込み、運転室の後ろに陣取る。
発車時刻を迎え、定刻通りのプロシージャを経て、列車は動き出し、左に曲がる。
僕の想像とは違って、そこには複線が伸びていた。
曳舟駅の1線からは、「亀戸線はきっと単線なのだろう」と考えていたのだが、亀戸線はほぼ全線にわたって複線だった。
進行方向に見えるのは、先の方で次々に閉まっていく踏切だ。
僕が上京したころによく乗っていた、井の頭線の風景を思い出させる。
途中駅には、構内踏切すらある。
東京に来たのは、20年前。
最初に都内の鉄道を利用したのは、上京した時の東海道新幹線:新横浜-東京間である(新幹線の品川駅は、まだなかった)。
有楽町の東京高速道路に興奮したのち、東京駅に着いた僕は、丸の内側の改札から地下通路で丸ビルの前に出て、タクシーで淡路町のホテルに向かった。
その後、淡路町駅から営団地下鉄丸ノ内線に乗った。
御茶ノ水のお堀端に、積雪が残っていた。
その後、東京に住むことになり、学生の頃に始めたアルバイトの関係から、鉄道を利用して関東近郊をくまなく回った。
そのため、平均的な人よりは多くのところに行ったつもりだが、それでも、20年経っても、亀戸線に乗る機会は今日まで得られなかった。
亀戸線の列車はやがて右にカーブし、亀戸駅に到着した。
2番線には、列車が1編成留置されている。
亀戸駅に降りるのも、これが初めてだ。
有名な餃子屋に入り、老酒を頼み、注文なく運ばれた餃子を食べながら、僕は東京であとどのくらい、乗っていない路線があるのだろうかと数えた。
軽く思い出しても、10は超える。
店を出て、ホルモン屋の横を通り、亀戸天神を目指す。
途中で見つけた甘栗屋でついつい甘栗を買ってしまう。
店の隣の豆屋に鳩が群がっているのに目を見張る。
亀戸天神はにぎわっていて、「近くに住んでいたら散歩コースに加えたくなる」と思った。
スカイツリーを目指して歩くと、春日通りの終端が出現し、思わぬ末路を知った。
押上を経て、コンビニでビールを買い、蔵前手前の橋の上でビールを飲む。
目的を持って生きるのは悪くない。
僕は、年内に東京23区内の鉄道を完乗することを決意した。
本日の乗りつぶし
東武亀戸線: 亀戸-曳舟
2016年2月 土曜
その日、僕は東松戸駅にいた。
武蔵野線で東松戸駅に降り立つのは初めてだ。
北総線の物々しい高架線を除けば、バス広場のある穏やかな駅だ。
仮に、浅草線沿線にリタイアまで通勤する運命におかれたのなら、東松戸に住むのも悪くないかと思う。
高架下のマルエツの営業時間も心強いし。
まずは、北総線に乗る。
北総線は、矢切-京成高砂間で23区内を通過する。
この区間は15年前に乗ったことがあるので、未乗区間ではない。
立派な高架を上り、プラットフォームへと出る。
2面4線になったのは、成田スカイアクセスに合わせてのことだ、とウィキペディアで知る。
スマートフォンが僕の不精を補い、さも知っていたかのような気にさせる。
アクセス特急に乗る。
先頭車両に乗ったが、運転手が席の後ろのブラインドを下す。
切通し、台地、トンネルが続くのは、谷津のせいだ、と再びウィキペディアで知る。
矢切駅を過ぎると江戸川を渡り、葛飾区へ入る。
高砂駅直前の下り坂で停止。
悪名高い「開かずの踏切」を通過し、列車は停止位置よりかなり手前に止まる。
さすがにまずかったようで、もう一度動き出し、定位置に止めなおす。
ここからは京成である。
運転手交代の際、列車が停止位置の手前で止まったことを、京成の運転手が軽くいじっていた。
高砂駅構内は、出汁の香りが満ちていた。
早い時間だからか、駅前には、開いている店がほとんどない。
それどころか、実にパッとしない駅前である。
金町線の立派な高架が、踏切を含めた周りの色のない風景と対照的である。
高砂駅周辺はいつ完全高架化されるのか、その物理的余地を見いだせなかった。
駅に戻り、羽田空港行きの列車に乗る。
2番線から出発し、中川を越え、うねる線路を下り、青砥駅の下層部に到着。
後続の上野行きを待ち合わせるのは、おそらく高砂-青砥間の平面交差を円滑に行うためなのだろう。
青砥から押上、そして都営地下鉄浅草線の浅草までが、今回走破する未乗区間である。
京成立石まではまだ高架化工事が残されているものの、立石から先がすでに高架となっている。
押上駅で京成から都営へ運転手が交代したが、こちらはあっさりとしたやり取り。
都営浅草線直通の列車は、浅草駅に到着。
都営地下鉄で浅草駅に来たのは、19年ぶりである。
通路の様子など、何となく風景の記憶が残っている。
本日の乗りつぶし
京成押上線: 押上-青砥
都営地下鉄浅草線: 浅草-押上
2016年3月 金曜
その日、僕は新宿駅にいた。
山手線が、運行見合わせ。
神田駅での人身事故とのアナウンス。
これから、目黒駅に行って、野方ホープで遅めの昼食をとろうとしていた。
運行再開の見込みが立たないので、目黒に行くことはあきらめ、目黒がらみで、蒙古タンメン中本新宿店で昼食。
最近は、塩タンメンがお気に入り。
「山手線はまだ動いていない」と踏み、新宿駅から丸ノ内線に乗る。
四ツ谷駅で降り、長いエスカレータを下り、南北線の乗り場にたどり着く。
南北線で白金高輪まで向かい、都営三田線に乗り換える。
内幸町で下車。
前に内幸町に来たのは就職活動のとき、東京電力の会社説明会だっただろうか。
内幸町で用事を済ませ、また都営三田線に乗り、水道橋へと向かう。
水道橋の駅で、地下鉄の出口がJRから道と堀1本ずつ離れていることを知り、今まで降りたことがなかったのだと確信する。
それにしても、地下鉄の未乗区間乗りつぶしは、見るべきところがなく、退屈である。
そして、後から思ったが、運行情報をスマートフォンで確認しなかった僕は、古い旅人である。
本日の乗りつぶし
都営地下鉄三田線: 白金高輪-水道橋
2016年3月 土曜
その日、僕は新橋駅にいた。
このプロジェクトを記すにあたり、タイトル名を思案していたのだが、今日になって思いついた。
タイトルは、「Tokyo23区完乗の男」である。
JR新橋駅には、大屋根ができつつある。
新陳代謝を繰り返す東京の街には、飽きることがない。
今日はまず、都バス市01系統に乗る。
新橋駅から築地市場内まで乗り入れる路線で、バスの座席も特殊なビニール加工がされている。
市場移転の際には、この路線も廃止されるのだろうか。
10分ほどで、築地市場に到着。
場内は初めて。
混雑している聞いてはいたものの、考えていた以上であり、特に外国人が店の前で長い行列を作っている。
僕には偏狭と呼ばれても仕方のないほどの衛生的こだわりがあり、ここで食事をとることができない。
結局は、ふくちゃんラーメンである。
何度目かの勝鬨橋。
かちどき橋の資料館を発見したので、のぞいてみる。
中ではおじさんが3人、熱心に映像を視聴していた。
誰もいなかったらどうしよう、という不安は杞憂だった。
受付のおじさんに声をかけられたものの、「えへえへ」と返してやり過ごす。
隅田川右岸を上流に向かって歩く。
聖路加タワーの前を通り、鼻持ちならない気分が沸き起こる。
新富町の首都高速道路の「遺跡」を見学。
善良な都民の子供が運動を楽しむ、都会のオアシスである。
有楽町線で、豊洲へ。
豊洲からゆりかもめに乗り、新豊洲までの未乗区間を走破。
以前新豊洲に降りたときは、事情があったのと酔狂が高じたのがあり、歩いて晴海大橋を渡った。
ゆりかもめはカーブが多く、揺れと高さが伴って、とても怖い。
眼下に「PORT STORE」という、有名コンビニエンスストアチェーンと見間違える店があった。
湾岸の闇には近づくまい。
東京港トンネルの工事の様子は、車窓からはよくわからなかった。
レインボーブリッジを渡り、汐留駅で下車。
磁気券で380円、IC運賃だと381円だという。
本当に、港湾側には闇が多い。
本日の乗りつぶし
ゆりかもめ東京臨海新交通臨海線: 新豊洲-豊洲
2016年3月 土曜
その日、僕は東京メトロ千代田線町屋駅にいた。
サンポップ側の改札を抜け、地上に出ると、京成と都電が交錯している。
よくいえば「情緒あふれる」風景である。
もちろん、僕は情緒を全く解さないため、実感したことはない。
今日は、都電荒川線に乗る。
三ノ輪橋に向かう側の電停で待つ。
町屋駅前からの区間運転の電車があり、早稲田行きの後ろに荒川車庫前行が控えている。
こういう路面電車が詰まっている様子は、子どものころに見た、魚町交差点を思い出させる。
電車に乗るも、特に感慨もない。
子どものころは路面電車の運転席の後ろに陣取り、七条やら荒生田やらの電停の名前をそらんじていたのに。
あの頃は、路面電車を操るハンドルのバーを運転手が携帯しているのを見て、それが本当に欲しいと思ったのに。
三ノ輪橋に到着。
見事に行き詰った終端駅である。
戸畑電停のような先につながる感じも、門司電停のようなすっと消えゆく感じもない。
ジョイフル三ノ輪という「そうですか」という感想だけが口をつく商店街を抜け、南千住駅を目指す。
跨線橋の上で、貨物線の壮大な風景を観察する。
バス車庫の敷地内の都営住宅が建っているのは、都電の車庫の跡である。
もし、都電が残っていたころに23区完乗を思い立っていたとしたら、それはそれは労力のいることだっただろう。
それに比べれば、代わりとなる、東京メトロや都営地下鉄の乗りつぶしなど、たわいもない。
都バスの乗りつぶしなど、絶対にしないでおこう。
本日の乗りつぶし
都電荒川線: 三ノ輪橋-町屋駅前
2016年3月 土曜
その日、僕はつくばエクスプレス青井駅にいた。
青井に降り立つのは、これが初めてである。
僕のような無味乾燥人間に、青井へ行く用などあるわけもない。
想像を裏切らない、人気のない不気味な地下通路を出て、地上へ。
どこもかしこも、電線地中化である。
加平出入口の近くだとは知っているものの、どちらの方向にあるのか見当がつかない。
歩き進むうちに綾瀬川にぶつかり、綾瀬新橋を越え、都道314号を左に曲がる。
公園が多く、閑静な土地に見える。
何も知識がなければ、住んでしまうかもしれない。
TVでよく見る綾瀬警察署の前を右に曲がり、環七通り。
ほどなく、北綾瀬駅。
せっかくなので、綾瀬車両基地方面に向かう。
「分断してごめんね」感があふれている、車庫をまたぐ歩道橋があったので、遠慮なく上り、出入庫の様子をしばらく眺める。
北綾瀬駅に戻る。
本日は、東京メトロの2支線に乗る。
3両編成の最後部に乗車。
ワンマン運転のため、誰に気兼ねすることなく運転台を観察する。
歩いてきた道に平行して戻り、右にカーブを大きく切って、綾瀬駅に到着。
改札外には出なかったものの、綾瀬駅で降りたのは16年ぶり。
その後、千代田線に乗り込む。
ウィキペディアで、06系がなくなっていたことを知る。
新御茶ノ水駅で下車。
小川町交差点からわざわざ地上に出て、淡路町交差点でわざわざ向こう側にわたり、丸ノ内線のホームへ行く。
千代田線から丸ノ内線の乗り換えは、どの駅にしても憂鬱で、空が晴れていて人生に余裕があれば、このルートをたどりたい。
淡路町から丸ノ内線。
中野坂上で降りて、方南町支線。
中野富士見町から分かれる車庫線を確認し、方南町駅に到着。
また環七通りだが、北東の方角から西へ来たことになる。
東京メトロの運賃体系のお得感を十分に味わえた長距離移動であった。
方南通りを進み、大宮八幡宮をめぐる。
西荻窪に住んでいたころ、宮前あたりを自転車で走ったことはあったが、大宮八幡宮は初めて。
街を歩いていると、コンパクトな独身者向けアパートが多いことに気づく。
開けた道からは、西新宿の高層ビル群がのぞき見える。
もし、僕が年を取り、引退することなったら、この辺りに一人で住みたいものだ。
朝起きたら、新宿や中野まで歩き、喫茶店で読書か文章書きをし、昼飯を食べて、あるいは早い夕食のためのつまみを買って、バスで帰るのだ。
記憶とは全く異なる姿に生まれ変わった永福町駅に到着。
井の頭線に乗り、神泉駅で降りる。
道玄坂上に出て、マークシティを通り抜け、渋谷駅に到達。
宮益坂側に用があったので地上に降りたが、上下移動なく山手線を跨ぐ日を、僕は無事に迎えられるのだろうか。
本日の乗りつぶし
東京メトロ千代田線: 綾瀬-北綾瀬
東京メトロ丸ノ内線: 中野坂上-方南町
2016年4月 水曜
その日、僕は青井駅にいた。
いくつかの「頼まれ事」が立て込み、頭がくらくらとし始めたため、無理を言って休養を取ることにした。
家で寝ていても体調がよくなる気がせず、23区完乗の進捗を少しでも取ろうと、おだやかな気温の中へと飛び込んだ。
それにしても、再びの青井駅である。
北綾瀬に向かった前回の訪問時とは反対に向かって歩き出す。
あたりはどうみても、古い記憶を有する閑静な住宅地である。
悪いところが見つからない。
今日は、周辺の小学校の入学式があったようだ。
ウェブで調べると、入学式は午後からで、2年生以上は午前で放課となる模様。
「小学校すらもそんな柔軟な対応ができるのか」と感心する。
梅島駅に到達。
「ここがたけしを生んだ地だよ、もちろんマー兄ちゃんも」と東武ストアの前で感慨にふけったが、後で調べると、ビートたけしが育った場所は実際は梅島から少し離れた「島根」だと知る。
広域地名め。
東武伊勢崎線…、東武スカイツリーライン沿いを西新井方面に向かう。
いかにも「東武が開発しました」という感じの「ライジングプレイス」と名がつくマンション脇を過ぎる。
人生とは、どこかで手を打たなければならないものなのだ。
そういえば、東京スカイツリーの名称を決める際、候補の1つが「ライジングタワー」だったな。
亀田トレイン通りという、3兄弟が出てきそうな道を歩けば、西新井駅。
「駅前はこんな風になってたんだ」というサプライズをいただく。
さらに歩き、西新井大師に到着。
ちょろっとある門前町を、道路端から距離を置いて通り抜け、境内を散策。
特段に関心を持てない。
ようやく、本題である東武大師線の乗車にかかる。
大師前駅には、改札がない。
広々とした感じが、繁栄を忘れたバスターミナルのような趣を醸し出す。
大師線に乗り込む。
高架であるため景色がいいのだが、すぐに下り、1分で西新井駅に着く。
大師線の往復を続ける運転手の人生とは、どのようなものなのだろう。
それはさておき、西新井駅の中間改札を通過する。
東武伊勢崎線…、東武スカイツリーラインの北千住以北に乗るのは、5年ぶり。
梅島のいびつなプラットフォーム配置を車内から見学。
いつもなら、目的駅の1つ前で降りて、歩いたりするものなのだが、小菅で降りたところで川に行き詰まるし、街の見学をすると余計に体調が悪化しそうな気がしたため、おとなしく北千住まで行く。
あるハンバーグチェーン店に17年ぶりに入店。
記憶とはずいぶん違う味に、自分の老いを感じる。
本日の乗りつぶし
東武大師線: 西新井-大師前
2016年4月 土曜
その日、僕は日暮里駅にいた。
日暮里駅を出たところにある下御隠殿橋は、「いろいろな車両を見ることができる」ということで、子どもたちに人気スポットであるという。
日暮里駅のキャラクターであるにゃっぽりも、「ここは生きたトレインミュージアムである」とうたっている。
ちなみに、僕はにゃっぽりが好きである。
「大きな子どもである」という自覚くらいは有している僕も、子どもに交じって観察。
京浜東北、山手、上野東京ライン、たまに踊り子、たまにあかぎ、常磐、ひたち、東北、上越、北陸の各新幹線、山形、秋田のミニ新幹線、右向こうに見えるは、京成、スカイライナー、北総、運が良ければ京急などなど、様々な車両がひっきりなしにやってくる。
知識を存分に発揮できる場所である。
今日は、日暮里舎人ライナーに乗る。
仰々しい駅構造、改札位置がわからないのは、自分の勘の鈍さが原因だ、と言い聞かせ、1日フリー切符を買う。
狙うはもちろん、無人運転ならではの、一番前の座席である。
子どもと高齢男性の熱心さにほだされたために2本見送り、ようやく一番前の座席を確保する。
日暮里駅を出発すると、左に大きくカーブ、すぐに西日暮里5丁目交差点上に差し掛かる。
僕は以前、西日暮里に住んでいた。
住居を決める前、アパートの内覧に一人で行ったのだが、大家さんとの電話で「交差点から線路をくぐってください」と指示された。
いざ、西日暮里5丁目交差点に立ち、四方を見渡すと、どの方向にも線路の下をくぐる道があった。
あの時のカオス感に魅了され、西日暮里の地を選んだ、というわけでなく、いい大家さんといいアパートに巡り合ったからである。
さて、当時はなかった日暮里舎人ライナーの高架が、今は交差点の上にのしかかり、さらに見えない地下には東京メトロ千代田線が走っている。
尾久橋通りと道灌山通りが交差し、多層ジャンクションへと成長を遂げた西日暮里5丁目交差点の上を、日暮里舎人ライナーは進む。
進行方向はまっすぐだが、路面の高低差は大きい。
新交通システムの揺れと高さは、相変わらず怖い。
これは、足立区を進んでいる怖さとは違うものだと思う。
何も知らなければ、掘り出し物のマンションでも買っているところだ。
西新井大師西駅あたりで、西新井大師の屋根を確認する。
西新井大師にそこまでこだわった理由には、少し興味がある。
いつの日か、寺社側から訴えられたりしないように。
西の方に見える高層マンション群は、川口なのだろうか。
そういえば、気を抜いているうちに荒川を越え、中央環状線の外にいるのだった。
無事に帰れるのだろうか。
もちろん無事に列車は進み、終点の見沼代親水公園駅に到着。
降りると、高架の切れた先は埼玉県草加市。
ウィキペディアで調べると、草加の方からのバスでここまで通い、日暮里舎人ライナーで都心を目指すという通勤者もいるそうだ。
本当に本当に、ごくろうさまである。
それにしても、見沼代親水公園はどこにあるのだろう。
引き返し、舎人公園駅で下車。
日暮里のエキナカで購入した弁当を、舎人公園内で食べる。
これが実に、14年ぶりの屋外での食事である(テラス席、ビアガーデンを除く)。
本線から車庫へ向かう急坂を確認し、公園内を一通り探索し、都会へ戻る。
本日の走破をもって、もう足立区のことは考えなくてよい。
そう思うとほっとしたのか、帰宅すると熱が出た。
本日の乗りつぶし
日暮里・舎人ライナー: 日暮里-見沼代親水公園
2016年5月 祝日
その日、僕は根津駅にいた。
千代田線でこの駅を降りるのは慣れたものであるが、大抵は千駄木側の出口を利用する。
しかし、今日は、湯島側の出口を降りる。
根津神社ではつつじ祭りがおこなわれているようだが、それとは逆の湯島方面に歩を進める。
本日ここに来たのは、上野動物園を訪れるためである。
23区完乗を果たすにあたり、上野懸垂線に気づいたのは、偶然だった。
東京都交通局のウェブサイトを確認する必要が生じ、上野動物園のモノレールがサイトに掲載されているのを見かけ、「このモノレールも鉄道扱いなのか」と気づいてしまった。
確かに、モノレールは公道上空を通過しており、動物園の遊戯施設の枠にはとどまらない。
実際、鉄道事業法に基づく交通機関であるようなので(詳しいことは聞かないでほしい)、23区完乗を目指すのであれば、モノレールを外す理由はない、ということに決めた。
さて、上野懸垂線に乗車するためには、上野動物園への入園が必要である。
上野動物編の入園料は、大人600円である。
一方で、上野懸垂線の運賃は、大人150円均一である。
3年前に、「何にでも興味をお持ちのようですが、興味のない分野はあるのですか」と問われ、しばらく考え、「生物」と「宇宙」という答えを出した。
その僕は、「生物」を扱う日本有数の施設である上野動物園に600円を払うのか。
払いたくない。
ところで、上野動物園のウェブサイトによると、年に3回、無料開園日があるとのこと。
それは、開園記念日、みどりの日、そして昼間から電車に乗っている子どもに舌打ちしてしまう、あの都民の日である。
開園記念日である3月20日は、先約があった。
そこで、例年通りどこにも行くことがない春の大型連休のさなかである5月4日に、動物園に出向くことにした。
無料開園日であるため多少の混雑を覚悟していたのだが、朝早くに着いたおかげか、あるいは池之端門であるからか、すんなりと入園することができた。
さすが東京、タダだからと言ってどこにでも顔を出すようなことをしない、洗練された市民が多い。
それにしても、国内最大の動物園に初めて行く理由が、モノレールに乗るためであるとは、数奇な運命である。
せっかくなので、興味はないものの、一通り見学することにする。
キリン、サイ、コビトカバ、アルマジロ、ミーアキャットなどをすらすらと見流し、上野動物園西園駅に到着。
PASMOが使えない、という事実に小さく驚き、自動販売機に150円を入れる。
白色の感熱紙に印刷された、たぶん切符と呼んでいい、食券のようなチケットを受け取る。
2階に上がり、職員に切符を渡し、懸垂式モノレールに乗車。
なお、これが記念すべき初めての「公共交通機関の懸垂式モノレール乗車」であった。
西園駅から、上野動物園東園駅までは、0.3km。
森を抜け、都電が走っていた公道をまたぎ、なかなか楽しいのだが、あっという間の乗車時間である。
子どものころだったら、もう1回乗ることをせがむところだが、自分の財布を支配している大人の僕はそんなことをしない。
やっぱり僕には600円はもったいなかったな、と改めて思う。
東園駅で降り、クマやゾウを見て、ジャイアントパンダを遠目で眺める。
なお、これが記念すべき初めての「ジャイアントパンダ目撃」であった。
お土産に2,400円を払い、10時45分に園を出る。
この時刻になると、パンダを見るための列ができていた。
園内は多少の混雑はしてきたものの、身動きが取れないほどではなかった。
それよりも、東京都美術館の伊藤若冲展に並ぶ長い行列があり、入場まで100分かかるとのこと。
その他の美術館、博物館にも列ができており、上野駅公園口からは人が途切れなくあふれて出ていた。
行けるところがないからと言っても、大型連休中に上野のミュージアムに行くことは避けるべき、という知見を得て、午前中に上野駅を旅立った。
本日の乗りつぶし
上野懸垂線: 上野動物園東園-上野動物園西園。
2016年5月 土曜
その日、僕は品川駅にいた。
来る機会の少ない駅をせっかく訪れたのだから、駅の中を見て回ることにする。
ecute品川の奥にオープンテラスがあることを知った。
ecute品川サウスで帰省専用弁当である「叙々苑弁当」が売られていることを確認し、東海道新幹線への通路位置を確認し、次の新幹線での帰省は、品川駅から乗ることにするか、と画策する。
でも、東京駅からでないと、旅の気分が乗らないのも確かである。
京急への連絡口を抜け、駅構内の跨線橋を上る。
僕が進む方向にはエスカレータが設置されておらず、一般的には線路をくぐって向こう側のプラットフォームに向かうものだと知る。
上り電車がやってきたが、品川止まりである。
数分待って、泉岳寺行の電車が来た。
クロスシートの車両で、おそらく下りなら、快特三崎口行にでも仕立てられるのだろう。
以前「城ケ崎の地層の見学」という名目で行った遠足で、昼食の店でビールを頼み、お土産店でトロまんを食べ、後の講義で地層のことを全く覚えていなかったのを教授にとがめられたことがあったが、それはまだ20世紀の話だ。
21世紀であれば、品川駅を出た瞬間に、クロスシートで缶ビールを開けていたことだろう。
車窓から見ることで親しみがあった下り坂を転がり、すぐに泉岳寺駅に到着。
これで、23区内の京急本線の完乗を果たす。
京急で残っているのは、本線の堀ノ内-浦賀と大師線、逗子線。
プラットフォームの端に設置された階段をのぼり、反対側へ回る。
ほどなくして入ってきた、都営浅草線の列車に乗り込む。
高輪台駅の幅広のプラットフォームを確認し、五反田を過ぎ、戸越、中延、馬込と、なじみのない城南地域を通り過ぎていく。
23区完乗を目的とする旅なので避けられないが、地下を通り過ぎていくことには楽しみを感じない。
もっとも、地下区間であっても分岐でもあれば、話は別である。
都営浅草線は、馬込駅までなら乗ったことがある。
大学の入学手続きのために上京した際、宿泊したのが父親の定宿の1つ、馬込駅近くの東京インだった。
東急インでも東横インでもない東京インは、今でも存在している、とスマートフォンを通じて知る。
浅草線の車内では、車窓から地上の風景を確認できない代わりに、無線LANが使える。
西馬込駅に到着。
地下ホームから地上に出るためには、一旦階段を降りる構造になっており、降りた後は、エスカレータを4つ乗り継ぐ。
利用客が他に全くおらず、監視カメラからの視線を感じ、薄気味悪い。
地上に出ると、空がよく晴れていた。
この時期の気候が、最も過ごしやすい。
長く続けばいいのだが、行楽の計画を立てているうちに、すぐに梅雨を迎えてしまう。
第二京浜を、横浜方面に向かって歩く。
近隣の小学校では運動会が行われていた。
「大田区立」となっている小学校の看板を見て初めて、自分が大田区にいる事実を認識する。
本当に、この辺りにはなじみがない。
やがて、左手に馬込車両検修場が見えてきた。
車両基地をまたぐ形で「どどめき橋」という陸橋があったので、ありがたく上らせていただく。
特に見るべきポイントはわからず、反対側の台地にわたる。
車両基地沿いの細い道を下り、再び第二京浜に合流。
浅草線の高架が途切れている場所へと至った。
川崎方面をうかがう浅草線の野望をマクドナルドが阻んでいるように見えるが、実際は地下から車両基地へ到達するための策であるようだ。
西馬込駅の連絡通路がプラットフォームより低い位置にあるのも、車両基地へ上るための勾配を稼ぐため、と文献にあるが、事実は知らない。
第二京浜を左に折れ、路地に入る。
住宅地と小さな工場、そして連続する寺。
これぞ大田区である。
これから、池上本門寺に初めての訪問する。
正門をくぐり、急な階段をのぼり、仁王門をくぐり、本堂に至る。
自分の家が何宗なのか、今もよく把握していないのだが、日蓮宗でないことだけは確かなので、賽銭など失礼なことをせず、黙礼にとどめる。
母方の実家は真言宗であり、祖父がよく高野山へ参っていたのだが、その高野山を訪れる前に、僕は池上本門寺へときてしまった。
BONNIE PINKのライブがあった時ですら、池上本門寺へ行くのを控えたのに、祖父不孝な孫である。
下りは、緩やかな勾配の階段を選ぶ。
門前町の、何とも評しがたい雰囲気の通りを抜け、呑川沿いに空き、大城通りに折れる。
未踏の地をふわふわと歩く。
長くまっすぐな道を抜け、蒲田駅に出る。
GRANDUOにあるつけ麺屋の評判を盗み聞きしたことを記憶していたので、そこで遅めの昼食。
東急プラザを抜け、東急蒲田駅の改札を通過する。
多摩川線には以前乗ったことがあるため、今回は池上線で五反田を目指す。
思うに、両端の駅が他線と接続している23区内の路線で、東武亀戸線と東急池上線ほど乗る機会がない路線もないように思う。
京王井の頭線なら、渋谷と吉祥寺を結び、下北沢もあるため、利用する機会は多い。
池上線も、渋谷-川崎を結んでいれば事情は違っていたかもしれない。
井の頭公園の代わりを洗足池が務めていると言えるのかもしれないが、とにかく城南地域に縁のない僕は、これが初めての利用である。
頭端式のプラットフォームの右側から、少し古めの車両に乗る。
御嶽山駅で富士山をわずかに望み、新幹線の上をまたぐ池上線の不思議に酔う。
旗の台駅で下車。
大井町駅の様子とのちぐはぐ感を確認し、また池上線に乗る。
今度は新しい車両がやってきて、扉上のビジョンでは東急の広告が流れていた。
なんでも、家の玄関をスマートフォンで遠隔施錠できるそうだ。
おお、イッツスマート。
なじみのかけらも感じない駅を通り過ぎ、東急五反田駅に到着。
4階の改札から時間をかけて下り、地上にたどり着くと、そこは東急ストアの中。
せっかくだから、目黒川沿いを歩くことにする。
この界隈を歩くのも初めてで、「ここにあるのかイマジカ」と感嘆し、高層マンション群に気分を悪くする。
先ほど歩いた呑川沿いとの対称的な風景がえげつない。
大崎駅に到着。
品川駅を出てから5時間の、結構な長旅となった。
山手線のプラットフォームへ降りるエスカレータから、空港へ向かう成田エクスプレスを目撃する。
あれは、大崎駅手前からりんかい線や湘南新宿ラインの線路とは別の線路を通り、大崎駅の先で品鶴線と合流し、品川へと向かうのだな…。
「おお、これはまずいことになった」と、あることに気づいた僕はひとり狼狽した。
本日の乗りつぶし
京急本線: 泉岳寺-品川
都営地下鉄浅草線: 西馬込-馬込
東急池上線: 五反田-蒲田
2016年5月 土曜
その日、僕は両国ジャンクションにいた。
前回気づいた「懸念」については、対応策を後日改めて考えることにする。
先日、「都区内全駅ガイド」という、この企画にはうってつけのウェブサイトを発見した。
これを見て、取りこぼしがないことを確認していきたい。
本日は、高速バスで羽田空港を目指す。
このバス路線には何度か乗ったが、通常であれば、中央環状線を通る。
向島線を通るルートは、今回で2度目である。
こちらの方が隅田川沿いの景色を楽しめるので、好きだ。
それでも、両国ジャンクションで2車線から1車線へと減少することが、いつまでたっても許せない。
バスは、深川線へと入る。
こんなにも曲がりくねるものか、と体を揺さぶられ、ほうほうの体で有明へ抜ける。
湾岸線に心躍り、東京港トンネルの建設具合を、今回はしっかり確認。
大井の車両基地を確認し、羽田のトンネルを抜け、第1ターミナルで下車。
ターミナルは、少し混んでいるようだ。
前日の航空機トラブルの影響をまだ引きずっている模様。
第1ターミナルの出発ロビーが、以前の記憶と比べ雰囲気が違うのをみると、おそらく2010年以来の訪問のようである。
地下に降りて、連絡通路を抜け、第2ターミナルへ向かう。
この連絡通路もやけに年季が入ったものように見受けられる。
第2ターミナルの5階に上がり、展望デッキへと出る。
正面は北向きで、東京湾を外側から眺めている格好となる。
レストランでビールとつまみをたしなむ。
再び地下に降り、これから東京モノレールに乗る。
最後に東京モノレールに乗ったのはいつだったか、記憶をたどる。
京急空港線が羽田空港のターミナルビルに乗り入れたのが、1998年。
それ以降、羽田空港には京急か高速バスで来ているから、最後に乗ったのは1998年より前だ。
そうなると、実に19年ぶりとなる。
新しい車両のにおいがする10000形に乗車。
羽田空港第1ビルに着き、これで東京モノレールの完乗は達成とする。
そのまま羽田空港国際線ビル駅まで乗車。
国際線ターミナルを訪れるのは初めて。
駅に設置されたラジオブースを冷やかし、ターミナルビルへと入り、また展望デッキ。
遠くに大韓航空機が見えるが、それが前日の事故機のようには見えなかった。
ターミナルビルはこじんまりとしていて、好感の持てる造りとなっていた。
多様な客で混雑していて、オペレーションが大変そうなモスバーガーでコーヒーを飲み、高速バスで帰宅。
なお、東京モノレールは羽田空港国際線ビル駅新設の際、路線を付け替えた。
付け替え後の天空橋-国際線ビル間は、厳密には未乗となるが、もういいや。
本日の乗りつぶし
東京モノレール羽田線: 羽田空港第1ビル-羽田空港第2ビル
2016年6月 月曜
その日、僕は新宿駅にいた。
先日大崎駅で思い至った「懸念」を晴らすのが、今日の目的である。
僕は、埼京線、りんかい線、湘南新宿ラインに乗ることで、山手貨物線の完乗を果たしたものと考えていた。
しかし、大崎駅の手前から分岐し、大崎駅構内のプラットフォームのない線路を通過し、品川方面へ向かう路線も山手貨物線であり、その区間を乗車したことはなかった。
一般に、完乗では貨物線を対象としないことが多い。
ただ、定期運行している列車がある区間を外すのは、何か気持ち悪いところがある。
今回の23区完乗では、この区間も乗ることにしようと決めた。
さて、この区間を定期運行している列車とは、成田エクスプレスだけである。
しかも悪いことに、成田エクスプレスに乗るには、A特急料金の指定席特急券が必要である。
たとえば、新宿-東京間だけ乗るにしても、運賃のほかに1,270円の料金が必要である。
いろいろ考えた結果、次のような策で臨むことにした。
まず、閑散期である6月の平日(月-木)に利用することで、特急料金が200円引きとなる。
さらに、えきねっとのチケットレス割引を利用すれば、さらに200円引きとなる。
成田空港まで乗ってみたいのだが、閑散期となる平日だと時間が限られているので、利用区間は新宿-東京間にせざるを得なかったのだが、これが考え着く最善の策である。
チケットレス割引のためには、携帯電話のキャリアメールアドレスが必要で、そろそろ解約しようかと思っていた携帯電話がここで最後の活躍を見せることとなった。
以上のようなばかばかしいもがきを経て、僕は新宿駅にいるのだった。
成田エクスプレスも、新宿駅5・6番線ホームから乗車するのも、これが初めてである。
プラットフォーム上には、なぜか売店がない。
新南口に上がるものの、なぜかNEWDAYSがない。
代わりに酒屋があったので、そこで缶ビールを購入。
早々に缶ビールを開けてまもなく、新宿駅を出発。
事前の張り紙にもあったが、車内販売もしていない。
3号車3番A席、という指定席のチケットで新宿から東京へ向かうのも、仰々しい。
車内のモニタは4か国語表示で、ときおりSuicaの使い方が説明される。
渋谷を出てから、車掌が回ってくる。
座席未指定券の乗客を、車掌はどのようにチェックするのだろうか。
大崎駅を通過し、横須賀線との合流地点の手前で停止。
横須賀線で急病の乗客がいたためとか。
普段から、このデルタ地帯に列車を退避させて、運行調整をしているのだろうか。
めったに通らない場所なので、この場所に神戸製鋼があることを初めて知る。
品川駅を通過し、地下へと下り、新橋駅を通過。
横須賀線にはほとんど乗らないので、この辺りを地下で通過するという感覚に慣れない。
東京駅を手前にして、列車は停止。
ゆるゆると動き、先行列車と連結。
東京駅で下車。
ここから総武快速線に乗る。
こんな深いところまで降りて、こんなに混む列車に乗って家に帰ることにも、人は慣れてしまうものなのだろう。
9年ぶりに、錦糸町で降りる。
E217系といい、駅舎と言い、総武線には古臭さを覚える。
錦糸町は、訪れる機会のない僕にとっては想像以上に大きな街であった。
今回の乗車が、最初で最後のN'EXになるような気がしてならない。
どうしても東京から池袋まで座っていきたいようなときには、お勧めしたい。
本日の乗りつぶし
山手貨物線: 品川-大崎
2016年6月 土曜
この日、僕は有楽町駅にいた。
京橋口を出る。
およそ親切とは言い難い有楽町線への誘導案内に従う。
そのくせ、東京駅の京葉線への動線はやけに詳しく説明されている。
そこそこの距離を歩いて、乗り場に到着。
10000系に乗車し、有楽町線色のような座席に腰を下す。
車両が登場した時の新鮮さは、ついぞ影をひそめたしまったように見える。
桜田門駅を出たところで連絡線への分岐を目にした以外、特に気づくポイントもなく、池袋駅に到着。
副都心線の乗り場まで、455mとある。
池袋は地下街というイメージがあり、どうもどこにいるのか見当がつかない。
通路の真ん中に現れる、地下鉄への入り口を囲う改札が、島のように見えて好きである。
副都心線では、黄色い電車に乗車。
急行だからか、早い時刻なのだが、混雑している。
ヒカリエの広告を担う特別車両である。
食欲のない朝にしては、重いレストラン街の広告である。
新宿三丁目で下車し、丸ノ内線へと乗り換える。
確か改札の位置が変わったはずなのだが、今となっては気づくことはなかった。
本日の乗りつぶし
東京メトロ有楽町線: 江戸川橋-有楽町
2016年7月 土曜
ふとした気まぐれで、尾久駅を通過しようと思い立つ。
上野から宇都宮線に乗り、赤羽を目指す。
通過したことがあるような記憶もあるが、あまり記憶になかったようで、「こんなところを通るのか」の連続。
赤羽で改札外に出るのは、これが初めて。
高架下をフル活用しているビーンズ赤羽には、なんだか感心してしまった。
本日の乗りつぶし
東北本線: 上野-尾久-赤羽
2016年8月 土曜
その日、僕は四ツ谷駅にいた。
南北線ホームへと続く長い階段を下る。
いつまでも6両編成のままなのに、「この付近には列車は止まりません」の場所で列車を待ってしまう。
クロスシートの車両に乗るのも、これで最後かも。
王子神谷には、アパートの内覧で一度訪れたことがある。
大学の学生課で案内された物件で、まだ人が住んでいるのに中を見せていただいて、裏にはスーパーがあった。
「何を好んで、川に挟まれた土地に住む必要がある」という土木エンジニアらしい判断で、その物件は見送った。
赤羽岩淵から、埼玉高速鉄道である。
荒川をトンネルでくぐるのは、これが初めての経験。
埼玉高速鉄道はナンバリングがされていないのだな、と考えながら、地上がどうなっているのか想像もつかない、鳩ケ谷、新井宿、戸塚安行を潜行する。
そういえば、鳩ケ谷市はすでに消滅したのだった。
東川口でようやく、ステーションカラーが導入されていることに気づく。
そのまま地上に出て、浦和美園。
駅前の公共施設のトイレで用を足す。
トイレットペーパーにマジック「みその」と書いてあるのは、おそらく所有者が歌手であるのだろう。
スタジアムまでの歩行者専用道を望み、郡山やら、釜石やらに行く高速バス乗り場を確認する。
よく理解できないのだが、バス利用者はここでバスを降り、サッカー観戦に興じたり、埼玉高速鉄道で都心を目指したりするのだろうか。
西口のバス乗り場から、路線バスに乗る。
国際興業の美01系統で、浦和駅東口行。
この辺の地理にも疎く、後で調べると新見沼大橋を経由したらしい。
「浦和大学なんて、本当にあるんだー」と、誰に聞かれてもまずい独り言を心の中でつぶやき、東北自動車道とクロスし、芝川を越え、「射撃場」というなの電柱の脇を抜ける。
浦和駅に近づくとともに、道路混雑がひどくなる。
駅付近は道が細く、込み入っている。
そこそこの時間をかけて、浦和駅東口に到着。
浦和駅の訪問は、これが初めてである。
ニッチェのコントでおなじみ、浦和パルコを冷やかし、西口側にわたる。
もちろん、東口と西口との高低差は気になり、浦和宿のはずれの大地のヘリに鉄道駅が設置されたことを後で知る。
雨の中、傘も差さずにナンボのモンじゃい、夏雨じゃ、ぬれてまいろう、このスーツ、と強がりを出し、西口の百貨店を冷やかし、高架下のTSUTAYAに毒づく。
浦和から赤羽まで、東北貨物線の線路で移動する。
赤羽でいったん出場し、また入場したうえで、駅ナカでつけ麺を食べる。
再び東北貨物線に乗り、赤羽から大宮まで移動する。
これでルールは守ったでしょ。
本日の乗りつぶし
東京メトロ南北線: 四ツ谷-飯田橋、王子神谷-赤羽岩淵。
埼玉高速鉄道線: 赤羽岩淵-川口元郷。
東北貨物線: 赤羽-浦和。
2016年10月 土曜
その日、僕は、代々木駅にいた。
2016年、代々木、原宿、恵比寿は110周年を迎え、周年記念のスタンプラリーが実施されている。
改札横の駅員に声をかけ、台紙をいただき、西口でスタンプを押す。
階段を下り、大江戸線に乗り込む。
都庁前駅に到着。
環状線移動を重視することはできなかったか、と改めて考える。
環状線を意識して乗り換えの便を取るのなら、内回りと外回りをねじればいいのだが、そこまでする必要があったのか。
もともと、光が丘方面から輸送する必要があったのだろうか、と不穏なことを考え出す(後に、その考えが誤りであることに気づく)。
東中野から先が、未乗区間。
落合南長崎を通過し、落合の地名の広さを思い知る。
「えこだ」と思い込んでいたが、新江古田については「えごた」であることを知る。
練馬春日町はおそらく、春日駅との駅名重複を避けるためであろう。
光が丘に到着。
初訪問の地を歩く。
団地が並ぶ中、中央に清掃工場がそびえる。
焼却炉の熱を活用し周辺地域に熱供給を行っている、とのこと。
公園までの遊歩道を往復したが、若い人もそれなりに多く、寂しい感じはしない。
光が丘IMAであれば、何でもそろうような気がした。
大江戸線がないころ、この場所の住民はどのように移動していたのだろうか。
そうはいっても、1991年には練馬まで12号線が開通していたのだから、不便だった時期は遠い昔か。
六本木、新橋方面に通勤客を輸送する、という重要な使命を果たすべく、大江戸線の経路があることを理解する。
現在の、六本木の経済集積は、かなり誘導が働いているのではないだろうか。
最近、中央線から六本木方面に向かう不便さが気がかり。
せっかくなので、路線バスで地上を移動することにする。
「池袋行」という野心的な路線もあるのだが、僕の目標は西武池袋線である。
練馬高野台駅を通過する西武バスがあったので、発車時刻まで20分ほど待つ。
バスがどこを走っているのかよくわからないまま進み、笹目通りをたどって、練馬高野台駅に到着。
駅前にブックオフがあったので、文庫本を3冊買う。
プラットフォームに上がり、この辺りが複々線だったことを思い出す。
西武有楽町線に流れるとしても、さほど長くない複々線区間でどの程度の輸送力増強効果がもたらされているのだろう。
各駅停車に乗り、中村橋の逆立体の様子を想像し、練馬駅に到着。
西武有楽町線に乗り、地下区間を通過し、小竹向原駅に到着。
運賃計算がここで切れるため、小竹向原駅でいったん出場する。
住宅地の中に開いた出口から地上に出てしまったようで、どこだか見当がつかない。
とりあえず池袋方面と思われる方向に延びる遊歩道があったので、反対側の改札がある出口を目指す。
車が走る音がするのだが、車の姿は見えない。
途中に小学校があり、ピアノの音とともに「ありがとう、ありがとう」という子供たちの声が聞こえてきて、その後拍手が巻き起こる。
体育館で何か出し物がやられているようだが、土曜にごくろうさまである。
このようなことをやらせて、少なくとも僕にはなにも役に立っていないと思う。
ピタゴラスの定理のバリエーションを理解する時間に使う方が、後によほど役に立つと思うのだが。
やや下っている道を進むと、小竹向原駅の池袋側の出口に到達。
トンネルに挟まれた道路が突然現れる。
小竹トンネルと向原トンネルに挟まれた駅上は、駅前らしい発展がみられない。
これが、その複雑さで世界にも名だたる小竹向原駅の実情か。
降りてみないとわからないものだ。
東京メトロ有楽町線に乗り、今だったら、メトロ赤塚、メトロ成増でいいのにと思いつつ、一旦高架に上がり、また地上に戻るという、理解からはほど遠い構造を経て、和光市駅で下車。
駅周辺を一回りしたが、高島平方面に向かうバスはなさそうで、歩いて都県境を超える決意を固める。
これぞ、ローカル路線バス乗り継ぎの旅における試練である。
外環を越え、再びの笹目通りを左折、車通りが多く歩道の狭い道を歩く。
他に歩いている人はいない。
ドン・キホーテがあり、武蔵野台地のヘリに目を見張る。
車のパーツを売る店や、廃棄物を受け入れる店があり、こんな場所に住む人生を送らなかった幸運に感謝する。
ようやく、マンションに「西高島平」とあるのを確認するが、西高島平駅まではまだ距離がある。
西高島平のどこに、人を引く力があると思ったのだろうか。
白子川を越え、新大宮バイパスを歩道橋で越えたところに、西高島平駅があった。
駅前にはコンビニもない。
駅はこの時間、1番線のみの利用であり、構内は照明が暗く、乗客もまばらである。
23区完乗も終盤にして、23区内の秘境駅を訪れるという、一番のクライマックスを迎えたようだ。
早く、都会に戻りたい。
人工地盤の西台住宅を見、志村付近の曲がりくねった路線に揺られ、地下へと入るころにはすっかり飽きてしまった。
それでも、都会は遠く、水道橋に到着したころ、地上は真っ暗だった。
中央・総武緩行線の車内で「わたしと宇宙展」の広告を見る。
主催は創価学会、後援は千葉県内の民間マスメディアがそろっているものの、読売新聞社が入っていない。
渡部潤一の名があり、「こんな字だったかな」と困惑し、人物を大きく勘違いしていることに気づく。
この疲れ具合だったら、フラッと訪れてしまうかもしれない。
千葉展の直前が北九州で開催されていることにも、因果を感じるではないか。
ああ、現世利益。
本日をもって、これで、西武、東京メトロ、都営地下鉄の完乗を果たした。
残りは1社のみである。
本日の乗りつぶし
都営地下鉄大江戸線: 東中野-光が丘
西武有楽町線: 練馬-小竹向原
東京メトロ有楽町腺: 和光市-小竹向原
都営地下鉄三田線: 新高島平-西高島平
2016年11月 土曜
その日、僕は大井町駅にいた。
西口を出ると、目の前には大井町線の頭端式ホームが広がっている。
大井町線は、6両編成が急行、5両編成が各駅停車と、種別によって使用される列車が異なる。
各駅停車に乗り込み、出発。
JRの車両基地のそばには、くたびれた様子の団地がある。
下神明からは、横須賀線から新宿を目指す湘南新宿ライン分岐する様子が見えた。
自由が丘では、ダースベイダーの登場時に使われる音楽が、発車メロディとして流れる。
九品仏では、僕が乗っている車両がドアカットされ、静かな停車に心地よさを味わう。
等々力では、改札から走ってきた高齢女性が乗り込む前に、列車の扉を閉めてしまった。
本数の多い大井町線では、これが日常なのだろう。
上野毛駅の人工地盤を眺めていると、田園都市線が運行取りやめ、という車内アナウンスが入る。
加えて、東急アプリで迂回経路を探してくれ、という。
路線が絡み合う、東急ならではのサービスである。
偶然にも東急アプリをタブレットにインストールしていたので、早速、二子玉川から三軒茶屋までの迂回経路を検索する。
二子玉川-溝ノ口-登戸-豪徳寺(山下)-三軒茶屋という経路が出た。
てっきり、東急バスによる迂回経路が案内されると思ったのだが。
やがて、列車は二子玉川に到着。
初訪問となる、二子玉川を散策。
この整いぶりは、光が丘IMAを彷彿させるものがある。
堤防の外にマンションが建っていたり、店の佇まいと価格の高さが釣り合わない飲食店があったりして、「ここまでして虚勢を張らないと、この街には住めないか」と同情する。
それにしても、田園都市線は復旧しない。
仕方がないので蔦屋家電でもひやかす。
天井装飾の本があって、しばらく読み込む。
腹も減ってきて、二子玉川の軍門に下るか、と思っていた矢先に、間もなく復旧の知らせ。
込み合う駅構内をすり抜け、ようやく動きだした電車で三軒茶屋を目指す。
キャロットタワーに上るものの、窓際のソファを独占する気品のある住民が微動だにせず、世田谷区民めと悪態をつく。
タワー下のラーメン屋の仰々しいうたい文句につられ、食事。
旅の最後の食事は、特筆すべきことのないものであった。
世田谷線に乗る。
若林踏切をスムーズに通過し、上町の車庫を眺め、などしているうちに、左にカーブし下高井戸駅に到着。
23区完乗の最後をあっけなく迎える。
せっかくなので、下高井戸駅周辺を散策。
新宿からさほど距離もないのに、この牧歌的な雰囲気は何なのだろう。
僕が上京した時に西荻窪でつい漏らした感想、つまり「田川の商店街じゃないんだから」という、「三四郎」の主人公的な感覚に襲われる。
「旅の最後が杉並区か」と落胆したものの、後で下高井戸駅という名とは異なり、世田谷区内にあることを知る。
線路上に捻出した人工地盤を通過し、京王線の上りホームへと降りると、各駅停車が到着。
京王線には発車メロディがないことを忘れており、まごまごしていたら乗り遅れるところであった。
下り方面に伸びる線路の先に目が行く。
まだ乗っていない路線が待っているが、どうしたものかな。
新宿までおよそ15分程度。
土曜の雑踏に紛れつつ、やっぱり最初から想定していた通り、人生の目的を達成しても何の感慨もわかないものだな、と感じる。
本日の乗りつぶし
東急大井町線: 大井町-二子玉川
東急世田谷線: 三軒茶屋-下高井戸
感想
そもそも思い付きで始めた企画だったが、やってみるとそれなりに大変で、達成には、当初の予定通り年の終わりまでかかった。
実に17日も稼働しており、他にやることがなかったものか、と改めて暇を嘆く。
東京での生活を約20年続けていても、いわゆる「盲腸線」の終着駅や、西武有楽町線のような「連絡線」に取りこぼしがあった。
宮脇俊三が描いていた通り、取りこぼしを回収するために、端の方まで出向く手間が多くかかった。
そして、東京23区内といえども、鉄道が通っているとはいえども、訪れたことのない地というのが多くあったのだと、改めて知った。
東京は広く、自分の行動は小さい。
特に城南地域、東急沿線には僕は縁遠いことも、実感した。
僕の人生は、甲州街道も246も越えられずに、終わりを迎えるのだろう。
明治通りの中には入ったが、北区に接する西日暮里止まりだし。
湾岸の闇、足立区の住みやすさ、方南町へのあこがれ、といった新たな気づきも得られた。
新交通システムがもたらす緊張感に、僕はいつまでも慣れそうにない。