曇天の続き

2025-08-09 Sat.

大喜

2025-08-09

税理士試験を受けてきた。

試験会場は、東京靴流通センター。
8時45分に着席するよう指示されており、いつもより早い時刻に自宅を出発。
浜松町駅に到着。
駅構内のうどん屋で朝食。
会場のトイレは超混雑するらしいので、ここ浜松町駅で便意も希望も捨て去る。

東京モノレールの乗り場へ向かう。
いつ工事が終わるのだろうか、工事が終わったとて、使いやすい駅になるのだろうか。
乗り場はほどよく嫌になるくらいに混んでいる。
1本やり過ごして、次の列車に乗り、座る。
居心地が悪い。

靴流通センター駅に到着。
大勢の受験生の列に並び、行進。
やはりトイレは混んでいた。

今回受ける試験は、簿記論のみ2時間。
実はノー勉強で試験に臨んだ。
忙しいのもあったけど、本気で取り組もうともしていない。
1年に1度、簿記の問題に立ち向かうために受けているのだ。
大問3問あるうちの第1問に取り組むだけで、2時間の試験時間が終了。
わからないところだらけで、半分くらいしか答えられなかった。
爽快である。

試験を終えて、周辺をほっつき歩く。
散歩には全くふさわしくない環境である。
首都高と海岸通りをくぐり、曲がった先に公園がある。
自転車で来たらしい人々が、上半身裸でベンチの上に寝そべっている。
まるでここはヨーロッパのようだ。

「大森 海苔のふるさと館」を見学。
この辺の小学生はきっと、海苔について学習させられているのだろう。
海苔を作っている夫婦の再現展示があって、「今日はたくさん作るぞー」みたいな音声が流れる。
商品を作ることに楽しみを覚えるとは、マーケティング的には落第と言える。

公園が細長く続いている。
先ほどの展示であった航空写真から推定するに、おそらく平和島との間にあった運河を埋め立てて公園にしたのだろう。
公園内は誰も歩いておらず、熱波ともいえる日差しの下、頭が痛い。
平和である。

道を渡ると、ボートレース場。
これが、「BIGFUN平和島」か。
ここまで来たので、今日はシネマサンシャインで映画を見ようと試みたが、見たい映画がなかったので、やめた。
奥の方に劇場があるらしい。
天然温泉もあるから大衆演劇でもやっているのか…、と行ってみたら、「劇場」の名のついた舟券売り場だった。
ドン・キホーテもあるBIGFUNには、夏休み中の小学生を連れた家族も多い。
暑いからな。
浜松町駅で捨て去った便意が戻ってきて、トイレの中でドン・キホーテの歌を改めてじっくり聞く羽目になった。

町中華で、昼食。
思うに、町中華でうまい店にあたるのは難しい。
こちらの期待値が高いのだろうか。
そもそも油っぽい店が苦手で、自分が町中華に行く資格がないのではないかと思う。

駅まで歩くと、商店街。
昼なので人通りは少ないが、夜になったら盛り上がっていそうだ。
これが、乗り換えのない単独駅では国内一、もしかしたら世界一の乗降客数ではないかと言われる、大森駅周辺である。
前回来たときは山王側を歩いたので、こちら側の風景は新鮮。
情けないことに、キネカ大森にも行ったことがない。

家に帰ったら頭が痛くて、横になる。
そのまま眠ってしまい、1時間ほどで目覚めたものの、まだ穴にはまったように眠気に押さえつけられる。
夏の暑さにやられて昼寝をすると、ものすごく深い眠りに陥るような気がする。
高校生の頃、夏休みの昼に学校の授業から帰ってきて(夏休みに授業があるのは置いておくとして)、あまりの眠気に気絶気味に眠ってしまったことがある。
目が覚めると、つけっぱなしのTVに、野球の応援に行っていた同級生が映っていた。
同級生の多くは、夏休み中の課外授業を終えた後、バスに乗って予選に出た野球部の応援に行っていたのだった。
試合は負けで終わった。

さて、税理士試験も終わったことだし、ここから3か月、行政書士試験の勉強に取り組もう。
今回こそ合格する。
そのための戦略を立て、学習の時間を捻出しよう。
終わらせたい。

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2025-08-02 Sat.

粒揃

2025-08-02

先日、TVで「男はつらいよ 幸せの青い鳥」をやっていた。

寅さんの中でも、この映画は見ている回数が多い。

理由はいくつかあって、まず出川さんが出てくるからである。
今回の放送日は、BSで「寅さん」、地上波で「充電旅」をやっていて、結局どっちのチャネルにも出ている出川哲朗の到達点に驚く。
映画の最後には、有森也実とエド・はるみが出てくる。

次に、舞台が筑豊であるからである。
最初に萩が出てきて、次に赤間神宮、関門航路の乗り場で不破万作さんが出てきて、飯塚の嘉穂劇場、炭坑住宅、そして田川伊田駅。
懐かしく思う。

また、画家を目指す男と婚約するものの、結婚することで生活のために画家の夢をあきらめるのではないかと悩む姿も、まあ山田洋次らしいが、共感を覚える。
幸せの在り方について、考える。

ところで、田川伊田駅の駅前の風景は、子供のころに確かに見ていたもので、本当に懐かしい。
昨年田川伊田駅に行ったが、この映画に出ている風景はもう何1つ残っていないように思えた。
ただただ、往時をしのぶことができる広大な駅構内だけが、変わらない。

駅前に甘栗屋があった。
「確かに田川伊田駅の駅前で、甘栗を買ってもらったはずなのにな」という記憶に自信がなくなっても、この映画を見返せば安心することができる。

僕が子供のころにはたくさんあった甘栗屋。
今はほとんどなくなってしまった。

そして、恐れていたことが現実になる。
ついに東京にある甘栗屋も閉業してしまった。
前回の訪問から時間が空いてしまい、久しぶりに店先を通ったら、すでにシャッターが閉まっていた。
この店舗だけでなく、会社自体が閉業するようである。
事前に閉業を予告していたようだが、全く知らなかったので、再訪することもかなわなかった。
知っていたら、ぜひともこれまでの感謝を伝えたかった。

甘栗がこんなにも入手しづらいものになってしまうとは。
何が悪いのか、まったくわからない。
スーパーで売っている、すでに殻が剥いてある甘栗のパックは、およそ甘栗とは言えない。
甘栗のない人生など、何の楽しみもない、これは決して大げさな表現ではない。

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2025-07-27 Sun.

橙評

2025-07-27

先週、選挙に一票を投じてきた。

12年ぶりに投票所に行った。
と言っても、記憶している限り、選挙権を得てからすべての選挙に投票してきた。
ここ数年は、便利な場所に期日前投票会場が設けられたので、そこで投票してきた。

徒歩10分距離の投票所は、車で来ている有権者も多い。
列に並ぶと係員が「整理券を手元に用意してください」と呼びかけてくる。
すでにポケットの中で整理券を握りしめているのだが、そういうのは通用しないだろう。
こうやっていろいろと話しかけられるのが嫌で、投票所に行くのが憂鬱になる。
こないだの免許試験場といい、多様な人が集う場所は、係員が親切というか指導が多いというか、まあ仕方ないと思う。

投票を済ませて駐車場を通ると、入り口を大きな車がふさぎ、駐車場を出ようとする車が何度も切り返しをしている。
入り口の車が少し下がればいいものの、一向に動かない。
きっと、今回の投票率は高いのだろう、とその時思った。

公園のベンチに座り、Kindleで電子書籍を読む。
暑いのだが、日の当たる場所に少しはいないと、体がもたない気がするのだ。
15分ほど座っていると、足首あたりがチクチクするのに気付き、見るとアリが脚を這い上がっていた。

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2025-07-20 Sun.

画描

2025-07-20

眠れない。

以前は、寝つきが悪かった。
今は、比較的寝つきがいい。
夜、目をつぶれば、すぐに眠りに落ちる。

その代わりに、短い時間で目が覚める。
夜中に目覚めない日は、めったにない。
おおよそ2時ごろには目が覚める。
下手したら、「よく寝た」と思って時計を見るとまだ0時前で、嫌になる。

目が覚めると、しばらく眠れない。
感覚だと、1時間から2時間ほどは眠れない。
起きて本を読むのもありだが、起き上がるのは面倒でやらない。
寝床で音楽やラジオを聴くこともあるが、頭が余計にさえてきて、眠りが遠ざかる。

朝まで眠れないということはなく、どこかの時点では再び眠っている。
断続的な睡眠となり、明け方には嫌な夢も見る。
夢のほとんどは、居場所がないか、罵倒しているかだ。

眠れなくて困っている、と悩むほどでもない。
昼間に眠気が訪れることについては、対処が必要となる。
昼食後は目を閉じるのが習慣となっていて、いつも15分くらい眠っている。
業務中でも資料を読むと眠くなってしまうことがあり、その場合は5分ほど記憶がない時間がある。
眠ってしまえば頭がすっきりしているので、業務を進めるにはむしろ眠った方がいい。

このところ深夜の中途覚醒が続いていて、しかも症状がよくなく、3時間か4時間くらい眠れない時もある。
そのせいだろうか、頭が痛くなることもあり、仕事にも支障が出ている。
自分の仕事では、論理と計算量ばかりを考える。
眠いと、考えがうまく進まない。
高校生のころ、「FNSの日」の放送の最中に業者テストがあって、深夜まで見ていた次の日の数学の試験結果は無残なものだった。
そんなことを、今この歳になっても続けている。

あまりに頭が痛く、仕事を終わらせて、午後に休みをもらうことにした。
久しぶりの半日休だ。
以前より、休暇の取り方について研究を進めていて、理想的な「週末の過ごし方」「1週間ほどの休暇の過ごし方」「平日に休暇を取った場合の過ごし方」などをまとめつつある。
ただ、半日休についてはまだ考えが進んでいない。

ひとまず、百貨店に行った。
以前から、靴と財布の買い替えを考えている。
靴は、職場にも履いていけるカジュアルなレザーシューズを探している。
デザインと機能性と耐久性を併せ持ったものが見つからず、今回もダメだった。
財布は、具体的に決めておらず、とりあえず「現代的なシステムに改めたい」という考えがある。
「現代的なシステム」とは、要するに「現金支払いほとんどしない状況」に対応する、ということだ。
今持っている二つ折りの財布は、とても気に入っているのだが、小銭入れがあってかさばる。
今月は、小銭を使った支払いは2回しかしていない。
小銭入れの存在でズボンのポケットを膨らませる状況が許せなくなった。
よって、コインケースは別持ちにして、紙幣とカードのみが収納できるタイプの財布を検討している。
ついでに、モバイルSuicaにしてパスケースを使う機会がなくなったので、パスケースの中にあるカード類の収納も考え直したい。
ただ、今の状況でもそれほど困ってはいないので、時間をかけて気に入った財布を探している。
鞄の中に財布を入れるシステムでもいいのだが、僕は忘れものが多いので、財布は身に着けて持ち歩くようにしておきたい。
長財布はジャケットを着ていないといけない。
小銭入れを廃した紙幣とカード入れのみの財布、いわゆる「純札」の二つ折り財布は、その種類が少ない。
そのいくつかの中から気に入るものはまだ見つからず、こちらも今回は見つからなかった。
百貨店の店員と相談するけれど、それらしいものの提案は少なかった。
後は、旅行用のトートバッグが欲しくて、これも少し探した。
ネクタイや靴下の売り場を見て、補充してもよさそうなものを物色した。
結局、何も買わなかった。

そのあと、恵比寿に移動。
少し時間があったので、アトレの中をさまよう。
ここにある本屋は、なんというか「どっしりとした」品ぞろえで、気になる本がいくつかあった。
でも買わない。

恵比寿ガーデンプレイスに向かう。
学生時代、恵比寿、原宿、六本木、赤坂には、縁が一切ない人生だ、と決め込んでいた。
それでも六本木や恵比寿には映画を見に行っていたが、当然だけどいい思い出などない。
ずっと疑問なのだが、人は「いい思い出」など持っているものなのだろうか。
僕の場合、その時点でも「楽しい」と思うことがほとんどない。
もし仮にあったとしても、それが無残な現在とつながっているのだから、「いい思い出」になるはずもない。
「恵比寿」で自分のログに検索をかけると、就職活動で恵比寿に何度か来ていて、ガーデンプレイスにはSAPジャパンの会社説明会で来ていた。
全く覚えていないが、何を思ったかの想像はできる。
きっと、オラクルやHPに行った時に思ったことと同じだろう。
原宿や赤坂は、後にじゃんがらで行くようになった。
たいていの場所には行っているつもりだが、今に至るまで自由が丘に降り立ったことはない。

YEBISU GARDEN CINEMAを訪れる。
前に来たのがいつか覚えていない。
「ルル・オン・ザ・ブリッジ」を見たのが確か恵比寿ガーデンシネマの最初で、記録によると1999年1月21日である。
2011年に恵比寿ガーデンシネマが閉館した時は、「単館系」の終わり、みたいな話題になった。
我らの世代が経験してきたものは、すべて勝手に終わらされる。
それで、いったんK-POPの劇場に代わり、結局映画館に戻った。
YEBISU GARDEN CINEMAになってからは初めて、のはず。
建物の内装はそれほど変わっていないように感じる。
チケットは券売機で買うようになっていて、クレジットカードでタッチ決済した。
この日は木曜で、実はセゾンカードの優待を使ってTOHOシネマズで安く映画を見ようともくろんでいた。
朝の通勤時に調べたところ、優待にはアプリが必要で、アプリのダウンロードはできてもユーザIDがわからずログインできないため、断念した。
だったら、普段は行かない恵比寿で見ることにしよう、と投げやり気味に決めた。
今月はアマゾンのプライムデーで「ゴルゴ13」を107冊買ってしまっており、これで娯楽費の予算は尽きた。
10分前に開場し、観客は10名程度。
映画館は平日の昼に営業しておいても儲かるものだろうか、と25年前から疑問。

映画「ルノワール」。
やはり調子が悪かったようで、河合優実が出ていたシーンはほとんど記憶がない。
西原亜希が出てきたことに、ちょっと驚いた。

見ていて感じたのは、映画「お引越し」との対比である。
鑑賞後に知ったことだが、監督自身の話でも「お引越し」の意識はあったとのこと。
なので、僕が「お引越し」と比較しながら見進めていたのは、必然であった。

それで思ったのは、この映画には子供同士のコミュニティが出てこない。
1人の友達とのエピソードはあるが、子供の社会については描かれなかったように思う。
そして、もう1つ思ったのは、「大人はこんなにも確定しているものか」ということ。
「お引越し」に出てきた大人は、迷いながら、自信なく日々を過ごしていたように思った。
簡単にわかることがあっても、それを選べないのが大人のようであった。
一方で、「ルノワール」の大人は、実現はできていないものの、したいことを確定できているように見えた。
大人はそんなにも「決まっている」ものなのだろうか。

1999年に「ルル・オン・ザ・ブリッジ」を見た後のことは少し記憶にある。
ログによると、見たのは夜の回だ。
晴れた夜の寒空の下、映画のことを思い返し、生きるとは、全然たどり着かないし、あきらめばかりなのだ、と思った。
そのあと、明治通り沿いの店でラーメンを食べ、渋谷まで歩いたようだが、そのことは全く覚えていない。

2025年に「ルノワール」を見た後、ガーデンプレイスの店を見ながら考える。
自分は、映画で見たように「確定」させているだろうか。
決まった日常を送るようにはしていて、その程度は一般よりも強いと思う。
それは、目的が見えているからではなく、むやみに手を広げることをせず、面倒なことに巻き込まれたくないからである。
明治屋で買い物をしないのは、明治屋にとらわれたくないからである。
したいことがない一方で、厄介なことにしたくないことはたくさんある。
時間だけはあるので、それをつまらないことで埋められないように、決まったことをして守っているに過ぎない。

思い返すと「賭ける」ということをしない。
得たいものを決め、そのために行動する、という感覚になったことがほとんどない。
安全を選んでいるつもりもなく、積極的欲望がなく、消極的欲望だけが無尽蔵にある結果、こうなっている。
今、英語と数学の学習を少しずつ進めているが、それは疑いようもないほどに役に立つスキルであり、労力を費やしても見返りがあると決まっているからである。
そもそも「労力」とも考えておらず、読みたくない英語の文章は放棄するし、数学の教科書も理解できなくていくつも取り換えている。
何かを得るために労力をつぎ込んだ、みたいなこと、したことあっただろうか。
上京した時くらいはそうしたかもしれないが、反動が大きかった。
自分をストレートにさらけ出して、「これでやっていけるか」を尋ねまわり、たまたま受け入れる場所があっただけのように思う。
運がよくて、社会に包容力があるだけなのだ。

ここにいるのは、苦しい。
でも、どこにいても、同じように苦しい。
苦しまずに終わることができるのなら、ぜひどうぞ。

「気もちがわかる」というシーンで、笑ってしまった。
この映画を見てきた者としては、この主人公の気もちが他人にわかるはずもないだろう、と思う。
それが、この映画のテーマではないだろうか。
このシーンを「救い」ととらえる鑑賞者がもしいれば、こちらは素直に身を引く。

僕も、お悔みくらいは口にする。
でも、その想像に実感はなく、ただの礼儀としてしかわきまえていない。
実際、相手から「実は、悲しくない」という言葉を聴けば、「そういうパターンもありますよね」とむしろ安堵する。
共感なんて、僕に用意されているのだろうか。

「ルノワール」の終わりを見ると、主人公にもこの先に居場所が用意されているのだろう。
「お引越し」の終わり方が、自分の好みだ。

夕方になり、焼き鳥屋に寄って3杯飲み、帰宅した。
この日はよく眠れて、翌朝には頭痛が消えていた。
また、同じように暮らす。

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2025-07-13 Sun.

不乗

2025-07-13

暑い。
たぶん、暑い。
日中はオフィスにいるので実感に乏しいが、外はきっと暑い。
帰宅する夜になっても外の気温は下がっておらず、空気は生ぬるいというより暑さを含んでいる。
明日もきっと暑いのだろう、と絶望する。

TVは朝から視聴者に対して、我慢せずに冷房を使うよう呼び掛けている。
死んだら元も子もないので、室温を下げるために冷房を使った方がいい。
高齢者の場合、冷房のつもりが暖房をつけていて、かえって具合を悪くすることもあるようだが、それでも呼びかけた方がいい。
僕らは、松村さんやパンヤオ伊藤高史氏が砂漠で遭難している映像の直撃を受けた世代である。

一方で、暑さの根本原因の1つは、きっと化石燃料の使用であろう。
未来のために、あわせて節電も徹底的に呼び掛けた方がいい。
でも、冷房を使えと言って、節電も説くのは、メッセージが実に弱い。
そもそも、TVを見ていることそのものが、電気の無駄遣いと言えるかもしれない。
僕は、森林環境税を払っている。

便利な生活を希求していた自分ではあるが、便利さの中で「省エネルギー」も求めていた。
労力を少なくして、システムをシンプルにすることで、便利さを享受してきたつもりだ。
物的資源を電子情報に転換して保有し、手続きやプロセスも電送を心がけている。
自分の労力は減っているし、外部と没交渉になるのも「省エネルギー」だ。
快適よりも、適応を目指したい。

日中に出かけることは少ないが、太陽の下に出るとやはり暑い。
ただ長い時間室外にいることはなく、暑さになじむ時間を積極的に作らないとバテそうな気がして、日の当たる場所も歩く。

ところで、新宿西口の工事が進んでいる。
少し後になれば、車道が変更され、南北方向に移動することができなくなる。
その結果、歩行者が車道を渡ることがなく東西方向に移動できるようになる。
どういうユースケースで便利になるのか思い当たらないが、そうなればきっと使うようになるのだろう。
快適より、適応。

モザイク通りがなくなってしばらく経つ。
京王百貨店の前を迂回しているが、この時期は直射日光がつらい。
その結果、「地下のモザイク通り」京王のれん街を通るようにしている。
半地下に下がるのが惜しく、普段は通らないが、暑さの前には信念も曲げる。
気分が乗るようであれば、花園万頭でも手に提げる。

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2025-07-05 Sat.

風眠

2025-07-05

2025年の半分を過ぎた。
年末で1年を振り返ると年初のことを忘れてしまう。
ここで、この半年の自分について思い返してみよう。

まずは、珍しく仕事について。
この期間、特に記憶に残る仕事はしなかった。
周囲からは、シンプルに「ごくつぶし」と思われているだろう。
1日数回ポカミスをし、1か月に1度程度どでかい間違いをし謝罪に回った。
まだロジックを間違うようなことはないが、パラメータを間違ってしまうことが日常的に頻発している。
だから、周囲から見ると考えられないほどに単純なミスで、注意不足、確認が足りないのでは、と思われているだろう。
実は自分の手からリリースする前に見直しを重ね、発覚した分の100倍くらいの量の自分のミスに気付き修正しているのだ。
意図通りストレートに正しくプログラミングできることなど皆無で、うんざりする。
その一方で、リリース後に発覚した自分のミスの量の10倍くらい、レビュー対象のロジックミスや考慮不足を指摘はしているとは思う。
「そんなの知りませんでした」「よく気づきましたね」と称賛されるが、クレジットが入ることはない。

仕事をしていて、眠気がまとわりつき、それに抵抗するのが難しくなった。
普段寝不足というわけでもなく、毎日22時就寝、6時過ぎ起床の、8時間睡眠なのに。
緊張感を求められる仕事から外されるばかりだからなのかもしれない。
少し難しい専門書を読むと、2分で眠くなる。
あと、周囲からの距離を、これまで以上に感じるようになった。
年齢が離れた若い人たちが多く、彼らだけで仕事が進んでいる。
同年代の人たちはビジネスに長けているようで、何を話しているのかさっぱりわからない。
どちらからも「あいつ、あの歳で、まだ這いつくばってやってるのかよ」と思われていることだろう。
実際、自分の後ろにはサーバしかない。
人からは誰かが見た夢のように思えるビジネス要件を聞かされ、コンピュータからは穴ばかり指摘されている。
どちらの話も聴けるだけ、まだましだろう。

データベースの読み解き、というのが自分のコアコンピタンスである。
これが不自由になったら、仕事について考え直さなければならない。

やろうと思っていてやらなかったことを書けばキリがないので、やったことを挙げる。
松坂和夫「集合・位相入門」を2年前から読んでいるが、ようやく1章と2章について理解ができた。
決して難しい本ではなく、内容がわからないのは自分の頭が悪いから、もっと言うと謙虚になっていないから、ということが非聡明な自分が読んでいても分かる名著である。
まあこれからも少しずつでもいいから、進めていこうと思う。
あと、ファンクター、アプリカティブファンクター、モナドについて、何をしているのかがようやくようやく分かった。
でも、ファンクターと圏論における関手との関係は、全く不明。

年初から60冊程度、本を読んだ。
新書を切れ目なく読み続けるようにした。
書籍のウィッシュリストが2,000冊になったまでは数えていたが、今はもう見当もつかない。
ウィッシュリストとは自分が所有するライブラリであり、引き出すのに金を払う必要があるだけだ、と考えるようにした。
最近では、自分のウィッシュリストに検索をかけ、読む本を発見している始末。
Kindleのプロモーションメールを受信するようになってから、セールのKindle本を先行して買うようになった。
電子書籍の「積ん読」は恐ろしく、年初以降購入し1度も開いていない電子書籍がすでに20冊くらいライブラリにある。

僕の存在は悪癖の塊と言える。
その悪癖の1つが「好きなことをする時間を惜しむ」である。
時間があるときに、ゲームをしたり、ビデオを見たり、プログラミングをしたりして、自分の好きなことをすればいいものの、それに没入する時間がもったいない、という気持ちになり、結局事務作業をしてしまう。
これが人生をものすごくつまらないものにしている、という自覚がある。
かろうじて読書は、始めてもすぐに飽きることがわかっているので、その抵抗はない。
それでも、以前読んだ本をもう1度開く、という行為は時間の無駄であるような気がして、読んでいない山にある本を開いてしまう。
本は1度しか目を通さないので、読んだ本の内容が定着しない。
年初は夢中になっていた「ピクミン4」も、この3か月くらいは放置していて、クリアできていない。

映画も、さほど見なかった。
イッセー尾形主演「太陽」を再生したが、気乗りしなくて、途中でやめたままだ。
「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」も、よくわからなくなって、止まっている。
「藤子・F・不二雄SF短編」のドラマも、半分の消化。
日々のTVerをこなすだけで精いっぱい、でも何を視聴してきたかは、よく覚えていない。

散歩をしていて、ここ1か月は車の運転の練習もしている。
気が向いたら、ストレッチをするようになった。
音楽を流して、何もしない時間を作るようにした。
Jenkaの本名と思われる情報を、偶然に得た。
dマガジンを開く時間を設けている。

新聞のデジタル会員になった。
きっかけは、新聞配達のシステムが崩壊しかかっているとともに、新聞を印刷する輪転機の生産もこの先怪しい、という記事を読み、もはや新聞社は新聞を印刷・配達することをやめてしまいたいのでは、と思ったことだ。
デジタルの新聞にはいくつか問題はある。
その1つが紙面ビューアーのすべての記事がテキスト表示できないことだ。
意図的にそうしているものもあるのだろうが、社会面の記事のほとんどがテキスト表示できるのに、ある記事だけはテキスト表示ができない、ということがあった。
紙面ではなくテキストだけで読んでいるスタイルであれば、きっと読み飛ばしていただろう。
また、デジタルではシリーズ記事がまとめられているのだが、一部の記事が抜け漏れていたこともあった。
どちらも技術的な問題で、意図とは異なる挙動をしているのではないか、と推察する。
もちろん、いいところもあって、過去の関連記事にリンクが張られていることが、最も便利である。
これだけでも、固定された紙面記事に対する圧倒的優位性があると言える。
今は配達とデジタルを両方利用しているが、いずれ新聞の配達を解約するかもしれない。
毎朝、配達された新聞のTV欄を開いて「徹子の部屋」のゲストを確認する習慣があるが、それもウェブに移行すればいいのだろう。
新聞の配達をやめると困るだろうな、と予想されることは、爪きりの時、手足の下に敷くチラシをどう入手するか、ぐらいである。
近所のスーパーでチラシをピックアップするのが習慣になるかもしれない。
それにしても、デジタルだと、紙面の広告の存在をまるで忘れてしまう。
それでデジタルだけの方が購読料が安いのだから、もしや新聞は広告モデルから脱することができるのか、と思う。

金のことだが、収入はありがたいことに維持できている。

公的負担の額は、まあこんなものかと思う。
住民税は、ふるさと納税が意図通りに反映された結果となった。
住民税は前年の収入で徴収されるが、僕は収入があった時点で一定の割合n%を引き当て、住民税の徴収に備えている。
そのn%はおおよそ適切なのだが、ここ最近は年収のn+0.2%程度が住民税の徴収額となっている。
+0.2%なら調整の範囲内と言えるが、額にすると少し扱いづらいくらいの大きさになる。
例えば、年収2M円なら、0.2%は4K円である。
この帳尻を合わせることに嫌気がさす。
健康保険料の額が疑いたくなるくらい高くて、システムが機能しているのか不安になる。
父親は現在3か所の病院にかかっているらしく、その話を聞いた僕が電話で「だから、俺の健康保険料が高いんだ、仕送りしていると受け止めてくれ」と言うと、「お前、俺が払ってる後期高齢者健康保険料、いくらか教えるぞ」と返された。
先日のねんきん定期便が知らせてくれた想定年金額から、父親から知らされた後期高齢者健康保険料を支払うかと思うと、たとえ健康でもペナルティを受けるようで、暗黒の老後である。
いずれにせよ、健康保険料の額に意識を向けている父親の健康を祈念している。

光熱費などは政府自治体からの支援もあって、やや抑え気味になっている。
それでも、数年前と比べれば、費用は多くかかっている。

食費が全く足りない。
イレギュラーに購入した酒とか大きめの外食は別の費目で処理しているにもかかわらず、全然足りない。
以前からずっとハンバーガー、サンドイッチ、牛丼、カレーライス、うどん、そばで昼食を回している。
それに加え、週に1度は昼食を抜くか、炎天下の屋上でやきそばパンを食べている。
ここからレベルを落とすとすると、まいばすけっとで199円のざるそばを買うことになるか。
覚えた贅沢はやめられないもので、7月以降、これまでの蓄えを放出し、食費を補填することにした。
これで10年前に比べ、食費の予算は2割増だ。
店の値段を見ると、「100円だったけど120円にしました」とか、「ラーメン700円だったのを900円にします」とかで、値上げ幅は額としては小さいものの割合で考えると値上げ幅は大きい。
その合計が食費なのだから、2割増にもなるわけだ。
放出する蓄えとはCOVID-19の時に生じたもので、外出できず、外食の代わりに自炊をしていたことで生まれた余剰だ。
「苦境に立つ飲食店を応援し、寄付しよう、後で使えるチケットを買おう」などという情緒にほだされず、その代わりに余剰を市場に委ねた。
それを引き戻すことにする。
助けを期待できるほどの市民的ふるまいを僕はしていないし、こんな身勝手な僕は周囲に迷惑をかけてはならない。
自分のことはできるだけ自分で何とかしなければならない。
もちろん、自分が苦境にあることはオープンにする。
人の目がある場所にとどまり続けることは、大きな効用がある。
当然、もらえる金はもらっておく。

前述のKindleの件もあって、書籍代や娯楽費を多く使った。
そのほかの費目も、毎月の予算で回しているものは使い切ったし、年間の予算で回しているものは半分強を費やした。
大型の出費として、衣類乾燥機とブルーレイレコーダーと電気ケトルとトースターを買った。
それ以外のほとんどは消費財で、手元に残らないものばかり買うので、自宅の部屋を見渡しても金を使った実感がない。
ようやく、Tシャツに4K円くらい払えるようになった。

最後に、資産運用。
投入は、年初の計画に従って行動するのみで、まったくおもしろくない。
個人向け国債の購入を、10年変動から5年固定にスイッチしたくらいだ。
運用については、評価額が20%目減りした。
20%という表記にもインパクトがあるが、額にするともっとひどい印象で、評価損が未経験の桁に達した。
仕事中の眠気は、もしかしたら阿鼻叫喚で卒倒していたのかもしれない。
某インタビューマンが「資産が200M円あったが、そのうち80M円失った」と明かし「でもそんなに気にならないものだ」と達観していたが、臆病な僕はやはり気が動転する。
むしろ、目に見えている額は「もう減った額」なのだから、「どうしよう」と不安になることすら間違っていて、ただ受け入れるしかないのだ、という虚無感だけがあった。
喉元にナイフを突きつけられている、のではなく、もう刺したよ、というわけだ。
あるいは、砂に書いたLove Letter 風にさそわれて 波と共にとけてくよ 足跡だけ残して、というやつだ。
…というのが、4月半ばに記録した谷底の評価額の話だ。
6月末時点、自分のベンチマークとしている指標は+10%の成績となっている。
これはドル建てであり、年初から円高が進んでいるため、円建てだとまた事情が異なる。
この2か月で25%以上の運用成績を上げたのだ、これって投資の天才じゃない?、と結果を切り取るパターンもあるのだろう。

いつも思うが、土俵を割り込まなければいい、ゴールラインまで押し込まれなければいい、というやつで、市場から退場を余儀なくされる事態から遠く離れておくことが至上命題だ。
そのためには、返済期限や執行条件のある金を借りない、大型の出費を事前に予想し備えておく、それでもカバーできない突発的なことはあるので保険を掛けておく、ぐらいはしておかなければならない。
あのインタビューマンや、飲料の名称で呼ばれていた事業家は、この先も僕の手の届かない暮らしを送るのだろうし、僕とは異なり素敵な世界にいる。
ただ、彼らの行く末についての情報は途切れさせたくない、と思う。
それにより自分の行く末に待ち受けている不確実性を減らすことになる。

以上で、半年の振り返りは終わり。
ところで、自分の持ち時間を可視化してスタンプカードにしているのだが、その半分がスタンプで埋まってしまった。
これまで歩いてきた道のあちらこちらに不発弾を残してきた実感があり、その存在におびえる。
一方で、運に恵まれていたことは間違いがなく、面倒なことを押し付け放置してきても、ここまでやってこられた。
これまでに得たものは乏しく、これから手に入るものはもう望めないだろう。
何かを持っているふりをし、それを駆使して切り抜けることを考える。
これを書いている最中に、ランダムリプレイがガーデンズの「Future's Memories」を選んだのだが、それが実に自分の人生を象徴しているように思えてならない。
ガーデンズのトリビュートアルバム、などあれば、買うのだけれど。

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2025-06-28 Sat.

典福

2025-06-28

運転免許の更新に行ってきた。

前回の更新は、たしかCOVID-19の感染者が急増したころだったはずだ。
よく覚えていないが、免許更新の業務がとりやめとなり、書類を郵便で送って暫定的な期限延長手続きをした。
期限延長の書類を発行してもらい、3か月くらい延ばしてもらって、そのあと更新手続きのために出向いた。
それ以来となる。

この辺は、免許更新の機会にしか来ない。
更新手続きの場所まで行く道の風景は、前回と比べて少し変化していた。

まず、全国チェーンの書店の店舗がなくなっていた。
COVID-19の感染が拡大し、人々の行動が制限さ…それぞれが自粛していた余波を受けてなのか、閉店したのだった。
残念だけど、コンテンツストアはネット上に置き換わっていく時代なので、まあ受け入れる。
跡地には、建物は取り壊されたのか居抜きなのかわからないが、新しく24時間営業のフィットネスジムが営業していた。
この辺りは、同業態の店舗がいくつもある。
それだけ需要があるのだと思う。

書店のみならず、いくつかの店がなくっていた。
その跡には、住宅が並んでいる。
雑木林だった場所にも、林がなくなり、住宅が建っている。
道もきれいに整備されている。
住む場所が用意され、そこで人々は眠り、必要なものはネットで取り寄せ、それぞれの生活スタイルに合わせジムに通っているのだろう。

今回の免許更新の手続きで、変わったことがいくつかある。
その1つが、事前の講習予約である。
少し前だと、個人番号カードを所持していれば、オンラインで講習を受けられる、みたいな仕組みがあったようだ。
しかし、マイナ免許証が導入されたきっかけで、オンライン講習はマイナ免許証の所持者に限られることとなった。
この辺り全く意味が分からないが、とりあえずウェブを使って講習の予約を取って、今日に臨んだ。
ちなみに、予約は必要ではないが、予約しないで来ても、予約優先で講習が受けられないかもしれないよ、とのことだった。
実際、今回の現場で、そのやりとりの悶着が起きているのを見た。

あまり行きたくない場所が2つあって、1つは携帯電話の手続き、もう1つは運転免許の更新手続きである。
これらの手続きには、ありとあらゆる属性の人たちが集まってきて、トラブルもよく見かける。
携帯電話については、番号ポータビリティ制度の手続きを最後にして、リアルなサイトでの手続きをすることはない。

手続き会場に行くと、入り口に係員が待ち構え、訪問者を案内している。
向こうはきっと親切のつもりだろうが、職業柄か威圧感を受ける。
見ようによっては教えてくれているようだが、結局は指示に従わせようとしている。
そちらは毎日やっていることだから慣れているだろうが、こっちは数年に1度のイベントであり、しかも行くたびにシステムが変わっていて、要領を得ない。
でも、容赦がなく、我々は無力で従順な市民にすぎない。
建物に入ると、こちらの不勉強が原因にちがいない、よく理解できない行政用語を投げかけられ、係員に誘導され、手続き開始時刻まで待たされる。
誘導された狭い場所に100人ほどが待機している。

僕が予約した開始時刻の講習予約の人が呼ばれ、列に並ぶように指示される。
列に並んだが、そこからさらに5分ほど待たされる。
本当によくわからないが、きっとこれで余計な手間が省けているのだろう、その手間が「我々のもの」であったことを信じたい。
受付は自動受付機で処理されるのも、今回の変更箇所である。
事前に取得したQRコードをかざし、画面を操作すると、従来のカード式免許証か、それともマイナ免許証か、はたまた両方必要か、選択を迫られる。
列に並ぶ時間を十分に与えられたため、ウェブで情報を得たが、自分にとってマイナ免許証のメリットが見いだせない。
マイナ免許証だと、転居時の住所変更が個人番号カードの手続きのみで済むのだそうだ。
その一方で、個人番号カードを更新すると、マイナ免許証の書き込み手続きが必要、と書いてある。
今年度中のシステム改修を終えればその手続きも必要なくなるらしいが、いよいよ意味の分からなさも突き抜けてしまい、もはや晴れ晴れとした気持ちになってきた。
よって、従来からのカード式免許証を選ぶ。
身分証明のためには、個人番号カードと運転免許証のダブルスタンバイの方がいいと考えた。
セキュリティのために暗証番号を2つ設定する必要があるが、そのうちの1つはすでに入力されていた。
免許証番号から生成された番号のようだ。
2つ必要な理由もこれまたよくわからないが、そんな親切をするのなら1つだけでいいような気もし始め、結局2つとも新たに設定する。
幸運なだけに過ぎないと思うが、これまでこの暗証番号が必要になったシーンは1度もなかった。
紙が印刷されて、記入台へと進み、紙に書かれた「最近、気を失ったこと、ない?」みたいな質問への回答を記し、今度は更新料を払うために、また列に並ぶ。
さっきの機械には意思確認するための機能が備わっていないのかもしれないし、こうすることで記入を確実にチェックできるし、金の収受は機械になんて任せていられないのだ。
更新料の支払いは現金以外でもいいらしく、交通系ICカードで支払った。
現金以外の支払いの領収書は、本日中には出せないとのこと。
隣の窓口では、「iD使えますか」という問いに「すみません、iDだけは使えないんです」と返答していた。

視力検査の列に並ぶ。
列が一向に進まない。
午後の開始時刻までまだ時間があるのだ。
前に並ぶ人の用紙が目に入った。
「あれ、年齢は違うけど、誕生日近いじゃん」とテンションが上がったが、よく考えると、ここに更新手続きに来ている人は、前後1か月程度の誕生日の人たちである。
用紙には、先ほど決めた暗証番号が、離れた場所から視認できる大きさで印刷されている。
何度も言うけれど、わけがわからない。
これも視力検査なのかもしれない。

定刻を迎えたのか、視力検査場の扉が開く。
この日のために、手持ち不足気味だったコンタクトレンズを購入した。
鼻に眼鏡の跡が残らないように、起床してすぐに着用している。
老眼鏡をかけ始めて3年近くなるが、コンタクトレンズは近視用。
眼鏡とのバランスをとるため、コンタクトレンズの度数の調整が難しかったのだが、視力検査はクリアした。

次は、写真撮影。
前回は、流れ作業の中で気を抜いたところに撮影の順番が来てしまい、その結果、髪型が乱れ、シャツの襟が傾いた写真になってしまった。
「この無残な写真で数年過ごすのか」と気が沈んだが、誰にも気にされることもなく、何事もないままに更新を迎えた。
今回は一応鏡で髪型と身なりを整え、写真撮影を終える。

次は、講習。
講習室に14番目に入る。
講習の定員が70名だそうで、定員がそろうまで30分待った。
「予約したことの意味はあるんだよね」という問いをこらえるだけで、疲れてしまった。
待っている間、前回の更新からの運転履歴を思い返す。
暴風雨の中、死にかけながら天草五橋を渡った以外は、短時間の運転数回だけだ。
運転免許を取得してから幾星霜、ここまで車を所有せずに暮らしてきてしまった。
車の知識が全くなく、大人たちの話の輪に入れず、情けない思いをしている。
最近、Geminiを使うようになってきて、時間があるので「残価設定クレジットで550万の車を購入、金利2.3%、36回払いで、残価率70%だと、月の支払いは?」と尋ねると、計算過程とともに答えてくれる。
残価にも金利がかかるよう説明を加えても、Geminiは理解してくれた。
優秀すぎて、もう部下のいない境遇を嘆く必要などないように思う。
きっと、つまらない冗談でも、Geminiなら相手にしてくれる。
それにしても、一般的な家庭で5.5M円の車を保有しようとするのが、今の世の中なのだろうか。
それに加えて残価分の金利まで支払うのだから、恐ろしい。

隣の席には男が座り、講習が始まり、傾聴力養成の訓練と認識し、しっかり聞いた。
法令もいろいろと変わっていて、一番驚いたのが、 電動キックボード(特定小型原動機付自転車)は16歳以上なら免許なしで運転できる、しかもヘルメットは推奨だが義務ではない、ということだ。
どれほど便宜を図ら…、推奨されているのだろう、と思う、なんだよ「特定」って。
最後はビデオを見て、人がはねられているのを見てしっかり声を上げ、いいところでビデオが止められて、時間となる。
公金を費やしてビデオを作成しているのだから、いつかは最後まで見てみたい。
もしかしたら、伊藤健太郎や吉澤ひとみなどが出演しているかもしれない。

免許証の交付は、事前に配布された番号順で呼ばれる、とのこと。
公安職に番号で呼ばれることは、ここでしか経験できないものとしておきたい。
周囲と番号を見合わせて、一列に並んでほしい、と指示される。
ただし、マイナ免許証との関係で、呼ぶ番号は連続していないらしい。
自分の番号は465番で、460番が呼ばれたところで、次かもしれないと窓口の近くに待機。
463番が呼ばれ、自分のほかに誰も近づいてこないので、次は自分かと構えていると、464番が呼ばれる。
ここが本日一番の驚きで、今回も「いろいろな人が集う場所であるな」と実感する運転免許更新であった。

ICの記録内容を確認するべく、交付された免許証を機械にかざし、暗証番号2つを駆使して、確認終了。
交通安全協会の活動に敬意を払い、立ち去る。

帰宅し、過去歴代の運転免許証を並べてみる。
「苦労と我慢をしない」と決めてから、周囲の人たちの髪が薄くなったり白くなったりするのを横目にしてきた。
実年齢を口にすると、「見えないですね」と言われることが多いが、それはやっていることがすべて幼く、思ったことと自己都合ばかり口にしているからであり、つまり相手は呆れているだけなのだ、ということ十分に自覚している。
実際、つまらない冗談への対応に時間を費やさないし、そもそも何もできない、それはGeminiがやってくれる。
でもさすがに、今回の写真は前回よりかなり老けてしまっており、歴代の変化量と比べても、最大のように思う。
昔は若かったんだな、と今にならないと気づかないし、もう遅い。

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2025-06-22 Sun.

倍展

2025-06-22

今週はいろいろあった。

東ゆめ子氏の訃報が出た。
北九州市出身であった。
最近まで舞台に立たれていたようで、残念だ。

放送に乗せたコンプライアンス違反もあれば、放送に出てこないコンプライアンス違反もあった。
どちらもどうしたものかと思う。
今回は目立つだけで、数多くのケースは表沙汰にならないまま切られているのだろう。
そういえば、先日ヒロミが自分のことを「危機管理能力が高い」とラジオで言っていたが、あれってバーベキューのことをネタにしていたのだろうか、その時は気付かなかった。
以前はやけどを負ったのだから、それはそうだろう。

そして、僕は嘘をつけない。
つかないのではなく、嘘をつくことができない。
一方で、隠し事はある。
隠すつもりはなくても、話さないことはある。
「何でも言うとは限らない」という警告は、時々必要だ。
そうしないと、信頼が依存や利用に転じる。

他人の嘘は受け入れられないし、隠し事の存在を公にされるのも、気分がよくない。
真実が露見しない嘘、存在すらわからない隠し事であれば、かろうじて受け入れられる。
僕はぼんやりしているので、周囲で起こっていることの大半が見えていない。

身内や仲間を守ろうとして、外に向かって放たれた嘘を、僕は許せない。
自分たち以外の存在を軽視している意識が、我慢ならない。
これはきっと、自分がどの立場から見てもその埒外にいることを強く自覚しているからだと思う。

言わなくていいことなのに世間に向かって言うのは、今の自分も一緒だ。
そうする必要はないのだが、そうすることによってもたらされる効用、つまりオープンにしておくことで社会に存在できるよう自身の軌道修正を図ることを求めている。

嘘をついてまで言うことでもないように見えるけれど、そうする事情もあるのだろう。
また、わけのわからない言動をして、自分の信頼度をより低くすることになるのも、何か理由があるのだろう。
それを踏まえて、端的に言って、不愉快だ。
もう何一つ信用することはなく、今後のチャンスは決してない。

FNSの日の第1回の放送中、視聴者が間違えて硬貨がいっぱいに詰まった瓶を放送局に持ってきた、と言って、タモリさんがその瓶を見せていた。
あれでずいぶん笑ったのだが、つい最近、あれは作家が考えたネタだった、という話を聞いた。
それが本当ならずっと騙されていたわけだが、不思議と腹は立たず、もともとパロディだし、むしろやられた感があったし、長年そのことを思い出して楽しい思いをしてきたのだから、むしろそのネタに感謝したいくらいだ。
そういう外に向かって楽しませる嘘なら、受け入れる余地があるのかもしれない。
人を楽しませる嘘をつくなんて至芸の域なのだから、僕などがそれをしようとしてはならない。

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2025-06-14 Sat.

小槌

2025-06-14

6月は、矢部美穂の誕生月である。
「YABEKE、開店して15年も経ったのか」と感心するところに、ねんきん定期便が届いた。
早速検証してみよう。

加入実績に応じた年金額を、前年と比べてみる。
老齢基礎年金は、毎年20K円増える見込みだが、前年と比べてそれなりに増えている。
老齢厚生年金は、給与収入の0.5%が加算される計算のところ、それより少し多いくらいの増額か。

年金加入については、そろそろゴールが意識されるようになった。
来月から給与収入が途絶えてしまうとして、20K円に残り加入年数をかけて加算してみる。
ああこれくらいの額か、とはわかったが、ここから税金や健康保険料が引かれる。
20%で済むだろうか。
8掛けの手取りだとしても、ワンルームの家賃の支払いすら怪しい。
めいっぱいの幸運に恵まれたとして、今の年収が残り加入年数まで続いたとしても、毎日1食松屋に行けるかどうか、という程度だ。

定額減税だの、現金給付だのが施されてきたはずだが、帳簿上でこなしてしまったため、実感がない。
後で恩義だけ求められる気がして、うっとうしさを勘違いする。

金があっても、買えるものがなければ、意味がない。
昨年、米が店頭から消えたことを思い返すと、金さえあればいいわけじゃないとよくわかった。
そもそも、僕は買い物が苦手で、面倒に思っているのだ。
自力ですべてを賄えるのならそうしたいけれど、情けないことに都市生活しか送れない身である。
用意されたシステムに乗っかって安価な生活を続ける、でここまで来てしまった。
生活力など、まるでない。

この時期毎年思うことだが、矢部美穂はすごい。
詳しく見ると考えるところは多いが、結局のところは生き残っている。
認めざるを得ない。

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2025-06-07 Sat.

電鬼

2025-06-07

休みに日帰りの遠出することを考える際、最近は、東海道線を選ぶことが多い。

まず、行先の候補から真っ先に落ちるのは、高崎線である。
親しみが薄いし、埼玉県が長いし、名物もよく知らない。
総武線も、成田では物足りず、銚子には行きたいが特急に乗る必要があるし、ちょっと遠い。
外房は戻ってこられるか不安だし、内房はより一層の不安を覚える。
最近だと中央線という選択肢も出てきたのだが、もう少し研究が必要である。
宇都宮線は魅力的であり、数回に1回の頻度で選ぶ。
私鉄の選択肢だと、秩父は山の中だし、東武はもうおなかいっぱい。
京急か小田急なら、選択肢に上がってはくる。
でも、最近普通グリーン車に安く乗れる手段が選べるようになったため、横須賀線や東海道線にしがちである。

やはり、山よりも海が好きだ。
浜辺で景色を見て、うまい魚料理を食べたい。
海だけでなく、山が見えるのも落ち着く。
小高いところから風景を見るのも、街と海が見えるとなおよい。
それなりの都市がよく、土地の暮らしや古くからの店の様子を感じたい。
なお、常磐線を選ぶことなど、最初から選択肢にない。

これまで、沼津や熱海、下田に行った。
三島はちょっと寄っただけだが、いずれ訪れたい場所ではある。
横須賀線は、鎌倉、横須賀に足を延ばした。

そんな中、最近よく足を運ぶのは、小田原である。
普通列車に乗って1時間半程度と、ちょうどいい乗車時間である。
歴史があって、史跡をめぐるのもいい。
歩くと昔の雰囲気を感じられるとともに、今の生活もある。
海の幸もおいしいし、都市なので他の店を選ぶこともできる。
かまぼこ屋があるのが、自分にとってはうれしい。
帰りにロマンスカーを選べることにも、ちょっとワクワクする。
昨年、熱海に行ったが、観光客が多くて、ちょっとうんざりした。
その点、小田原は、それほど混雑していない。

そういうわけで、小田原に行ってきた。

9時ごろに東京駅を出る東海道線に乗る。
グリーン車は少し混んでいて、外国人も多く見られる。
新橋で席が少し空いたので、山側の席に移る。
隣に座ってきたのは外国人のようで、目に入ったスマホの画面にはタイ語らしき文字が表示されていた。

品川を過ぎると、グリーンアテンダントが車内を巡回する。
隣席の頭上のランプは、Suicaをかざしていないことを示す赤い表示になっている。
グリーンアテンダントが隣の客に話しかけるが、要領を得ないようだ。
数分のやり取りがあり、ようやくここが「first class car」であることを理解した客が車両から出ていく。
こうしたやり取りを、グリーンアテンダントは赤いランプが示されている席にいる外国人それぞれに繰り返している。
大変な仕事だ。
「グリーン車」という表現が理解しづらい可能性がある。
タブレットで対応するなど、もう少しITが支援できる部分がないだろうか。
それでも、川崎駅を過ぎるころには、グリーン券を持たない客はすべて立ち去り、車内はいつも通りの客数となった。

これまで、東海道線に乗るときは海側の席を選ぶことが多かった。
今回は山側を選んだが、こちらもなかなかにおもしろい。
戸塚駅で、国府津行きの湘南新宿ラインに追いつく。
この乗り換えで、ちょっとしたトリックができるかもしれない。
大船駅で抜かれた特急踊り子を見ると、意外にも伊豆急下田行は混んでいるように見えた。
特急と比べ、普通グリーン車でもさほど変わらないわりに料金は安い、むしろ2階席の眺望がいいように思う。
一方で、踊り子だと、下田まで乗り換え不要なのが便利だ。
僕は移動そのものに価値を感じるのだが、多くの客は移動時間が短く、手間がかからない方がいいのだろう。
そういえば以前、上りの新幹線で、熱海からグリーン車に乗ってきた連中もいたのだから、景気もいいのかもしれない。
「高額のファーストクラスに乗っていただけるお客様がいらっしゃるから、エコノミークラスの客が飛行機に乗ることができるのだ、ありがたい」と言われれば、「そうですか」と言わざるを得ない。

500mlと350ml、山形豚ジャーキーをやっつけ、小田原駅に到着。
大きな駅舎を出て、小田原城の足元にある小田原市郷土文化館に行く。
展示によると、以前小田原には著名な政治家や実業家の別邸が多くあったらしい。
小田原には海があり、海産物があり、背後には山がある。
ミカンや茶は、静岡方面からの期待ができる。
温暖な気候だし、東京からもちょうどいい距離。
自分もいつかは住みたい、と思いを募らす。
でも、関東大震災で、90%以上の被災率があったとも知る。
地震と富士山噴火さえなければ、将来は小田原か静岡に移住したいのだが、そんなことを言っていると南関東のどこにも住めなくなる。

一通り展示を見て、分館である松永記念館へ向かう。
松永安左ヱ門は、福博電気軌道や九州電力の事業を手掛けたとして、名前は聞いていた。
スマホの地図アプリに従って進んだが、山がちな道を案内されたようで、景色がめっきりよく、眼下には新幹線が走る。
足腰の衰えや、ビールを運び上げる手間を考えなければ、ここに住んでみたい。
山縣有朋の別邸などを見、風光明媚に息が切れ、這うようにして松永記念館に到着。
松永安左ヱ門が集めた骨董や、年譜などを見る。
目を引いたのは、産業計画会議による勧告の展示だ。
当時顕在化されつつあった問題について、産業発展、経済成長の政策提言を行っていたようである。
中には、実現されたものもある。
ああ、僕もこんな勧告をしたい。

戻り道は、平地を選ぶことにする。
地図によると、この道は旧東海道のようであり、雰囲気があるようなないような道を行く。
新幹線の高架をくぐる前に、スーパーマーケットを見つけ、立ち寄る。
地元の品ぞろえもあり、近くに住みたいものだ。
そういえば、20世紀末、アルバイトで小田原のスーパーに品出しに行ったことがあった。
小田原はその時が初めてで、ロマンスカーを使っても、家から2時間かかった。
聞いたことのないスーパーだったし、店内はずっと同じ歌がかかっていて、1日そこにいただけでうんざりした。
それからしばらくその店の名を聞かなかったが、今はかなり成功しているスーパーチェーンとなっている。
最近はスポンサーの多くが控えているTV局にCMの出稿をしているが、配偶者の存在があるからなのだろうか。

国道1号線を進んでいく。
地図を見ると、海岸に向けてちょっとした突起があるのを見つけ、行ってみることにする。
小道に入り、気を引くパン屋を素通りすると、巨大構造物、西湘バイパスにぶつかる。
高架の切れ目を抜け、砂浜を歩くと、荒久の灯台があった。
突堤にあり、柵もないので、少し怖いが、先まで行ってみる。
相模湾が穏やかで美しい。
観光客がほどよくいて、にぎわっていた。
座って、少し滞在。

昼を過ぎ、飲食店が休憩に入る時間も迫ってきた。
旧東海道を歩き、干物屋やかまぼこ屋を眺める。
かまぼこメーカーがいくつもあるのが、心強い。
地図で見つけたすし屋に入り、カウンターに座る。
日本酒を飲み、中握りをいただく。
魚の味が濃厚で、悶絶。

すし屋を出て、少し歩くと、趣があるたたずまいの書店を見つける。
入って、少し本を見る。
土地柄、川崎長太郎の小説が置いてある。
川崎長太郎の名を知ったのは、御多分に漏れず、つげ義春からだ。
「抹香街」をウィッシュリストに入れたまま、まだ手にしていない。
これ以上自宅に読んでない本を積み上げるわけにはいかないので、ここは我慢する。

「このように、本との思いがけない出会いがあるから、書店は必要なのだ」という意見もあるのだろう。
僕も、地元に小さな書店がいくつかあった環境で育ってきた。
近所の本屋は、できれば残っていてほしい。
でも、現実的に見れば、かなり厳しいだろう。

一方で、今のウェブ書店に満足しているわけでもない。
現状では、書店のウェブサイトは、実店舗の書店を十分に再現できていない。
書店に足を運ばずに、ウェブで済ませることができれば、との期待で書店サイトを見てみる。
検索は確かに便利だけど、多くの書籍を俯瞰して探すのには満足できない。
実店舗では、売れ筋ではない本を手に取って確認したり、店員が企画したフェアで集められた書籍を眺めたりするのがおもしろい。
もちろん、それがウェブで実現できれば十分だし、できればそうなってほしい。
いつまでも実店舗の負担に甘えるわけにはいかない、もっと効率的な社会を希求していこう、と僕はここで産業界に勧告する。

カフェを見つけ、入店する。
店はゆったりとしているのだが、席はほぼ埋まっている。
キリマンジャロを注文すると、時間をかけてサイフォンでいれてくれた。
思うに僕は、接客業などまるでしてこなかった。
てきぱきと対応している、アルバイトかもしれない店員を尊敬してしまう。
僕はこの歳になっても、顧客対応などひどいもので、多くの失礼をやらかしている。
むしろ、コンピュータのご機嫌を取ることが圧倒的に多く、キーボードで「おもてなし」を重ねている。
成果物を迅速に届けることだけには自信があるが、そこはあまり評価されていないようにも感じる。

小田原駅に戻る。
行ったことのない西側の方に降り、アスティなどを眺める。
乗り場に戻り、果ての果てのような行く先の列車に乗り、グリーン車の座席に身を沈める。
レモンの利いた飲み物をこなし、相模川に残る昔の橋台などを眺めていると意識が途切れ、気付くと新橋だった。

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2025-05-31 Sat.

徒税

2025-05-31

ちょっと前になるが、国税局へ赴いた。

新橋で下車。
地下街に入り、「この辺でバカでかいトランクが放置されているのを見つけたら、すぐに通報」などと「相棒」世界と混同しながら、カレッタ汐留に着く。
近年、カレッタ汐留の閑散ぶりが取り上げられているが、まあ確かに人は少ない。
ただ、周囲を道路に囲まれた僻地のように言われるが、地下から行くと、ちょっと遠いけどすんなり行ける。
まだエレベータがたくさん動いているのだろうか、経費節約のためいくつか休止していたりして。

で、アドミュージアム東京を見学。
そこで見た昔の保険会社のコマーシャルで、「かくれんぼしている父親を子供の鬼がいつまでも見つけられない」というのがあり、もう立ち直れない。
電通のことはどう思おうとも、アドミュージアム東京には行った方がいい。

展望台に行くのもおっくうになり、上層階でステーキを食べてみたかったが、地上を目指す。
…結構苦労して、ようやく地上に出る。
やっぱり道路に囲まれてて、向こう側に行くのに難儀する。
どうせここの従業員はタクシーを捕まえて移動しているのだろう。
都心で若い人が1人でタクシーに乗り込むのを何度か目撃した。
その光景がかなりショックで、思い返したのだが、僕自身は都心でタクシーに1人で乗ったことは2度だけだ。
1度目は、何もかも嫌になって、山手線から降りて、駅からタクシーで自宅まで帰った。
2度目は、なぜか柄にもなく南麻布にいて、普通なら六本木通りまで出てバスに乗るところを、「これくらいのことは許されるだろう、僕は都市生活者から」と思い、タクシーで渋谷まで行った。
渋谷に着き、タクシーを止める場所を決めるのが面倒だったし、その時の料金のことを1週間くらい悔やんでいた。
人を使う立場にない貧乏性は、いつまでもぬぐえない。

環二通りと首都高の交差を苦労して抜け、細い道に入る。
一方通行の道は、どうやら朝日新聞社の私有地のようだ。
社屋の裏にあたる場所は、道の端にゴミが貯まっているし、骨の折れたビニール傘や、長く放置されているらしい自転車がそのままにしてある。
むやみに処分してはいけないのかもしれないが、放置している様が社の現状を表しているような気もしてきて、不安になる。

社屋をぐるっと回ったところに、東京国税局の入るビルがあった。
実は税理士試験の願書を入手するために、ここまで来たのだ。
わざわざ出向かなくても郵便で求めればよかったのだが、ウェブで入手した受験案内に「e-Taxで受験申し込みができる」ようなことが書いてあったので、気を抜いていた。
申し込みの受付期限が迫り、改めて受験案内を読むが、どうやってe-Taxで受験申し込みをすればいいか、要領を得ない。
根気を入れて読み進めると、ただ申し込みをすればいいわけでなく、結局用紙を入手して郵送しなければならないようである。
ウェブでも調べたが、e-Taxでの受験申し込みにはメリットはほとんどない、との記述があった。
マイナンバーを活用した受験申し込みを今年度から始める予定もあったらしいが、システム導入の延期から、実現しなかったようだ。
きっと、エンジニアの手際が悪かったわけではないだろう。

で、国税局まで来て申込用紙を受け取りに来た。
1階に台が出されてあって、台の上のかごに願書が積まれている、ように見えたが、かごの中は空である。
もさもさしていたら、台の脇に立っている人が、「なくなったので、今持ってきてもらっているところです」と教えてくれた。
一緒に待って、やっと手に入れた。

メディアに翻弄され、疲れきった。
スターバックスを見つけ、入店。
ここがタイタンライブが行われる時事通信ホールの入る建物だと、初めて知る。

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2025-05-25 Sun.

加農

2025-05-25

ようやく新しいBDレコーダーを購入した。
これまでのレコーダーにはまだダビングしていない録画があり、そのダビングをすすめた。
その間、「美味しんぼ」を2本見た。

普段は時間が合わなくて行きづらい、近所のラーメン屋に行き、行列に少し並んで、ラーメンを食べた。
あまり詳しくは書けないが、特異の経歴を持つ店主が作るラーメンは、ものすごくおいしい。

その後出かけて、服を見た。
夏服を見回ったのだが、まだ十分な揃えとは言えず、気に入ったものが見つからなかった。

いつも混んでいるコーヒーショップでコーヒーを飲み、読書。
そのあと、ずいぶん前から行ってみたかった映画館に初めて行く。
選んだ席のすぐ前に中年男性が座っていて、スクリーンの下部を遮るように中年男性の髪が見え続ける状態。

映画は「天国の日々」。
登場人物の顔が識別できず、しばらく話の内容がよくわからなかった。
ちょうどモーパッサンの短編集を読んでいるところで、農場主に激しく同情する。
労働力とは何なのか、という疑問を持つ。

映画館を出ると激しい雨で、難儀して家まで帰る。
折りたたみ傘の骨が折れてしまった。

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2025-05-18 Sun.

違健

2025-05-18

僕にとって、風邪とはもはや「外傷」である。

2月の初め、大風邪をひいた。
40℃から熱が下がらず、3日間くらい寝込んでいた。

その後、熱は下がって、外出できるようにはなったのだが、調子が元に戻らない。
特に、咳が出続け、収まらない。

それが1か月続いた。
これは喉頭がんに違いない、と確信し、病院に行った。

鼻からカメラを入れ、のどを見てもらう。
逆流性食道炎で荒れている外に、悪いところは見つからない。
「咽喉頭異常感症」という病名をいただき、薬の処方箋を受け取る。

そこからもずっとのどが詰まったような感覚が続いた。
つばを飲み込んでも、のどが元の位置に戻らないような感じ。
結局のところ症状を引き起こしている直接の原因はなく、ストレスとか加齢とかで片を付けられてしまう。

さらに1か月くらいかかって、ようやく喉のつかえはなくなった、ように思う。
あるいは、その状態にすら慣れてしまい、治ってなくても戻ったように感じているのかもしれない。

ところで、木曜に飲みに行った。
その次の日、鼻の裏に違和感を覚えた。
帰宅すると全身がだるくて、起きていられない。
葛根湯を飲んで寝ると、熱が出る。
そのまま土曜は1日中寝ていて、日曜は外出の用事を最低限こなして、後は横になって「美味しんぼ」を見ていた。
週末、体調を回復することに、すべての時間を使ってしまった。

もはや、夜に軽く飲みに行くことすら、体は拒否している。
誇張でなく、生きていて何も楽しみがない。
その原因はすべて、自分がつまらない人間だからだし、身体も弱くてどうしようもない。

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2025-05-06 Tue.

個蝶

2025-05-06

春の大型連休が終わる。

休みを振り返ってみよう。

26日土曜。
もうずいぶん昔のような気がする。

確か、まず新宿駅に行った。
8時ぐらいだったと思うが、人は多いし、キャリーケースを抱えて階段を移動する人たちを見ると、この京王線への乗り換えは何とかならないものかなと思う。
で、京王線の乗り場に行き、急行に乗った。
大学の運動部のジャージを着たガタイのいい人が、自分の座席の左側に座る。
ゴスロリの格好をしたガタイのいい人が、自分の座席の右側に座る。
ここで性別とか特性とか記すのが難しいのが、2025年である。
新宿を出発し、ロングシートの向かいの人が笹塚で降りたので、立っていたゴスロリの連れの方に席を譲るべく、向かいの席に異動した。
笹塚で降りた人の数にちょっとショックだったし、大学の運動部ジャージは次の停車駅で降りた。

このサイトではもうネタ化している、京王線連続立体の進捗。
僕の人生、もう残り少ないのだが、京王線の高架化の完成を見届けることはできないだろう、という冗談が、この感じだと冗談でなくなる気がしてならない。
今回も車窓から軽く見た感じ、土地の収得もまだまだ残っているようである、ガタイのいいゴスロリ2人組で窓の外がよく見えないのだが。
サイトのFAQには、「この事業が終わるのはいつですか?」という項目があり、まるで子供の無邪気な質問のようにすら思えてくる。
電車を降りたら、「Keio高架化Information」を手に入れなければ。

で、仙川、つつじが丘と経て、調布駅に到着。
ここから、京王相模原線へと入る。
おそらく、調布駅が地下化してから初めてで、平面交差の解消に歓喜する。
京王多摩川駅を通過し、多摩川を渡る。
気を引き締めたところで、京王稲田堤駅。
昔、この駅付近のスーパーマーケットにアルバイトに行った。
川を超えると進行方向左手から山が迫ってきて、やがて右側からも山が迫ってくる。
この先にニュータウンが存在するとはとても思えないし、ここでは書けない思いがしてくる。
多摩センター駅で、ゴスロリ2人組が降りる。
サンリオのキャラクターが駅名標などに描かれ、「何か理由があるのかしら」とそしらぬふりをする。
以前多摩都市モノレールに乗って多摩センターを訪れたのは、もう8年前になる。
モノレールの軌道は京王と小田急の線路を越えた先で駅を構え、次なる野望を秘めている。
調布で区間急行に乗り換え、のんびり各駅停車で行ってもよかった。

南大沢を過ぎ、線路は高さを稼ぐ。
席を立ち、扉の窓から見おろすと、大きな穴が良く見える。
事前の確認が足りず、「さがみはらリニアひろば」が今日は開いていないことが京王線の車内でわかったので、ここでしっかりと見ておく必要がある。
京王相模原線はJRの線路を越え、野望があるのかついえたのかよくわからないまま、橋本駅に到着。

JR側の駅前を少し歩く。
地図を見ると、少し歩いたところにある境川がまさに都県境のようで、いつの間にか神奈川県にまで下ってきたことを思い知る。
「市街地の川が県境なんて、まるで豊前と筑前とを分ける境川みたいやね」と興味を持つ寸前まで行ったが、考えるのも面倒になって見に行くのをやめた。

橋本駅前に来たのは、たぶん25年ぶりであろう。
前回は、これまたアルバイトで相模原市内を回り、山がちの場所で頭がぼーっとしてきて、駅前の公衆電話からアルバイト先に電話して、翌日のシフトをキャンセルした。
あのころはまだ、人との信頼が大事なものであることがよくわかっていたので、アルバイトをドタキャンするのは気が引けたのだが、翌朝になってキャンセルするよりはましだと思い、無理をきいていただいた。
帰宅して熱を測ると、しっかり高熱が出ていた。
相模原市の記憶はそれくらいしかなく、橋本駅前にイオンがあることも、映画館があることも知らなかった。
よっぽど気が向いたら、相模原市立博物館にも足を運んでみたい。

ドトールを見つけたので、入る。
古くからあるようなたたずまいなのだが、コーヒーのメニューにSサイズがない。
別にかまいませんけど、というていを装い、レギュラーサイズを頼む。
無線LANを拾おうとするが、docomoのwi-fiが取れずに、近くにあるのだろうワーキングブースの弱いwi-fiを拾ってしまう。
これだと不十分なので、泣きながらwi-fiを切り、画質を低品質にして、TVerで「美味しんぼ」を見る。
毎週数本の「美味しんぼ」がTVerで無料視聴でき、最近は進んでみるようにしている。
以前の僕なら「何でもメシの話で片付けやがって」という感想で処理していたのだが、この年齢になったからか、今は「美味しんぼ」を見ると号泣である。
先日は、店でアップルパイを注文しては味を酷評しまくる男の回を見たが、それはそれはいたたまれない気持ちになった。

「美味しんぼ」を2本見て、連休中の予定を書き出していると、もうすぐ11時。
店を出て、京王ストアを徘徊する。
冷房が効いていて、寒い。
そして、先ほど見つけた「ぎょうざの満洲」に向かう。
確か2019年、時間がなくて伊勢崎駅前の「ぎょうざの満洲」入店を断念して以来、機会を見計らってきたが、ようやくチャンスが巡ってきた。
開店と同時に入店する。
オーダーは、QRコードを読み取り、スマートフォンで行うとのこと。
そういえば先日、天下一品でオーダーのQRコードを読み取ると、bitlyの短縮URLが英語のウェブサイトに遷移し、慌てたことがあった。
よく読めば10秒後にメニューサイトに遷移することが英語で書いてあったのだが、てっきり怪しいサイトに誘導されたものだと勘違いしたのだ。
この手のオーダーシステムは慎重になりたいものだが、もうそういうことも言えない時代なので、やむを得ない。
餃子、メンマ、瓶飲料などをオーダーする。
にしても、客が持っているスマートフォンから注文を取るなんて、すごい時代だなと思う。
以前、東京ガールズコレクションで、モデルが紹介するアイテムを観客がスマホを使ってその場で購入する様を見て、カスタマーがすでに端末を持っているという新しい時代になったのだな、と思ったものだ。
今となっては、「東京ガールズコレクション 北九州」である。
そのうち、「上野精養軒 天籟寺」とか、できるかもしれない。
それにしても、店内ポスターにある「老神温泉 東明館」のことは、全く知らなかった。

「ぎょうざの満洲」の実力がよくわかったところで、京王側の駅前を歩く。
大穴を見に来たわけだが、高い塀に阻まれ、様子はわからない。
塀の周りを半周し、少し進むと、国道16号線に出る。
16号線を見ると、さすがに遠出したなという気分になり、無事に帰れるか不安に感じる。
道沿いに進み、橋本五差路の地下道をうまく渡り、細い道に入る。
工業地帯あり、スナックあり、ホルモン屋あり。
なんとなく住宅地めいてきて、南橋本駅に到着。
1駅歩く、ということができるのも、ずっと前に相模線に完乗しておいたおかげ。
そういえば、「Keio高架化Information」を探すのを忘れていた。

きれいな感じの駅舎で、プラットフォームの幅も狭いのだが、南橋本駅は昔からある駅で、2006年に今の駅舎ができたようである。
相模線なので、事前に列車の時刻を調べておいた。
少し待つと上り列車が到着。
例のごとく開閉ボタンに戸惑い、ロングシートに席を確保する。

上溝駅は、高架となっていて、相模川方面の見通しがいい、が1面1線である。
結構乗ってくるところを見ると、利用勝手の良い駅なのだろう。
小田急多摩線が延伸してきたら、またすぐにでも来よう。
厚木付近で圏央道が相模川を渡ってくる。
社家駅手前の高速道路構造物を見て、げんなりしてしまう。
京葉線の二俣新町付近の線路を見ても本当に嫌なのに、門沢橋駅の付近もそうだけど、道路はこんなにも大げさになってしまう。
倉見駅はよく聞くけれど、改めて現地を見ると、ここに新幹線新駅を作るのは、もう趣味の世界のようにしか思えない。
まあ、駅ができると、いろいろなことが可能になりそうでもある。
圏央道の向こう側の道路に「その他の危険」標識を見つけて、驚く。
幻かと思ったけれど、ストリートビューでも確認できた。

ようやく茅ケ崎駅に到着。
時間がないところ、トイレを済ませて、東海道線に乗る。
相模線もそうだったけど、東海道線もそこそこの混雑率で、大船でようやく座れた。
そういえば、彼はもう、湘南地域に戻っているのだろうか、戻る場所があるのだろうか。

27日日曜。
この日は、ほぼ在宅。
近所の商業施設で、取り寄せした靴を受け取った。
「美味しんぼ」を6本見た。
映画「第三の男」を初めて見た。
「第三の男」が思っていた以上に悪すぎて、あきれた。
あきれたからこそ、恋人の思いというものが際立つのであろう。

29日火曜。
土曜と同じような時間に出て、新宿駅に到着。
東口を出ると、アルタの解体工事に着手されていることを知る。
近年まれに見る乗り換えを果たすべく、西武新宿駅に到着。
次の列車は特急小江戸号であったので、現金で特急券を購入。
小江戸号はもうすぐなくなることを、後で知った。

車内は数人の乗客。
プラットフォームに立つ上り方面に向かう客が、視界の後ろに飛んでいく。
新井薬師前駅の前で徐行し、車窓に向かって敬礼。
行けども行けども、住宅地。
特に感慨もなく、東村山駅に到着。

東村山駅周辺は高架化が進められており、駅上空を構造物が覆っていた。
駅地下道を抜け、東口に行く。
志村けんの銅像を撮影。
駅周辺にはドトールはないものの、コメダ珈琲店を発見し、入店。
モーニングで、トーストとゆで卵をいただく。
10時前だが、席はほぼ埋まっていて、自宅の近くに店があるのをうらやましく思う。
藤沢秀行の妻、藤沢モトによる「勝負師の妻」を読む。
昔の人は、子供のころから家の手伝いなどで働いていて、教育を受けることは難しかったのだな、と今さらながら知る。
もう亡くなってしまったが、自分は祖父母に、とりわけ、古い慣習を重んじる祖母に冷たい態度をとっていたような気がしてならない。
かわいがってくれたことは今振り返ればよくわかるのだが、自分はそれに対して十分に返すことはしなかった。
情けないことだ。

駅に戻り、地下道を抜け、西口から線路に沿って北上。
10分ほど歩き、東村山ふるさと歴史館に到着。
多摩丘陵を控える場所にある東村山の地形の成り立ちから、国府を結んだ道について、および鉄道敷設後の発展について学ぶ。
それからまた歩いて、正福寺。
ここの地蔵堂は、東京唯一の国宝木造建築物である。
奥の本堂からは、打楽器らしい音が聞こえてくる。
貼ってあるポスターを見ると、こちらの住職がティンパニを演奏するそう。
次のコンサートでは元タカラジェンヌの出演もあるそうで、ここでは言えない感想を持つ。

ここからしばらく歩く。
Googleマップのおかげで…、いやいつもNAVIのおかげで、目的地を定めれば経路を示してくれる。
ありがとう、ゼンリン。
道すがら、駅前のイトーヨーカドーの看板が、どこからでもよく見える。

八坂駅まで歩いてきた。
歴史館で知った、「九道の辻」というものを見に来たのだ。
この付近の西武線の絡み具合は、街道が集まる「九道の辻」に由来するものだったのだ…、というわけではないとは思うが、それでも因縁を感じずにはいられない。
そして、拝島線の高架具合と、急カーブを観察し、少し歩いて昼食。
調べればすぐわかるのだが、とある「とんこつラーメン店」である。
この店に来るのは、これまた25年ぶりだと思う。
その時は確か小川駅の東側に店があったはずだ。
移転して初めて来たが、移転したはずなのに店の中は年季が入っている。
思うに、これくらいの乱雑さは20世紀では当然だったように思うが、今の僕はずいぶんと甘やかされている。
店に入り、1人であることを伝え、店主が指示する椅子に着席。
背筋をただし、大きな声でラーメンを注文する。
ラーメンは期待通りの味で、涙ぐむ。
交わされる会話からして、店主も、客も九州にゆかりのある人ばかりのようだ。

店を出て、少し歩くと、団子屋があった。
よく覚えていないが、25年以上前も駅の近くに団子屋があったはずだ。
店先に並ぶ団子は1本60円~90円。
自分の家の近くの和菓子屋は、資本がチェーン展開している店で、高いし口に合わず、めったに買わない。
ああ、こんな団子屋が近所にあればいいのに。
最近、作りたての梅ヶ枝餅を日常的に食べるにはどうしたらいいか、真剣に悩んでいる。

値段の割にはずっしりと重い団子が入った袋を下げ、小川駅に向かう。
東京最古の現存私鉄駅の1つである小川駅は駅前再開発がすすめられ、小平市の施設も入る予定のタワーマンションが建設中である。
でも、駅舎は25年前のままのようだ。
国分寺線に乗り東村山、新宿線に乗り換え所沢へ到着。
次の列車は特急で、ラビューに乗るチャンスでもあったが、今日は小江戸号にも乗ったことであり、見送ることにする。
駅舎の展望テラスで時間調節し、次に来たFライナーに乗る。
池袋まで30分かからないようだ。
秋津までのJR連絡線を見守り、通過駅を過ぎるたびに所要時間が更新される掲示に感激する。
このまま乗り続けると西武有楽町線に入ってしまうことに気付き、吝嗇な僕は練馬駅で乗り換える。
「優秀な池袋線、時間の止まった新宿線」との思いを抱え、朝はくぐった山手線を越えて、池袋駅に到着。
自宅に戻って、「美味しんぼ」を1本視聴。

3日土曜。
借りてきたDVDで「女子ーズ」を見る。
なぜこんな映画作るかね、と思う。
思い出作りだろうか。
そのあと散髪に行って、「美味しんぼ」を見て、終わり。

4日日曜。
朝、近所のミスタードーナツで食事。
都心の朝をミスタードーナツで迎えるのが、数少ない楽しみの1つ。
そのあと、電車に乗り、新浦安駅で下車。
液状化に気を付けつつ、浦安のテーマパークに行く。
建物を見て、遊具に乗ったり、船に乗ったり、アトラクションを楽しんだりした。
物付きであることを自覚しているものの、さすがに「刺網漁」への興味はうすかった。
そのあと、近くの和食レストランで、飲食。
さらに歩いて、焼きハマグリと焼きアサリを求める。
浦安橋を渡って都県境を越え、妙見島を観察。
葛西駅まで歩いて、東西線で帰る。
南砂町駅の様子も観察。

5日月曜。
クリーニング店に行き、冬物を出す。
スーパーで、ホタルイカの釜揚げ、天ぷら盛り合わせ、500ml缶を2本買う。
自宅に戻り、昨日の焼きハマグリとともに缶を開ける。
借りてきたDVDで「高田純次 無責任社員物語 適当編」を見る。
アメリカにコンピュータを売る話だが、通商貿易省が高い関税を課そうとしているので、接待で懐柔を図る、などという、時代設定は現在なのではないか、と錯覚する内容。
プロフェッショナルのセールスはこれくらいのことをしてほしい、とエンジニアとしては思う。
その後、映画「櫻の園」を視聴。
当然、2008年版ではない。
あまりに美しい描写に、感涙して眠る。
そもそも「桜の園」とはどういう話なのだろうか、これからチェーホフを読むことがあるのだろうか。

6日火曜。
特に何もしない。

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2025-04-13 Sun.

珍重

2025-04-13

ナンシー関・町山広美「隣家全焼」を読了。

「地獄で仏」(ナンシー関・大月隆寛)に続けて読んだ。
前対談集に比べると、文章を受け入れることできるように感じた。
対談相手が変わったからか、時代が1990年代後半に移ったからか、こっちが取り戻してきたからなのか。

思うに、批評者たちも批評対象と同じシステムを持っている。
熱狂することは共通している。
そして、ターゲットの種類と、周囲との温度差があるという自覚があることに、批評対象との差異がある。
システムが同じであるという認識を持っているかどうかが、前対談集との差のように感じた。

でも、結局、長島一茂や松岡修造の様子を見たいから、僕はTVを見ているのだ。
現在だったら、丸山桂里奈だろう。
荻原健司や谷亮子に生活レベルで距離を置きながら、トキに対するように浜口京子を温かく見守る(けど引き取りはしない)というのが、TV視聴だ。
上村愛子の無双にかげりを見ることになっても、松本薫のアイスクリーム屋が怪しくなく成功してほしい、ついでに、里谷多恵の行状が所属組織を体現していると思い込むのが、視聴者であろう。
小塚崇彦のことも気になるし、中野友加里がどうしたなども気になるし、これを機に低俗な作話もしたくなる。

TVは見世物であり、ダメなものが集まっているゆえに、続けて見られているのかもしれない。
金曜も、TV番組の出演者が集まって、「マジカル頭脳パワー」でやっていたクイズで競っていて、やはりそれを見てしまった。
ディズニーキャラクター名を暗記し、全問正解する小手伸也やまひるに、素直に感心した。
川栄李奈は20分ですべてを暗記したそうで、空き領域がある方が重宝する例があることも知った(芦田愛菜との対比として)。
でも、周囲は誰も触れない。
やらせがあったとは考えすらしないくらい、模範的な視聴者だと自負し、唯一全問正解を逃した小倉優子に、計算通りに同情する。
今夜だって、「鬼レンチャン」の「400m走」を見てしまうのだろう。

先日のバス旅の再放送で、当時の山田まりやが男子高校生に話しかけているのを見て、控えめに言って、番組を見ながら食べていた生姜焼きの味に異変を覚えた。
それにしても、本田理沙が中津市出身なのは知らなかった。
結婚の話が導く領域への好奇心は、ここで留めておこう。
中村由真が前田耕陽と「GODDESS」というバンドを組んでいたのも、まあ知らなかった。
「あいつ今何してる?」がそれもカバーする性質の番組だったことも、知らなかった。

この本の見どころは、ナンシー関が「手袋をはく」と表現しているところだ。
この手の方言には気付きにくい、という本人の感想もある。

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